越谷フェンダーブログ

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夏子のニューヨーク通信 (13)

2014年07月03日 09時25分35秒 | Weblog


夏子のニューヨーク通信  (13)  6/28/14

                        ”古い友達”

    孫のロビーの夏休みが一昨日から始まった。何しろ、学校があまり好きでない彼は大喜びだ。おかげで私の
仕事である、学校への送り迎えがなくなったのは助かる。
しかし、一人っ子であり近所に同じ年の子供がいないので、独り家の中でテレビをみたりIpadでゲームをしたりしているのは、あまり良くないだろう。

    そんなロビーを連れて7月の始めに、サンフランシスコにいる私の古い友達のところに遊びに行く。
まだ9歳になったばかりなので、私と旅行するのを嫌がらないけれど、そのうちに行かないと言い出すかもしれない。今の内である。

    今日は、その古い友達の事を書いてみたい。

私はまだ20代の始めに、アメリカ人と結婚をしていた姉を頼りにNYにきた。 学校に行きたかったが、お金が無くて、日本で働いていた東京銀行でスポンサーになってもらい、ここのNY支店で働くことにした。

その東京銀行NY支店に、日本から来た若い女性が3人いた。 それが、今サンフランシスコにいる郁子さん、私と、もう一人NYにいる玲子さんの3人である。

もう、45年前になるのだろうかーー あのころは自分達が今のような生活を送るとは想像もつかずにあちこち気楽に
遊んであるいた。 2,3年銀行で働き 我々は、それぞれ違った人生を歩んだ。

 まず、郁子さんは、はじめ結婚した男が遊び人で後に離婚するのだが、その間、自立が出来るように学校へ行き会計士の資格を取った。 
その後、いろいろなところで働いたが最終的には、サンフランシスコの近代美術館で Vice Presidentにまでなった。
日本で生まれた女性が、何十人というアメリカ人の部下を持って、働くってすごいと思う。その彼女も今年退職した。
彼女は、再婚しているが、子供には恵まれなかった。今までの人生に悔いは無いが、子供が無いのだけが
残念だと彼女は言う。

玲子さんは、始め日本人の弁護士のオフィスで秘書をしていたが、そこで働いていた弁護士をみて”あんなくらいなら自分にだって出来る”と思い学校へ行き、弁護士になった。 
資格を取った後も日本人のオフィスで働いていたが、その会社が閉めるといった時、彼女が継ぎ、その後は自分ひとりで今までやって来た。
日本の景気のよかったころは、お客に不自由しなかったが、今はほとんどお客がいないと嘆いている。、
結婚もせず、お金を貯めたわけでもなく、おまけに体は、なんかの奇病に罹ってしまい辛い毎日のようだ。
彼女は、最近 ”一生懸命に仕事をしてきたけれど -これで良かったのかー”と度々自問するという。

  私だけが、何の資格も取らず、結婚して子供を育て、今は孫の世話をし普通の道を選んだ、、というより気がついたらそうだった。。
仕事もたくさんしたけれど、みんな誰にでも出来るものばかりだった。
ただ、下の子供が大学を卒業したのを機会に、油絵を始めたのは 郁子さんにも玲子さんにも羨ましがられる。

45年という歳月は、長いようで短い。45年前の我々3人が昨日のように思い出されるのだ。
我々3人が変わったと思えば変わったし、大して変わったとも思えないのだ。
ただ、若さが消え、年寄りになった事だけは確かである。

今回の絵はセントラルパークです。




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