越谷フェンダーブログ

地球環境の為に車部品のリサイクルについて考えます。車の話や会社の裏話を公開します。

恒例の山行

2010年09月29日 17時49分50秒 | Weblog
今年で27回目となる高校時代の山岳部OB会 今回は仲間16名と山梨の十谷温泉に出かけた・・。

中央線高尾駅に集合『お~元気そうだね~!』・・まずは近々の健康状態の情報交換から始まり、悠々自適の年金暮らしの中で健康の為にと始めたアルバイトとの話など・・一通りの話が終わる頃には、一年ぶりに再会した固さもほぐれ、いつもの顔になってくる・・。

今回は小学生の頃に参加してくれていた子供が2名・・社会人になってからこの会の魅力を感じてか?親と一緒に参加してくれた。両親にはなかなか話せない事も・・親と同世代の友人が集まるこの会では、あまり深刻にならずに話せる雰囲気を思い出してくれたのかもしれない・・。

・・昨年 脳溢血で大病を患ったO君はさぞかし元気な姿を見せてくれるだろうと思いきや・・数ヶ月前に腎臓ガンが見つかり腎臓の3分の1を切除したとの事で、一日3gの減塩生活を続けていている・・。それでもいつものO君らしい前向きな話題が始終して、ひとまず安心した・・。

一日目は甲斐大和駅で途中下車して竜門峡の渓流沿いの遊歩道を歩いた・・その山道から20M位離れた渓流の中に『カモシカ』を発見・・シカトされているのか?・・こちらの話し声が聞こえている距離なのに一向に動こうともしない・・『あれは置物だ!}』という意見が出るほどじっと激しい流れの中にたたずんでいる・・置物かどうか?賛否をとったら半々に別れた・・本物に決まっているのに!・・。

二日目は大谷温泉から大柳川渓谷を歩いた・・かなり深い谷であるが、イワナ・ヤマメが釣れるメッカらしく・・渓谷沿いに吊り橋が架けられていて・・秋の紅葉の頃にはかなりの登山者が訪れるらしい・・。

お昼は『つくたべ館』でうどん打ちをして味噌仕立ての鍋でおいしく頂いた・・。お腹がいっぱいになった頃には予約していたマイクロバスが到着、一気に甲府駅へ・・早速 話題のB級グルメで優勝した『甲府鳥モツ煮』を駅地下に買っに行ったが、これが全て売りきれ・・

車中でビールを飲みながら来年の予定を話し合った・・とにかく全員元気で再会したいね~

・・年々この言葉の重さが・・心にズシ~ン残るようになった・・。

石井さん

2010年09月17日 14時26分08秒 | Weblog
72才になるという石井さん 現役バリバリの鉄工所の社長である。若い頃はたくさんの従業員を抱えていたらしいが? 当社に出入りするようになてから25年以上になるがず~と一人で仕事している・・大がかりの倉庫工事になると、どこからか人を集めてきて何とかやり過ごしていた・・。

ここ10年ぐらいは、当社の営繕工事を任せているので、かなりの頻度で工場に出入りしてあちこち直している・・一人の仕事はあまり能率的ではないが、工夫しながらこつこつと仕事を進めてくれるので、大変重宝している・。

・・脚立から落ちて救急車で病院に担ぎ込まれたこともあり、溶接の火花がグラスウールに燃え広がって消防自動車が出動する『ぼや騒ぎ』まで起こしたこともある『お騒がせマン』であるが・・年寄りに無理をさせてはいけないと・・社員はなにかと世話やいて手伝っているようだ・・。

・・運転免許書の更新時、視力でしっかかり、視力の低下を回復させるため、眼科で治療を受けたら、白内障の手術をしないと視力が戻らないと言われた・・ところが血糖値が高くてまずは糖尿病を治してからといわれ・・半年近く仕事を休んだこともあった・。

『お騒がせマン』であるが・・越谷フェンダーと共に晩年の人生を歩んでいる・・社員に劣らず存在感がある

今日も新築テント倉庫の中で棚を作っている・・生産部長が忙しい合間をみて・・手を貸している・・。

37回忌

2010年09月14日 12時59分21秒 | Weblog
生後1年8ヶ月で亡くした長女:菜穂子の37回忌を家族で開く事にした・。場所は39年前に寿子さんと結婚式を挙げた旧湯島会館(現:東京ガーデンパレス)に決めた

長女を亡くした頃の私は、ゼネコンに勤め現場監督をしていた。現場事務所に泊まることも多く、典型的な仕事人間で、家庭は寿子さんに任せっきりであった。・・その日・・社宅の窓から娘が『行ってらっしゃい・・』と手を振ってくれた・・。

・・娘を亡くした悲しみと悔しさを・・いつしか一級建築士試験に没頭する事で忘れようとしていた・。そして翌年の8月 長男が生まれた!・・長男が生まれた喜びを、間近に迫った学科試験の勉強にぶっつけて没頭した・・娘への報告はその年の暮れ 念願の合格書を手に入れた喜びと一緒に伝えることが出来た・・。

・・長女の死を無駄にしたくない・・夫婦の必死の思いが・・再び家族が3人に戻り・・さらに技術者としてステップアップに必要なライセンスまで手に入れた・。

・・翌年 青森営業所の主任技術者として赴任、下北半島の付け根に位置する野辺地町の電話局工事を担当 同時に親子三人の田舎暮らしが始まった。ここでの穏やかな生活が、子供を亡くした心の痛手を徐々に癒してくれた・・。

そして青森での生活2年目、次男が誕生 なんと長男と同じ日に生まれた・・亡くなった長女からの贈り物のように思えて・・熱いものを感じた・・。

いまでも・・子供の誕生日を迎えるたび・・社宅の窓から身を乗り出して手を振ってくれた長女の顔が鮮明に蘇る・・我が家の守り神である・・。

もう一つの設備投資

2010年09月02日 17時34分44秒 | Weblog
『せっかくのネオンサイン! 夜は良く目立っているが・・昼間はサビだらけの鉄板が露出していて・客の入らない温泉街のパチンコ屋のカンバンみたい!』と・・友人やお客様から酷評されていた・・。

かなり前から気になっていたが・・『見てくれよりも、内容の充実が優先!』・・と作業環境の改善や商品力アップに資金を全て充てきていたので、ネオンサインの管理は応急処置を繰り返してやり過ごしてきた・・。

今回 思い切って・・外部足場を組んで全面改装に踏み切った・・テント倉庫を依頼した業者の社長からのアドバイスもあり、カンバンを支える鉄骨部材も補強する事になった・・。

たぶん10月以降・・東北自動車道から当社を臨むと・・一段と輝いたネオンサインが見えるはずである・・。

会社も私も・・『見てくれも大切する年齢!・・』になってきたのかもしれない・・。