りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

古い鉄アレイ。

2024-06-22 | 家族
ワタシの父は、偉丈夫な人だった。

身長も高くなく、頭髪も薄かったのだけど(この2つは見事にワタシも引き継いだ😅)、とにかく身体だけは筋骨隆々の人だった。

幼い頃に一緒に風呂に入ると、分厚い胸板や綺麗に割れた腹筋といった父のフォルムに、子供ながら見惚れてしまうこともあった。

「力こぶ見せて」

小さなワタシが浴槽の中で父にそうリクエストすると、父はその度に「これか?」と言いながら腕を折り曲げて力こぶを見せてくれた。
父の二の腕にできたその大きく堅い塊を恐る恐る触わる度に、ワタシはキャッキャッと湯船の中ではしゃいでいたことを憶えている。

当時のワタシは、5、6歳。
まだ筋肉なんて身体のどこにも付いていない。
でも最も身近な男である父親がそうなのだから、男は大人になれば誰もが自然と父のような身体つきになるのだと思い込んでいた。

当たり前のことだが、そんな事はないわけで。

父のその身体は、自身で鍛えた賜物だった。
しかし、これといったスポーツをしていたわけでもなく、鋳物を取り扱う小さな会社の営業マンだった父が、なぜそこまで身体を鍛えていたのか、その頃のワタシには分からなかったし、考えることもなかった。


「アンタのお父さんは、自衛隊に入りたかったんよ」


そんな話をしてくれたのは、叔母だった。
父が亡くなって3ヶ月後、納骨の時のことだ。

父は高校卒業後、自衛隊への入隊を希望していたそうだ。
だが規定の身長に届かなくて、泣く泣く断念したらしい。

そうか、そういうことか。

叔母の告白で、父にまつわる色んな事が氷解したような気がした。

世代的に戦争の記憶なんてほとんどないはずなのに、戦争映画が好きだったことや、レコードも軍歌のアルバムを何枚も持っていたことや、本棚の書籍も軍記物が圧倒的に多かったことや、そして、なぜあれほどまでにムキムキの身体つきだったのかも・・・。

おそらく父は、不可抗力でたやすく壊された夢のカケラを、完全には捨て切ることができなかったのだろう。



          ◆



話は変わるが、先日病院へ行ったら先生に減量するように忠告された。

もうずいぶん前から血糖値が高めで、先生曰く、ワタシは糖尿病の玄関に足を入れたり出したりしている状態らしい。

もちろん自覚症状なんて何もないのだけど、もう何があってもおかしくないお年頃なだけは確か。
なので、当面の間、〈腹八分目〉と〈適度な運動〉が至上命題となった。



          ◆



〈適度な運動〉として、以前からウォーキングはしていたのだが、それだけでは心細いので何が出来ることはないかと考えていた時、たまたま実家でこれを見つけたので自宅へ持って帰った。



古い鉄アレイ。

かつて父が使っていたモノだ。
ひとつ3kg。ふたつで、計6kg。

これを持ち上げていた父の姿を眼にしたことはなかったが、中央に貼ったグリップ代わりのカラーテープのくたびれ具合からして、けっこう使い込んでいたように見える。

先週から毎晩、これを持ち上げている。
この運動が果たして〈適度な運動〉に該当するのか分からないけれど、何もしないよりはマシだろう。
ウォーキングが下半身の運動なら、鉄アレイは上半身の運動だ、と自分に言い聞かせながら持ち上げている(笑)

これで減量ができれば御の字。
そしてそれと同時に、遠い昔の父のような逞しい力こぶがワタシにも備われば願ったり叶ったりなのだけど。

まぁ、欲を言い出したらキリがない。
二兎追うものは一兎も得ず、と言うし。


明後日は、父の命日。


明日は墓参りに行こうと思っていたが、どうやら大雨の予報なので、その代わりに実家の仏壇に手を合わせに行こうか。

もしもその時、〈どうか痩せますように〉と俺が仏前でお願いしてしまっても、父さん、怒らないでくれよ(笑)
コメント (4)
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