最近の厭な雰囲気で、亡くなられた作家の山口瞳さんを思い出した。
むずかしい本は苦手だが、
山口瞳さんの偏見と独断に満ちた覚悟の文章は楽しかった。
そうだ、そうなんだよな、とうなずいたり、
時に、にんまりしたり、時に、涙したこともあった。
山口さんが戦争や軍隊について書いた文があり、
あまりに強烈だったので、記憶に残っていた。
今回の件で、確かめたくて山口さんの本を開いてみた。
男性自身シリーズ(※)に 「私の根本思想」 という一文がある。
(※ 1963年~1995年まで、31年9ヶ月、
週刊新潮に1回も休むことなく連載されたマジメなエッセイです)
虫食いのように引用するのは気が引けますがお許し願います。
・ 山陰地方の山の中で終戦をむかえた。私は十八歳であり陸軍二等兵だった。
兵隊は睾丸を抜かれ、日本の婦女子は、すべて凌辱されるという噂が流れた。
・ 私は覚悟した。しかし、キンタマを抜かれるとはどういうことなのか、私にはまるで
見当がつかない。軍隊では「小隊長殿、キンタマを抜くということは、具体的に言うと
どういうことなのでありますか、その結果、どういうことになりますか」
といった質問は許されないのである。
私は、戦争に負けたのだから、そういうことがあっても仕方がないのだと思った。
殺されても仕方がない。戦争とはそういうものだ。
・ かりに、○○軍の兵士たちが、妻子を殺すために戸口まで来たとしよう。
そうしたら、私は戦うだろう。書斎の隅に棒術の棒が置いてある。
向こうは銃を持っているから、私は一発で殺されるだろう。
それでいいじゃないか。
それでいいという言う人は一人もいない。
だから、二兆九千四百三十七億円という防衛費が計上されることになる。
・ 私は日本という国は滅びてしまってもいいと思っている。かつて、歴史上に、
人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家が
あったということで充分ではないか。
そんなふうに考える人は一人もいないだろう。私は五十八歳になった。
これが一戦中派の思いである。戦中派といったって様々な人がいるわけで、
私は同じ考えの人に会ったことがない。
・ どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそう
とする国が存在するならば、そういう世界は生きるに値しないと考える。
私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。
いやー、何とも強烈な方だ。
今から28年前の発行だが、
こんな文を書いたら、抗議や脅迫が多く寄せられたことだろう。
司馬遼太郎さんに「命がけの僻論家」だと言われたという。
私の父は職業軍人だった。
准尉(少尉の一つ下の階級)で終戦になった。
貧乏農家の四男坊で、喰うために入ったのだろう。
35年前に65歳で亡くなった。
私が29歳の時だ。
父も敵を殺したかもしれない。
残虐なことをしたのか、しなかったのか。
無口な父だった。
私には、そのことについて聞く勇気が無かった。
一人の、ぼんぼん政治家が、
何かに取り付かれたように突っ走っている。
むずかしい本は苦手だが、
山口瞳さんの偏見と独断に満ちた覚悟の文章は楽しかった。
そうだ、そうなんだよな、とうなずいたり、
時に、にんまりしたり、時に、涙したこともあった。
山口さんが戦争や軍隊について書いた文があり、
あまりに強烈だったので、記憶に残っていた。
今回の件で、確かめたくて山口さんの本を開いてみた。
男性自身シリーズ(※)に 「私の根本思想」 という一文がある。
(※ 1963年~1995年まで、31年9ヶ月、
週刊新潮に1回も休むことなく連載されたマジメなエッセイです)
虫食いのように引用するのは気が引けますがお許し願います。
・ 山陰地方の山の中で終戦をむかえた。私は十八歳であり陸軍二等兵だった。
兵隊は睾丸を抜かれ、日本の婦女子は、すべて凌辱されるという噂が流れた。
・ 私は覚悟した。しかし、キンタマを抜かれるとはどういうことなのか、私にはまるで
見当がつかない。軍隊では「小隊長殿、キンタマを抜くということは、具体的に言うと
どういうことなのでありますか、その結果、どういうことになりますか」
といった質問は許されないのである。
私は、戦争に負けたのだから、そういうことがあっても仕方がないのだと思った。
殺されても仕方がない。戦争とはそういうものだ。
・ かりに、○○軍の兵士たちが、妻子を殺すために戸口まで来たとしよう。
そうしたら、私は戦うだろう。書斎の隅に棒術の棒が置いてある。
向こうは銃を持っているから、私は一発で殺されるだろう。
それでいいじゃないか。
それでいいという言う人は一人もいない。
だから、二兆九千四百三十七億円という防衛費が計上されることになる。
・ 私は日本という国は滅びてしまってもいいと思っている。かつて、歴史上に、
人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家が
あったということで充分ではないか。
そんなふうに考える人は一人もいないだろう。私は五十八歳になった。
これが一戦中派の思いである。戦中派といったって様々な人がいるわけで、
私は同じ考えの人に会ったことがない。
・ どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそう
とする国が存在するならば、そういう世界は生きるに値しないと考える。
私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。
いやー、何とも強烈な方だ。
今から28年前の発行だが、
こんな文を書いたら、抗議や脅迫が多く寄せられたことだろう。
司馬遼太郎さんに「命がけの僻論家」だと言われたという。
私の父は職業軍人だった。
准尉(少尉の一つ下の階級)で終戦になった。
貧乏農家の四男坊で、喰うために入ったのだろう。
35年前に65歳で亡くなった。
私が29歳の時だ。
父も敵を殺したかもしれない。
残虐なことをしたのか、しなかったのか。
無口な父だった。
私には、そのことについて聞く勇気が無かった。
一人の、ぼんぼん政治家が、
何かに取り付かれたように突っ走っている。
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