誤解を恐れずに言えば、騒動が起こった当初、ワタシは擁護派だった。
自分が駆け出しの頃を振り返れば、当時はスキルもキャリアも何もなかったので、ロゴをデザインするにしても、ポスターをデザインするにしても、何事も先達の模倣から入ったものだった。
それが年数を重ね、様々な経験をし、色々なモノを見聞するうちに、そんな姿勢も少しずつ変わっていった。
いわゆる“引き出し”が増えてきたのだと思う。
すると今度は、その中からヒントやモチーフになるモノを引っ張りだしてきて、そこからデザインするというやり方に変わっていった。
しかし、この“引き出し”というモノ、実に非常に厄介なモノで、切れ味がすこぶるに良い諸刃の剣だった。
何かしらをデザインして、“今までに創った事がないモノが出来た!俺ってスゲぇ!!”と、世界の頂点に立った感覚になることがあった。
だが、しばらくたって冷静になった視点でその作品を見てみると、著名なデザイナーやクリエイターの作品とよく似ていた・・・ということが今まで何度かあったのだ。
とどのつまり、美術館や街角やメディアなどで目にした他者の作品を“これ、いいな”と、ほとんど無意識の内に“引き出し”の中にストックしていた・・・ということだったのだろう。
だが、ワタシはそれが悪い事だとは思わない。
デザイナーという冠を頭に載せた人たちは、そういうことを繰り返しながら、本当の意味のデザインを体得し、それを血や肉にして、頭の上に載せた冠を少しずつ大きくしてゆくのだと思う。
そんな経験をしてきた人間としては、今回の一件は、本当に身に詰まされる出来事だった。
実際、この1ヶ月の間、周囲の同業者とは、この話で持ち切りだった。
皆、言葉を選びながら慎重に自分の考えを口にしていた。
皆、真剣だった。
とてもじゃないが、皆、対岸の火事とは思えなかったのだろう。
だから、今回のこの結末は、本当に残念だ。
もちろんそれは、エンブレムの使用が中止になったことにではなく。
どんなにパクリと言われようとも、佐野氏には、自分自身で創り上げた作品だったことを証明して欲しかった。
それはある意味、祈りにも似た心境だった。
しかし数多のニュースを読んだ限り、最終的には佐野氏本人から取り下げの申し出があったそうだ。
ということは・・・・ということなのだろう。
この騒動の最中、とあるクライアントとパンフレットの打ち合わせがあった。
主だった話が終わりまったりと雑談をしていた時、机の上のパンフレットのデザイン案を指差して、ワタシはクライアントに対して無意識のうちにこう口走ってしまった。
「これ、パクリじゃないですよ」
ワタシが本当に残念に思っているのは、こんな不本意な形でグラフィックデザインが注目されてしまったことや、そして何よりも、冗談と言えども、こんな愚劣な言葉を口にしてしまった自分自身に対してなのかも知れない。
●五輪エンブレム 使用中止を正式決定 大会組織委員会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150901-00000109-spnannex-spo