建設会社に勤めていた頃 定年の日を迎えた先輩方を目にしていた。当時の定年は57歳位であった様に思える。
それまでずいぶんと『建て前論』ばかり言われる上司で、話がうまくかみ合わない点を不満に思っていた方が、『早川君 いろいろお世話になったね~』としみじみ言われ、深々と頭を下げられて挨拶をされた事があった。『あ~この人と仕事以外の話をしてみたかったな~』と後悔した思い出がある。
私がサラリーマン生活を送っていたら、多分本日がハッピーリタイアーの日になっていた。そして後輩達に仕事上での無遠慮をわびて・・第二の人生を送る事になったのである。
社長の立場にある身上を考えると、もう少し仕事が残っている・・会社の後継者をきちっと育て上げて、バトンタッチの準備を進める事である。
・・社員・パート社員から抱えきれないたくさんの赤いバラを頂いた・・・。
それまでずいぶんと『建て前論』ばかり言われる上司で、話がうまくかみ合わない点を不満に思っていた方が、『早川君 いろいろお世話になったね~』としみじみ言われ、深々と頭を下げられて挨拶をされた事があった。『あ~この人と仕事以外の話をしてみたかったな~』と後悔した思い出がある。
私がサラリーマン生活を送っていたら、多分本日がハッピーリタイアーの日になっていた。そして後輩達に仕事上での無遠慮をわびて・・第二の人生を送る事になったのである。
社長の立場にある身上を考えると、もう少し仕事が残っている・・会社の後継者をきちっと育て上げて、バトンタッチの準備を進める事である。
・・社員・パート社員から抱えきれないたくさんの赤いバラを頂いた・・・。
社員の皆さんから赤いバラを送られるなんて
ステキですね。
終生現役で私たちをご指導ください。
よろしくお願いいたします。