りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

怖い話。

2011-09-13 | Weblog
7月の中旬、知人のS氏からとある本を借りた。

福澤徹三氏のエッセイ「怖い話」。

「とにかく読んでみて。めちゃくちゃ面白いから」
“怖い話”というタイトルなのに、面白いから、というのもなんだか奇妙な薦め方
だなぁと思ったが、なにはともあれ、福澤先生のエッセイである。

昨年読んだ「Iターン」。先日読んだ「東京難民」。どちらの作品も、もうホント
にとてつもなく面白かった。

人間社会の最底辺の世界や裏社会。
ある日、そんな世界に普通の日常からいとも簡単に落ちてしまった、どこにでも
いるような小市民。
絶体絶命のピンチや理不尽極まりない困難が、主人公をこれでもか!これでもか!
と次から次へと襲って来る。

蟻地獄のようなストーリーに、“この主人公は、もう普通の生活には到底戻れない
だろう・・・かわいそうに”と、同情めいた気持ちを抱きながらページをめくるの
だが、最後には意外な展開が待っていて、スーーっと胸が救われるような気持ち
になった。

巧いなぁ。
俺もこんな物語が綴れたら・・・読了後、そんな風に思ったものだ。

余談だが、「Iターン」を読んだ直後、このブログでそのことを書いたのだが、
その後、ブログを読まれたS氏経由で、なんと福澤先生ご本人からメッセージを
いただいた。あの時は、あまりの嬉しさに飛び上がってそのまま大気圏を離脱
しそうになった。

とにもかくにも。

そんな先生のエッセイである。
エッセイならば、小説とは違って限りなく生身に近い言葉が詰まっているはずだ。
そう思いながら、本を開いた。
そして、読み終えた感想は・・・

悔しい。

そのひと言しか、思い浮かばない。
もう、とにかく悔しい。
どうして、こんなに言葉の使い方が巧いんだ。
豊富な語彙はもちろん、凡庸な言葉でさえ変化球を使って巧みに読ませる。

また、S氏が僕に薦めた時に言った「面白い」という意味も、よく分かった。
たしかに、面白い。
「怖い話」というタイトルなのに、笑ってしまう箇所が、まるでエアーポケット
のようにところどころに忍ばされている。
それも、意図的に笑わせようとしているのではない。怖い話を書き進めていく
うちに気がつくと笑いに転化してしまっている・・・そんな笑いなのだ。

例えば「怖い刑罰」という章がある。
その章の終わりの部分に、とある著名な映画の一部分を引用してあるのだが、
その映画を見たことがある人が読めば、それはもう爆笑必至の文章なのだ。
実際に、僕は腸が裂けるかと思うほど、腹を抱えて笑い転げてしまった。

氏の小説やエッセイを読む度に、こう思う。
「怖い」という感情は、実は「笑い」と表裏一体の感情なのではないか?と。
あまりにも怖かったり、迷ったり、疲れたりして、それが究極の状態にまで達する
と最後には笑顔になる・・・という話を聞いたことがある。
実際、僕も仕事が極端に多忙になった時に、気がつくと意味もなく笑顔になっている
ことがあった。
脳内に現状から逃避させるような分泌物が出てくるためなのかどうかよく知らないが、
もしかすると「笑う」という感情は、人間にとって自身に降り掛かる困難から逃れる
ために残された最後の武器なのかもしれない。
氏の作品を読んでいると、そんなことまで考えさせられてしまう。

しかしなによりも僕を唸らせたのは、福澤氏の知識と経験の豊富さである。

いったい、この御仁はどういう人生を歩んできたのか・・・。
話題の守備範囲が途方もなく広い。
先生は自称、ホラーやアウトローの分野が本丸なのだが、それ以外の分野にも多岐に
わたって精通されている。
実は先生のこの博識ぶりこそが、この本の中で最も怖いことなのかもしれない。

やはり小説家たる者、文章の巧みさも必要さだが、それ以上に必要なのが“経験”なのだろう。

実はこのエッセイ、もうずいぶん前に読み終えていたのだが、もう一度、読み直している。
今度は少し読む角度を変えて、文章の組み立てや構成の仕方に留意しながら。

だからSさん、すみませんが、もうしばらく、この本を貸してくださいm(_ _)m
コメント
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