越谷フェンダーブログ

地球環境の為に車部品のリサイクルについて考えます。車の話や会社の裏話を公開します。

ブログの公開サイトが変わりました

2014年09月25日 10時19分07秒 | Weblog
ホームページの全面改良にともないまして、ブログの公開サイトが変わりました・・。

新着情報の中にまとめて、社長ブログ・ほっと一息コーヒータイム などをリリースしております。この機会に当社のホームページを見ていただければ幸いです・・。

これからもよろしくお願いします


当社ホームページ http://www.renovate.jp/
「社長ブログ」・「ほっと一息コーヒーブレイク」更新中!

攻めの投資

2014年09月17日 14時07分00秒 | Weblog
リノベートパーツのインターネット販売は、順調な伸びを続けている・・。

ここでの販売は、商品化したパーツを出品サイトに登録するひと手間が必要になるが・・お客様にとっては、添付された画像を見ながら他社の出品商品との比較をじゅっくり品定めが出来るので、ニーズに合致した商法ともいえる・・。

ネット上で落札されるた商品は、出品元にメールで落札情報が届く。同様に銀行からも落札者からの入金情報が入る。フロントの担当者は、この双方からの情報を一件づつ照合しながら振込金額を確認してから、現場に出荷指示書・送り状発行・伝票発行の準備を進める・・。 PM4:00までにこの手続きが終わったものは、その日のうちに出荷できるルールになっているため、フロントはかなり時間的に制約された忙しさに見舞われてくる・・。

今回業務改善の一環で開発した業務ソフトは、落札情報と入金情報が、コンピューターで随時自動整理をされ、自動照合されたものから出荷指示書・送り状発行・伝票発行を自動発行しようとするものである・・。

この業務ソフトの活用で、社員0.5人分、補助員1名分の人件費軽減が見込まれている・・。

ここで浮いたフロントの人手は、フロント本来の仕事である『電話注文の顧客対応』にたっぷり時間をかけて、地に足を付けた営業活動を展開してゆこうと考えている・・。

・・この業務ソフト開発の費用は、生命保険を解約した返戻金で賄う・・。

・・久しぶりの『攻めの投資』はワクワクする気持ちにさせてくれる・・。当分は年を忘れて仕事に集中できそうである・・。


夏子のニューヨーク通信 (14)

2014年08月25日 15時59分33秒 | Weblog




         夏子のニューヨーク通信    《14》           8/24/14


              " 忙しかった今年の夏 ”


     前回にも書いたサンフランシスコに住む私の "古い友達”のお宅に10日間、孫のロビーとお邪魔した。
彼等は、サンフランシスコに素敵な家を持ち、今度、山の家をNappa Valleyに建て、アリゾナにも家を持っている。
体が一つしかないのに、たくさんの家を持っているのも大変だな~と思う。


私の友達である郁子さんは、今年退職したのだが、今度は、近くに住んでいる彼女のお姉さんの世話で忙しい。
お姉さんは 生涯独身で4,5年前からアルツハイマー病と診断され、だんだん悪くなるらしい。 


我々を、郁子さん夫婦が ヨセミテパークに連れて行って下さった時、このお姉さんも一緒にいった。 
お姉さんは、昔、マラソンをしていて体は丈夫なのだが、今、やった事をすぐに忘れてしまうのだそうだ。


ヨセミテパークから帰って、皆で夕食をしているとき "Did we go to the park today? 今日、パークへ行ったかしら?”と言うので、びっくりするより、なんだかおかしくなって笑ってしまった。


ところで彼女は日本語も英語も忘れていないのだが、自分から話をすることは皆無だ。 こちらが何か質問をするとあらぬ方向を向いて答えるのだが、何べんも何べんも同じ事を言うのである。 今、自分の言ったことを忘れてしまうのだろうか?


サンフランシスコ内ではロビーと二人で、あちこちを見て歩き楽しかった。


     その後、ロスアンジェルスに行き、ロビーのお母さんであり私の娘のサンドラと合流して1週間、遊んできた。サンタモニカ、マリブの海岸は美しいし Hollywoodも賑やかで良いのだが、NYの我が家に帰ったときは、ほっとした。 NYはたくさんの緑があってよい。


     我々が旅から帰ってすぐ、わたしの兄のお嫁さんが3週間遊びに来た。いろいろのところへ案内をしたが、彼女は20分で$200もする NYCityの上空を飛ぶヘリコプターに乗ったのが一番気に入ったようである。 きっと、一生の思い出になることだろう。
彼女は、東京に比べて、NYは軽井沢のように涼しいと、感激していた。




