相部屋で困ったのは、オシッコが近いので夜間に何回もトイレに行くことだった。
足音がしないようにこっそり歩くが、病室内のトイレのため
どうしても「流す音」が 響いてしまう。
皆さん俺より年配の方ばかりだったが、夜中に起きるのは俺だけだった。
トレーニングルームでの20分の自転車漕ぎと自主トレの廊下歩きを続けて
半月ほど経ったころ、先生からリハビリ専門病院へ転院の打診があった。
そういう専門病院があることを知らなかったが、もっと体力の回復が
必要と考え、転院することにした。
医大では術後は下帯だったのを覚えているが、いつパンツに切り替わったか
覚えていない。
日赤では肌着の着替えを娘に届けてもらった。
遠方から1日ががりで仕事を休んで来るので申し訳なかった。
シャワーは男女で曜日が決っていて(週2)、新しい病衣やタオルを
病室に持って来てくれた。
大きなシャワー室の真ん中にカーテンの仕切りがあり、
介助が必要な方と自分一人で出来る方とに別れていた。
医大では一人用のシャワー室を使ったことは覚えているが、
タオルや曜日がどうだったかは記憶にない。
医大での出来事(病室、食事、トイレ、テレビ、着替えなど)については、
痛みや苦しさが強かったせいか、あまり細かいことを覚えていない。
もともと物覚えが悪かったが、コロナ禍でみんなマスク顔なので
医師も看護師さんの顔も一人も思い出せない。