夏子のニューヨーク通信(5) 1/25/13
大変遅くなりましたが、新年おめでとうございます。
新しい年になって、早、一ヶ月がたとうとしています。新年で特にこれというニュースもないのですが、個人的には、わたしが、コンクリートのうえに、顔で滑るようにしてころんでしまったことです。雪も降っていたわけでもなく、道が凍っていたわけでもないのにです。 ブーツの底がつるつるだったからかもしれませんが、ともかく、顔中、打撲で、ものすごい顔になってしまいました。2週間はお岩さんのようで全然外出が出来ませんでした。今は大分良くなったのですが、医者からは完治するのに後一ヶ月はかかるといわれています。
とんだ新年のスタートです。
ところで、先日、私の姉の引き出しのなかから、私がまだ20歳のときに書いた作文が新聞に出て記事になっているのが出てきたと言って送ってくれました。50年間も姉の引き出しに入っていたなんて考えられますか?もちろんその切り抜きは茶色になり、触るとこわれそうですが、ちょっとおもしろいので、それをコピーして下記します。
子供の笑顔 荒木(旧姓)夏子
今まで子供にはそれほど縁のなかった私だが、最近になって姉や友人の子供の”子守り”を頼まれ、急に子供に縁ができた。
そして、今まで子供は面倒臭いものとしか思っていなかった私が、とても素晴らしいものを、子供達から見つけ出した。
それは彼等の笑顔である。なぜあんなに美しくみえるのだろう。それは”心”の微笑みであるからだ。”心”が楽しくて仕方のない時、自然と顔にあらわれる、それが彼等の笑顔みなのだ。
心とは関係なしに、顔の筋肉だけを動かしてみせる大人の笑いを、子供達は直感的にするどくみぬく。私が子供達を面倒臭いと思いながらも、顔だけ笑って見せる時、彼らは私から逃げてゆく。そして私の心が彼らをかわいくて仕方がないと思ったときに涌いてくる笑顔に彼等はいつもついて来る。
子供の笑顔はいつも心の微笑みである。だからそれは、いつも清くて美しい。
私も心からほほえんでみたい。心を常に楽しくさせ、自然と顔に出てくる微笑をいつも持ちたい・・。
こんなことを子供から学んだのである・・。