りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

東西橋。

2011-06-27 | Weblog
僕が暮らす町には「東西橋(とうざいばし)」という橋がある。

河口に近く、ヘドロが堆積した入川に架かる、コンクリート製の
何の変哲もない橋だ。
名前の由来も、この町の旧名であった東村と西村をつなぐ橋
だったから・・・という、なんとも絵に描いたような安易さ。
しかも、信号に引っかからずクルマで走れば、橋を通ったこと
さえも気づかないほどの短さだ。

しかし僕が子どもの頃は、この橋の周辺には商店や民家が立ち並び、
自動車や人の往来が頻繁で、田舎ながらも、この町随一の繁華街
だった。

まだまだ世界が狭く、自分の暮らす町が世界のすべてだった
幼い僕にとっては「東西橋」という名は、大袈裟ではなく、東京や
大阪と同じくらいのネームバリューがある橋であり場所だったのだ。

あれから30数年の時間が経て。

今でも東西橋は現存する。
添付した写真が、それだ。
橋もその下の入り川も、昔と何ら変わっていない。

しかし、周囲は変わった。

橋の東側には巨大なホームセンターがうまれ、週末になると
そこに向かうクルマが東西橋の上を終日走る。
そこだけ見れば、昔ながらの賑やかな繁華街のように感じるが、
賑やかなのは、そのホームセンターだけである。
その反対側、西側と南側の商店街は、全国のシャッター通りの
例に漏れず、店を閉めた店舗が軒を並べ、まるで“店舗遺跡”
のような様相だ。
特に橋の西側は民家と混在している地域でもあり、その民家も
戦前から終戦直後に建てられていた建物が多かったせいか、
最近になって、次々と取り壊され、浸食されるように更地が
広がりはじめた。

東西橋周辺が廃れた理由はいくつかある。

それを詳しく列挙しはじめたらキリがないので割愛するが、
ひと言でいえば、時代が変わったとしか言いようがない。

しかし廃れたと言えども、東西橋自体は、町の幹線道路上に
あるので、クルマや人の往来は激しい。僕自身、毎日クルマで
この橋を渡って通勤している。

最近になって、この「東西橋」という名前が、妙に気になりはじめた。

上述したように、本当に安易な命名をされた橋ではあるが、
別の見方をすれば、意味深な名前にも感じなくはない。

小説を書くようになってからか、それともそうなったから小説を
書くようになったのか自分でもよく分からないが、ここ数年、
世の中のよろずの相反する言葉や事象に、否応に敏感になっている
自分がいる。

朝と夜。
光と影。
プラスとマイナス。
男と女。
上と下。
右と左。
そして、東と西・・・。

東西橋。
決して交差することがない方向をつなぐ橋。つなぐ場所。
時代から取り残されかけた橋。取り残されかけた場所。

何か、書けそうな気がする。
ものすごくキザな言い方をすれば、東西橋が「私を題材にして何か書け」と
言っているような気がする。

いつか、書きたいと思う。
決して交わることがない“何か”をテーマにした物語。
書けたら、きっと面白い物語になると思うんだけど。

でも、しばらく・・・いや当分先だろうな(笑)
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