今日は4月1日ですね。
子どもの頃は、春休みド真ん中で、
あんまり月が変わった実感はなかったけど、
やっぱり、社会人になってからは違いますね。
僕が社会に出たのは18年前(もうそんなに前なんだ)。
1992年でした。
もう、見事に何も知らないヒヨッ子でした(爆)
就職したのは、広島に本社のある、社員120人前後の広告制作会社。
東京と大阪に支店があって、新卒の採用は、全社で約60人でした。
スゴいでしょ?
全社員の半分近い人数を採用するって・・・。
当時は、その意味なんてまったく理解できなかったけど、
半年が過ぎたら、否応に痛感することになった (^_^;)
その会社って、正式な入社式は3月21日だった(ような気がする)。
普通は、今日、4月1日が多いけどね。
だから、大学の卒業式より早かった(笑)
早めに入社式をして、3月中に研修を済ませ、そして4月になると
同時に配属先が決定した・・・ような記憶がある。
僕は制作部デザイン課に配属になった。
僕が入社前から望んでいた部署だ。
幸か不幸か(笑)、ここから僕の広告デザイナー、
グラフィックデザイナーの人生がはじまったのだ。
もしもあの時、営業部や総務部、もしくは同じ制作部でも
製版関係とかの部署に配属になっていたら・・・たぶん、
僕は、とっくに広告業界から足を洗っていたと思う。
“やっぱり、夢は夢で終わるんだよなぁ~”とかボヤキながら(笑)
だから、そういう意味ではこの会社には感謝している。
だって、文系の4流大学の何の取り柄もない学生を、
デザイナーに育てようとしてくれたんだから。
これはある意味、大バクチだ(爆)
同期の連中とは、仲がよかった。
みんな若かった。
威勢がよかった。
何の根拠もないのに、自信だけはあった。
まるで海をめざしてひたすらに砂浜を進む、
生まれたての60匹のウミガメの子どものようだった。
研修の最終日。
広島市内のとある居酒屋の座敷を貸し切りにして、その同期60人たちと
大打ち上げ呑み会を開いたことは、今でも楽しい思い出。
その時撮った写真は、今も何枚かアルバムに残っている。
それから1年後。
同期の連中は、約半分くらいまでに減っていた。
深夜残業、連続徹夜、理不尽な仕事・・・広告制作業の真の実態に
直面したウミガメの子どもたちは、次々と辞めていったのだ。
そして僕も、入社2年目の晩秋に、上司に退職届を提出した。
今思い返せば、最後の学校だったのだと思う。
気持ち的にも、まだ学生気分が抜けきってなかったし。
そんな時に、あの60人の連中と出逢ったのも、何かの縁だったのだろう。
あれから18年が過ぎて、さすがに60人全ての連中の消息は
知らないが、それでも何人かの連中とは、今でも交流は続いている。
思い返したら、そもそもこのmixiに入会したのも、
その連中絡みだった(笑)
“社会に出たら、もう友達は作れないぞ”
学生時代、社会人になった先輩がそう言っていた。
先輩の言葉は、正しかった。
でも、ある意味、間違っていた。
僕は、そう思っている。
数年前、今でもつきあいがある同期の一人が、
呑みの席でこんなことを言っていた。
「私たちって、戦友だよね」
子どもの頃は、春休みド真ん中で、
あんまり月が変わった実感はなかったけど、
やっぱり、社会人になってからは違いますね。
僕が社会に出たのは18年前(もうそんなに前なんだ)。
1992年でした。
もう、見事に何も知らないヒヨッ子でした(爆)
就職したのは、広島に本社のある、社員120人前後の広告制作会社。
東京と大阪に支店があって、新卒の採用は、全社で約60人でした。
スゴいでしょ?
全社員の半分近い人数を採用するって・・・。
当時は、その意味なんてまったく理解できなかったけど、
半年が過ぎたら、否応に痛感することになった (^_^;)
その会社って、正式な入社式は3月21日だった(ような気がする)。
普通は、今日、4月1日が多いけどね。
だから、大学の卒業式より早かった(笑)
早めに入社式をして、3月中に研修を済ませ、そして4月になると
同時に配属先が決定した・・・ような記憶がある。
僕は制作部デザイン課に配属になった。
僕が入社前から望んでいた部署だ。
幸か不幸か(笑)、ここから僕の広告デザイナー、
グラフィックデザイナーの人生がはじまったのだ。
もしもあの時、営業部や総務部、もしくは同じ制作部でも
製版関係とかの部署に配属になっていたら・・・たぶん、
僕は、とっくに広告業界から足を洗っていたと思う。
“やっぱり、夢は夢で終わるんだよなぁ~”とかボヤキながら(笑)
だから、そういう意味ではこの会社には感謝している。
だって、文系の4流大学の何の取り柄もない学生を、
デザイナーに育てようとしてくれたんだから。
これはある意味、大バクチだ(爆)
同期の連中とは、仲がよかった。
みんな若かった。
威勢がよかった。
何の根拠もないのに、自信だけはあった。
まるで海をめざしてひたすらに砂浜を進む、
生まれたての60匹のウミガメの子どものようだった。
研修の最終日。
広島市内のとある居酒屋の座敷を貸し切りにして、その同期60人たちと
大打ち上げ呑み会を開いたことは、今でも楽しい思い出。
その時撮った写真は、今も何枚かアルバムに残っている。
それから1年後。
同期の連中は、約半分くらいまでに減っていた。
深夜残業、連続徹夜、理不尽な仕事・・・広告制作業の真の実態に
直面したウミガメの子どもたちは、次々と辞めていったのだ。
そして僕も、入社2年目の晩秋に、上司に退職届を提出した。
今思い返せば、最後の学校だったのだと思う。
気持ち的にも、まだ学生気分が抜けきってなかったし。
そんな時に、あの60人の連中と出逢ったのも、何かの縁だったのだろう。
あれから18年が過ぎて、さすがに60人全ての連中の消息は
知らないが、それでも何人かの連中とは、今でも交流は続いている。
思い返したら、そもそもこのmixiに入会したのも、
その連中絡みだった(笑)
“社会に出たら、もう友達は作れないぞ”
学生時代、社会人になった先輩がそう言っていた。
先輩の言葉は、正しかった。
でも、ある意味、間違っていた。
僕は、そう思っている。
数年前、今でもつきあいがある同期の一人が、
呑みの席でこんなことを言っていた。
「私たちって、戦友だよね」
でも懐かしい・・・。
私も久々にアルバム見返してみようかな?
きっと、"若い!っていいな・・・"って感想になるんだろうけど。
残念ながら、この写真の中には貴女は
いなかったね。
同じ場所にいたはずなんだけどねぇ。
>きっと、"若い!っていいな・・・"って
感想になるんだろうけど。
そうかぁ?
今の方が若く見えるぜ(笑)