越谷フェンダーブログ

地球環境の為に車部品のリサイクルについて考えます。車の話や会社の裏話を公開します。

いのちの授業    

2013年04月02日 17時59分59秒 | Weblog
 春分の日 上野の寛永寺さんで頂いた『天台のしおり』で紹介されたお話です

いのちの授業

以前、聖路加国際病院理事長:日野原重明さんのお話をうかがう機会がありました。
百一歳を迎えた現在でも、現役の医師として患者と向き合う一方で、精力的に講和活動を行い全国を飛び回っているそうです。
その活動の一つに、小学生に向けた『いのちの授業』があり、とても印象に残るお話をされていました。

十歳くらいの子どもたちに『いのちってどこにあると思う?』と問いかけると、ほとんどの子が心臓に手をあてるそうです。
日野原さんは『心臓は、いのちを保つために血液を体に送る大切な役割を果たしているけれど、いのちそのものではありません。いのちは見えないし、さわれないもの。』と答えます。

では日野原さんの言ういのちとは、どういったものなのでしょうか?

日野原さんは子どもたちに『時間は見える?』と尋ねます。
『昨日の時間も、明日の時間も見えません。でも今日、寝たり、勉強したり、遊んだりするのは、きみたちが持っている時間を使っていますね。時間を使うことができるということが、きみたちが生きている証拠。つまり時間の中にいのちがあるのです。』
『いのち(時間)は空気と同じで目に見えないけれど、それを実感し、自分のいのちと同じように、他人のいのちを大切にしてくれたら、いじめやけんかはなくなるでしょう。』
『そして将来は、その時間(いのち)を自分のために使うのではなく、家族や友達など、他の人のために何かができる大人になってください』と語りかけるということでした。

日野原さんのお話を聞き、宗祖伝教大師の『悪事を己に向け、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり』という言葉を思い浮かべました。

いやなことは自分で引き受け、良いことは他人にわかち与える。自分をひとまずおいて、まず他人の人のために働くことこそ、本当の慈悲である、という意味です。

誰もが持っている大切ないのち(時間)をどう使えばいいのか、しっかりと考えたいものです。