     そして、その涼しかった今年の夏は、忙しく終わり、来週からは、又、孫の送り迎えが始まる。







女峰山

2014年08月25日 15時26分30秒 | Weblog
残暑がつづくお盆明けの週末 天候の崩れを心配しながら、奥日光の女峰山(2.463m)に登った・・!
志津乗越(1.785m)から標高差700m、登り3時間30分 トータル6時間30分の山行であった・・。

女峰山は、男体山の祭神 おおなむちのみこと の妃 たごりひめのみこと を祀る山・・。

奥日光の連山は、男体山(2.486m)から大真名子山(2.375m),子真名子山(2.323m)、女峰山(2.463m)、赤薙山(2.010m)へとつづく・・。
山王帽子山(2.077m)・太郎山(2.367m)の連山も 晴れた日の小田代ケ原・戦場ヶ原から望める勇壮な山容である・・。

・・いつか あの山々を全部登ってみたいね~・・と寿子さんと話したのがきっかけで・・毎年奥日光に出かけ、アプローチの良い山から登り始めた・・最後に残ったのが大真名子山と女峰山に挟まれ小真名子山一つになった・・。


山登りの醍醐味のもうひとつは、登山の後の温泉とビールである・・現在定宿としているのが湯元温泉の『湯の家』さん・・。私の定宿は・・いつでも予約が取れる・大きな旅館でない・湯船が大きい・湯元である・静かである・宿泊料金は~12.000円/泊まで・料理はこころがこもっていればOK・・といったところで、湯の家さんがぴったりおさまっている・・。

猛暑を逃れて、登山と温泉とビール を楽しむことができるのも仕事と健康に恵まれている賜物  感謝でいっぱいである・・。





暑気払い

2014年08月19日 16時19分30秒 | Weblog
ここ4~5年、全社員が一堂に会いした暑気払いは、経費削減の理由でずぅ~と開かれずにいた・・。

何年か前までは、大広間のある料理屋さんで、宴会の定番料理である、酢の物・さしみ・天ぷら・茶碗蒸し・煮物などで、大いに盛り上がったものであるが、世代交代が進むにつれ、居酒屋で飲みなれている若者から、宴会料理が不評であったことから端を発し、経費がかさむ全社員参加型の飲み会が取りやめになった・・。

一方で生産部門の増強でパート社員が毎年入社、会社の所帯が次第に大きくなってきたので、各課単位の分散型の飲み会が定着していった。飲み会の計画があれば、若干の補助を出す程度のことはしてきた・・。

年1回ぐらい全員そろっての飲み会は、社内の連帯感を作るためにはそれなり意味があると思ってはいたが・・経費削減に大ナタを振るっているさなかに派手な飲み会は自粛せざるおえない状況であったことは確かで・・社員にはやはり寂しい思いをさせていたと思う・・。


今年は・・社長在任30年の区切りの年でもあり、お陰様で業績もやや上向きになってきているので、社員からの要望もいれて、全員が集まれる大広間のある地元の料理屋さんで再開することになった・・60名の参加があった・・。

・・あちこちにできた車座の中に・・職場では日頃見せない笑顔の花が咲き、たいへん楽しい笑顔の交換会になっていた・・。





夏子のニューヨーク通信 (13)

2014年07月03日 09時25分35秒 | Weblog


夏子のニューヨーク通信  (13)  6/28/14

                        ”古い友達”

    孫のロビーの夏休みが一昨日から始まった。何しろ、学校があまり好きでない彼は大喜びだ。おかげで私の
仕事である、学校への送り迎えがなくなったのは助かる。
しかし、一人っ子であり近所に同じ年の子供がいないので、独り家の中でテレビをみたりIpadでゲームをしたりしているのは、あまり良くないだろう。

    そんなロビーを連れて7月の始めに、サンフランシスコにいる私の古い友達のところに遊びに行く。
まだ9歳になったばかりなので、私と旅行するのを嫌がらないけれど、そのうちに行かないと言い出すかもしれない。今の内である。

    今日は、その古い友達の事を書いてみたい。

私はまだ20代の始めに、アメリカ人と結婚をしていた姉を頼りにNYにきた。 学校に行きたかったが、お金が無くて、日本で働いていた東京銀行でスポンサーになってもらい、ここのNY支店で働くことにした。

その東京銀行NY支店に、日本から来た若い女性が3人いた。 それが、今サンフランシスコにいる郁子さん、私と、もう一人NYにいる玲子さんの3人である。

もう、45年前になるのだろうかーー あのころは自分達が今のような生活を送るとは想像もつかずにあちこち気楽に
遊んであるいた。 2,3年銀行で働き 我々は、それぞれ違った人生を歩んだ。

