妻は胃ろう  手抜かり 老老介護

2007年9月、56歳、アルツハイマー病と診断
2018年1月、胃瘻造設手術
2023年9月、体調悪化

山口 瞳  さん

2014-07-02 11:37:07 | 日記
 最近の厭な雰囲気で、亡くなられた作家の山口瞳さんを思い出した。

 
 むずかしい本は苦手だが、

 山口瞳さんの偏見と独断に満ちた覚悟の文章は楽しかった。


 そうだ、そうなんだよな、とうなずいたり、

 時に、にんまりしたり、時に、涙したこともあった。



 山口さんが戦争や軍隊について書いた文があり、

 あまりに強烈だったので、記憶に残っていた。


 今回の件で、確かめたくて山口さんの本を開いてみた。


 男性自身シリーズ(※)に 「私の根本思想」 という一文がある。

 (※ 1963年~1995年まで、31年9ヶ月、

    週刊新潮に1回も休むことなく連載されたマジメなエッセイです)


  虫食いのように引用するのは気が引けますがお許し願います。


   ・ 山陰地方の山の中で終戦をむかえた。私は十八歳であり陸軍二等兵だった。

     兵隊は睾丸を抜かれ、日本の婦女子は、すべて凌辱されるという噂が流れた。


   ・ 私は覚悟した。しかし、キンタマを抜かれるとはどういうことなのか、私にはまるで

    見当がつかない。軍隊では「小隊長殿、キンタマを抜くということは、具体的に言うと
   
    どういうことなのでありますか、その結果、どういうことになりますか」

     といった質問は許されないのである。

     私は、戦争に負けたのだから、そういうことがあっても仕方がないのだと思った。

    殺されても仕方がない。戦争とはそういうものだ。

   
   ・ かりに、○○軍の兵士たちが、妻子を殺すために戸口まで来たとしよう。

    そうしたら、私は戦うだろう。書斎の隅に棒術の棒が置いてある。

    向こうは銃を持っているから、私は一発で殺されるだろう。

    それでいいじゃないか。

     それでいいという言う人は一人もいない。
   
    だから、二兆九千四百三十七億円という防衛費が計上されることになる。   


   ・ 私は日本という国は滅びてしまってもいいと思っている。かつて、歴史上に、

    人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家が

    あったということで充分ではないか。

     そんなふうに考える人は一人もいないだろう。私は五十八歳になった。

    これが一戦中派の思いである。戦中派といったって様々な人がいるわけで、

    私は同じ考えの人に会ったことがない。


   ・ どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそう

    とする国が存在するならば、そういう世界は生きるに値しないと考える。

    私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。



 いやー、何とも強烈な方だ。

 
 今から28年前の発行だが、

 こんな文を書いたら、抗議や脅迫が多く寄せられたことだろう。


 司馬遼太郎さんに「命がけの僻論家」だと言われたという。




 私の父は職業軍人だった。 

 准尉(少尉の一つ下の階級)で終戦になった。

 貧乏農家の四男坊で、喰うために入ったのだろう。

 35年前に65歳で亡くなった。

 私が29歳の時だ。

 
 父も敵を殺したかもしれない。

 残虐なことをしたのか、しなかったのか。


 無口な父だった。

 私には、そのことについて聞く勇気が無かった。



 一人の、ぼんぼん政治家が、

 何かに取り付かれたように突っ走っている。

 

 



 

 
 

 

 

 

    

    















    


 

 

 




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