臨済禅中興の祖である白隠慧鶴の弟子で、「白隠あっての東嶺か東嶺あっての白隠か」といわれるほどの高僧になられた東嶺円慈。
禅師は齢仙寺檀家の薬種商中村善左衛門の子として生まれ、9歳で出家されました。
古月禅材に参じた後、白隠のもとに参じ、29歳の冬、白隠より印可(禅門の修業を極めたことを証する書)を与えられました。
晩年齢仙寺に、有縁無縁に拘らず万霊供養のための歯髪塔を建立され、この中には、白隠を始めその門下、禅師の両親、親族、禅師の信者である紀伊国屋門左衛門などの歯髪が納められています。
亡くなる前年には齢仙寺に居を定め、寛政4年(1792年)2月19日、僧俗を集めて最後の説法を行い、72歳の生涯を終えられました。
禅師は齢仙寺檀家の薬種商中村善左衛門の子として生まれ、9歳で出家されました。
古月禅材に参じた後、白隠のもとに参じ、29歳の冬、白隠より印可(禅門の修業を極めたことを証する書)を与えられました。
晩年齢仙寺に、有縁無縁に拘らず万霊供養のための歯髪塔を建立され、この中には、白隠を始めその門下、禅師の両親、親族、禅師の信者である紀伊国屋門左衛門などの歯髪が納められています。
亡くなる前年には齢仙寺に居を定め、寛政4年(1792年)2月19日、僧俗を集めて最後の説法を行い、72歳の生涯を終えられました。