 まず、郁子さんは、はじめ結婚した男が遊び人で後に離婚するのだが、その間、自立が出来るように学校へ行き会計士の資格を取った。 
その後、いろいろなところで働いたが最終的には、サンフランシスコの近代美術館で Vice Presidentにまでなった。
日本で生まれた女性が、何十人というアメリカ人の部下を持って、働くってすごいと思う。その彼女も今年退職した。
彼女は、再婚しているが、子供には恵まれなかった。今までの人生に悔いは無いが、子供が無いのだけが
残念だと彼女は言う。

玲子さんは、始め日本人の弁護士のオフィスで秘書をしていたが、そこで働いていた弁護士をみて”あんなくらいなら自分にだって出来る”と思い学校へ行き、弁護士になった。 
資格を取った後も日本人のオフィスで働いていたが、その会社が閉めるといった時、彼女が継ぎ、その後は自分ひとりで今までやって来た。
日本の景気のよかったころは、お客に不自由しなかったが、今はほとんどお客がいないと嘆いている。、
結婚もせず、お金を貯めたわけでもなく、おまけに体は、なんかの奇病に罹ってしまい辛い毎日のようだ。
彼女は、最近 ”一生懸命に仕事をしてきたけれど -これで良かったのかー”と度々自問するという。

  私だけが、何の資格も取らず、結婚して子供を育て、今は孫の世話をし普通の道を選んだ、、というより気がついたらそうだった。。
仕事もたくさんしたけれど、みんな誰にでも出来るものばかりだった。
ただ、下の子供が大学を卒業したのを機会に、油絵を始めたのは 郁子さんにも玲子さんにも羨ましがられる。

45年という歳月は、長いようで短い。45年前の我々3人が昨日のように思い出されるのだ。
我々3人が変わったと思えば変わったし、大して変わったとも思えないのだ。
ただ、若さが消え、年寄りになった事だけは確かである。

今回の絵はセントラルパークです。




30年の歳月

2014年05月28日 16時56分15秒 | Weblog
6泊7日の北海道出張 骨折した右手首がいまだに完治していない状況で、途中で・・mission inpossible にならないようにと・・仕入担当の早川常務に同乗を頼んだ・・。

今回の北海道出張は、前社長時代から引き継がれてきた北海道エリアの仕入れを、私から常務へとバトンタッチする時期とも重なっていた・・次回からは私が同乗して彼をサポートすることになる・・。

品薄品・出筋のパーツ・社内在庫の数・入荷調整中パーツ などの情報をしっかり把握している常務のおかげで、今回はいつもの入荷量よりも1~2割多く集荷できた・・。


早川常務は私の甥にあたる。交通事故で亡くなった前社長の長男で、当時3歳であったので、父親の顔は記憶にないと言う・・。高校を卒業後、自動車専門学校に進み、卒業後デーラーに5年間勤務した。そのあと当社に入社 父親の仕事を継ぐことにななって既に10年が経過した・・。

今回 常務と共に仕事をして、私の役割もそろそろ卒業かな?・・と感じた。良い意味ですこし肩の荷が軽くなったようだ・・。

これからの私の役割は・・実務の継承はともかく、精神的な面で手助けしてやれればとと考えている・・。
 





夏子のニューヨーク通信 (12)

2014年05月12日 09時36分06秒 | Weblog

               夏子のニューヨーク通信  (12) 5/6-5/10/14

                
                  ”花盛りのニューヨーク”


   なかなか春がこないな~と思っていたら、なんと今週は、たくさんの花々がいっせいに咲き出した。 なんだか大急ぎで花を咲かせているように見える。


今は、さくら-(NYでは、八重桜がほとんどで、日本の桜より遅く咲く。そして、花がボールのように固まって咲き、ぼってりとしている、色は濃いピンクでソメイヨシノのように可憐な美しさはない。)、ハナミズキ、ライラックが競うようにさいている。---と、思っていたら、

昨日、今日と雷を伴う雨が降り、みんな若葉に変わってしまった。

あの花を描いてみたい、この花も描いてみたいと毎年思うのだが、いつもそう思っているうちに、皆、散ってしまうのである。まあ、自分の意思の問題でもあるのだが。。。残念だ。

   それにしても、いくら絵を描いても、”よくできた~”と思えることが無く、これでもか、これでもか、と直しているうちに、絵はどんどん悪くなるのだ。早く、ーこれで良しーと思える絵を描きたい。


   私は、NYに40年もすんでいながら、英語はとても満足のいくものではない。

このところ、孫(Robert)の宿題をヘルプしなければならないのだが、もう、四苦八苦というところである。Robert はまだ小学校三年生なのだが、結構難しいのだ。
特に、英語で、例えば、多角形とか、不等辺とか、鈍角などは聞いたことも無かったし、それを、覚えようとてとても覚えられないのだ。、

