今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

巴潟のランチちゃんこ

2005年12月09日 | 食べ物&飲み物

さて、ちょうどいい具合にお腹も空いて、待ち合わせの場所「巴潟」へ。 双葉山時代の力士、巴潟(ともえがた)が、年寄引退後、友綱部屋跡に開いたのが、ちゃんこ巴潟だそうです。
 
両国でちょっと有名な“あんこあられ”の「両国國技堂」の手前を左へ入ったところにあります。この“あんこあられ”は塩味のあられの上に餡子が乗っかっていて、食べ始めると意外なうまさが後を引きます。
ここのおかみさんは愛想があんまり良くないんですね。ニコリともしない。店頭でいろいろ迷ってると「早く買って帰ってくれないかなぁ」という気配を感じます(笑)。

「巴潟」のランチメニューは日替わりですが、◆840円(名前を忘れました)のちゃんこ ◆幕内1155円 ◆小結1470円 ◆関脇2100円のほかに、ちゃんこ以外もあります。わたくし、量が食べられないので、840円のちゃんこでいいかなと思っていたんだけど、結局デザート付きの◆小結にしました。

本日はソップ(鶏のガラでダシをとり醤油味ベース)炊きだそうで、全体にサッパリした印象。
写真を撮るのを忘れたけど、ちゃんこ鍋、ご飯、しらすおろし、切干大根の煮物、焼き鮭、香の物にシャーベット。その時はお腹いっぱいになったんだけど、もたれることもなく、数時間後にはキレイに消化しちゃったという感じでした。

ご飯とちゃんこを少し残してしまいました。やっぱり◆840円のランチで十分だったかな・・・。


ちゃんこの前に旧吉良邸

2005年12月09日 | Weblog
回向院を出て、東(錦糸町方面)へ向かうと  「本所松坂町公園」(両国三丁目)という標識がありました。
旧吉良邸はホントに小さな一角で、かつて2577坪あった屋敷の面影は全然ありません。

12月10日と11日には「元禄市」があるそうです。ポスターが貼ってありました。
  12月13日は「吉良祭」、討ち入りのあった14日は「義士祭」もあります。泉岳寺の義士祭もありますが、両国のほうがお祭っぽいようですよ。

  中に入ると、まずお稲荷さん。松坂稲荷大明神です。 大明神ですが、小ぢんまりとしてかわいいお稲荷さんです。

そして「首洗い井戸」
  吉良上野介の首を洗った井戸だそうです。

宮部みゆきの「平成お徒歩(かち)日記」というエッセイに、実際に明け方、旧吉良邸を出発し、義士たちとほぼ同じ道順で泉岳寺まで歩く・・・というのがありましたっけ。

私の勤め先の近くには、浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫の屋敷跡があります。そこには今、新正堂という和菓子屋さんがあり、「切腹最中」が有名です。あんこがタップリ入っていて口がしっかりしまらず、あたかも切腹したような形になっています。お詫びのシルシとしてお使い物にするお客さんもいらっしゃるそうで。

新正堂のある所は「港区新橋」ですが、昔の「田村町」の方がいいし、両国の旧吉良邸跡も「両国三丁目」より「本所松坂町」の方が風情があっていいのになぁ。

ちゃんこの前に回向院

2005年12月09日 | 食べ物&飲み物

お天気のいい金曜日。ランチを“ちゃんこ”でということで待ち合わせて両国へ。
私のほうが早く着くので、回向院(えこういん)まで足を延ばしてしばらくの間、境内を見学しました
  宮部みゆきの小説に「回向院の茂七」シリーズがあるのですが、私が時代小説にハマったのもここら辺あたりから始まったのかも。

回向院は江戸の「振袖火事」(明暦の大火)で亡くなった10万人以上の中で、特に身元の分からない無縁の人に祈りを捧げるために建てられたのが始まりだそうです。

境内に足を踏み入れてすぐ、左側に大きな「力塚」が見えます。
  相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっているようです。

さらに本堂を左に折れて、少し奥へ進むと「鼠小僧次郎吉のお墓」があります。
  ←正面。  ←ちょっと近寄ったところ。手前の白い墓石は削ったあとがたくさん。次郎吉が長年捕まらなかったことから、強運にあやかろうと墓石を削ってお守りにする人が昔から多く、今では受験生に人気とか。

回向院の近くには吉良上野介の屋敷跡があります。鼠小僧次郎吉のお墓をあとにして、回向院の裏口から通りへ出ました。