りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ご健闘をお祈りしています。

2024-10-09 | Weblog
衆議院が、解散した。

とりあえず、投票には行きます。
少なからずワタシは、ちゃんと税金を払ってるので。



写真は、昨日の地元の新聞。

記事を見て、ビックリ。

この産原氏、2年前の参議院広島選挙区に立候補されて、この度、国政選挙に二度目の挑戦をするそうだ。
しかも立候補する選挙区は、岸田元総理の牙城・広島1区。

そのチャレンジ精神に驚いたことも事実なのだが、それよりも驚いたのは、この産原氏・・・



ワタシが以前勤めていた会社の先輩なのである。



その会社は広島市内の広告会社だったのだけど、それはそれは激務の会社だった。
深夜残業も徹夜も当たり前で、新卒で入っても3年勤めればもうベテラン扱いだったから、そのことだけでも、どれだけ離職率が高かったか察してもらえるのではないだろうか。

新卒で入社したワタシも、結局3年持つことができずに2年余りで白旗をあげ、退職願を上司に出した。

そのような企業体質が常態化した会社だったから、さほど慰留されることもなく、比較的すんなりと受理されたのだけど、数日後、とある先輩社員に声をかけられ、給湯室だったか喫煙室で2人きりで話をしたことがあった。


その先輩が、産原さんだった。


「辞めんのか?」

はい。

「辞めて、どうすんだ?」

実家に帰ろうかと。向こうで仕切り直します。

「お前は辞めないと思ってた・・・今辞めても、仕事ないぞ・・・」

・・・たしか、そんな会話を交わした記憶がある。

産原さんにすれば、怒涛の就活を乗り越えて、せっかく希望通りの制作部デザイン課に配属されて、さぁこれから!という時なのに、お前は何を考えているんだ⁉︎・・・という感覚だったのかも知れない。
ワタシと対峙している間、産原さんは、終始苦渋に満ちた表情をしていた。
そのことも、今でもよく憶えている。

上述した通り離職率の高い会社だったから、先輩社員から退職を引き留められることもなく、慰留の言葉をかけてくれたのは、この時の産原さんだけだった。
だから余計に、今でも忘れていないのだと思う。



          ◆



あらためて、新聞記事を読み直す。

産原さんの職歴も書いてあった。

産原さん自身も新卒で入ったはずのその広告会社のことは記載されていない。
その代わりに、その後の職歴が羅列されてある。

保険代理店→住宅メーカー→マツダの期間社員→正社員と、けっこう転々とされていたようだ。

皮肉なものだ、と思う。

辞めるワタシに転職の無謀さを説いてくれた人がその後は職を転々とし、かたや、〈石の上にも三年〉すら出来なかったワタシが、辞めた翌年に転職した会社に入って、今年で勤続30年。

ともかく、ご健闘をお祈りしています。
コメント (2)
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