いちいち、辞書をひいていると、Robertのほうが、イライラしてくるので大変。

ところで、アメリカの小学生の学力が世界の基準にくらべて、とても低いので、NY State は今年から、小学生にテストをさせ、そのテストが出来ないと次の学年に入れてくれないのだそうである。
そのテストが、今まで学校で勉強していたものと比べ物にならないほど難しいのだ。
反対する父兄は多いらしいが、Stateが決めたのだから仕方が無い。先生方たちも、必死である。なにせ、子供の成績が悪ければ、先生が悪いことになるのだから。

先週、その試験が終わった。 結果はどうでも、終ったので、私もホットしている。

今日の絵は、セントラルパーク春です。




日本橋 丸善 

2014年04月24日 11時51分17秒 | Weblog
50年以上の前の話になるが・・日本橋にあった高校に通っていたころ、定期試験の最終日は友人と白木屋(後の東急百貨店 現在コドレ日本橋)の食堂で固めんのあんかけ焼きそばを食べるのが楽しみになっていた・・。

試験が終わった開放感とおいしいものを食べた満腹感で日本橋界隈を歩き出すと必ず丸善に向かった・・。当時の丸善は、紳士の殿堂のようにレイアウトされ、洋書などの書籍のほかに、オーダーメイドの背広やコート・バッグなどの大小さまざまな男の嗜好品が並んでいた・・。 

恰幅のよい紳士がバーバーリーのコートを試着する光景であったり、品のいい紳士が金縁の眼鏡や鼈甲の眼鏡をあてて鏡をのぞいていたり、学者風の人がモンブランやパーカーの万年筆を試し書きをしている姿を良く目にした・・。

洋書売り場では、英語がペラペラのような紳士が分厚い洋書を手にとって読んでいる姿は、高校生にとってすごくかっこ良く見えたのである・・。

・・大学に入れたら丸善に洋書を買いに来られるように勉強してみたいな~、僕たちもあんな紳士のように丸善で買い物してみたいな~と友人と話していたのを思い出す・・。


半世紀が過ぎて・・バーバリーのコートも愛用した時期もあったし、モンブランやパーカーの万年筆も手に入れたが・・いずれもあの日本橋の丸善で購入したものでなかった・・。

最近は業界の会合で新橋に行くことがあり、帰りに丸善に寄って本を購入する機会が増えた。現在は紳士物はごくわずかなスペースに小物を中心に展示されているが、地下階の眼鏡売場は大きなスペースを陣取っている。客層がなんとなく昔の雰囲気を漂わせているので、ここを訪れるといまだに懐かしい思いにふける・・。


先日業界の友人と3Fにあるカフェでビールを飲んで、地階に降りてきた時のこと・・ いきなりフラッシュバックした感覚におちいり ここで眼鏡を買ってゆこう!と思い立ってしまった・・。
・・ショーケースの中を覗いていると、恰幅の良い店員がやってきて椅子を勧められた・・。

・・この光景 あのころの高校生が見ていたあの紳士だ! と記憶がよみがえる・・。


購入した老眼鏡は・・5月3日の社員の結婚式で祝辞を述べるときに使うつもりでいる・・。  この眼鏡168.000円でした・・。




スキーシーズンの終わり

2014年04月24日 09時57分16秒 | Weblog
延べ31日間におよんだスキーシーズンの最終日は今年も丸沼スキー場!・・スキーの上達を定点観測するために毎年訪れている・・。

春スキーならではの朝のガリガリ雪面と気温が上がったシャーベット状のザクザク雪面・・昨シーズンよりも、雪質や滑走面の変化にもきちっと対応が出来ている。滑走の質が一段回グレードアップした実感を得た・・。

今シーズンは、11月にベトナム旅行中に右手首を骨折するアクシデントに襲われ、ギブスが外れたのが『たかつえスキー場』オープン10日前! 右手でストックをつくとビッリと筋が強張る絶不調の状況からのスタートとなってしまった・・。 

シーズンの前半は、コブ斜面や不整地の急斜面には一度もチャレンジすることが出来ずに、家族と一緒にスキーを楽しむ程度で過ごしたが・・後半は手首の状態も大分改善されて、スキーレッスンにも参加できるようになった・・。

シーズンの終盤になって、スキー場主催の技術選に参加するまでにモチベーションが戻ったことがうれしかった・・なんとか3位入賞を果たすこともできた・・。


5月のゴールデンウイークを前に、無事シーズンを乗り越えられて、ホッとした気持ちと、来シーズンに向けて体力アップを図らねばと、はやる気持ちを押さえ切れないでいる・・。