りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

50年前の紙切れ。

2019-09-19 | Weblog
昨年亡くなった父の遺品整理をしていた時に、タンスの奥から、こんな紙切れが出てきた。



菓子箱を流用した物入れの中に、古い写真や手帳や書類と一緒に収められていた。

ノートの一部を破ったような古いメモ用紙に、お世辞にも丁寧に書いたとは言い難い縦書きの文字が並ぶ。

見覚えがある。
この筆跡は、明らかに父のものだ。

ワタシの名字(白く潰した箇所)の下に、名前が並んでいる。
右側に、数人の女の名前。左側には、数人の男の名前。

最初に眼にした時、法事とか葬式といった会合に出席した親戚を記したメモなのかと思った。
しかし、最後の名前まで目を通し終えた瞬間、息が止まり、不覚にも目頭が熱くなってしまった。



これは、ワタシの名前の案だった。



当時は妊婦のお腹を写すエコーなどはまだ無く、赤ちゃんの性別なんて、生まれてくるまで分からないのが当たり前だった。

おそらく父は、やがて生まれて来る赤ちゃんが男女どちらでも大丈夫のように、こうしてあらかじめ名前を記しておいたのだろう。

母にもこのメモ用紙を見せたが、初めて眼にしたらしく、記憶にないようだった。
もし本当にそうならば、この紙切れに記されている名前達は、父だけがおぼろげに考えていた名前の案だったのかも知れない。

しかし、結局この案の中のひとつから、ワタシの名前は選ばれ、命名された。

それから、50年。

今日、ワタシは、無事に50回目の誕生日を迎えることができた。

50年前、いったいどんな気持ちと意味を込めて、父がこの名前に決めたのか、今となっては永遠に訊くことは出来なくなってしまった(これも後悔のひとつだなぁ)が、間違っても悪い意味を持つ漢字ではないし、むしろ、賢明さや聡明なイメージしか感じられない。

もしも、父がワタシにそのようなモノを求めて命名したのなら、今さらながら、何だか申し訳ない気持ちになってしまう(笑)

まぁ、兎にも角にも、何とか半世紀生きたわけで。

これから先、どんな人生になるのか分からないけれど、良い事も悪い事も楽しい事も辛い事も全部引っくるめて今までも何とかなって来たのだから、たぶんこれからも「何とかなるさ」「成るようになるさ」で生きてゆくのだろう、と思っています。

今日は、たくさんの方からお祝いのメッセージをいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。
皆さんとの出会いに、感謝。

最後に、両親へ。
50歳になりました。
僕を生んでくれて、本当にありがとう。


それにしても・・・・もしも「剛(たけし)という名前になっていたら、いったいどんな人生になっていたのだろう(笑)
コメント
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