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手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

新たに生まれ変わって生きるということ〜「2021・主婦日記」の第22週目〜

2021-05-30 | 2021年の主婦日記
(↑蛇が苦手な方はご容赦を。ウォーキング途中に久しぶりに出会った蛇。青大将だと思います。息子は「動物園以外で初めて本物を見た!」と言っておりました。ザ・街の子です)





         




「輪廻転生」ということではないのです。


新約聖書のヨハネによる福音書3章3節に、

イエスは答えて言われた。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」

という箇所があります。


歳をとったニコデモという律法学者が、

イエスのもとを訪ねた時に、

イエスがおっしゃった言葉です。

ニコデモは、訳が分からず聞きます。

「歳を取ったものがどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎に入って生まれることができるでしょうか」と。


イエスは、肉体的なことではなく、

霊的な生まれ変わりについて話されたのでした。



内容の詳しい説明にご興味のある方は、

以下の横浜指路教会のメッセージをお読みください。




そのメッセージの最後の方の一部を切り取らせていただいたものがこれ。

・・・・ わたしたちは十字架の主イエスを見上げて、罪赦されて新しい命を歩むことを赦されているのです。   
 そして、そのキリストの命を歩むために、水と霊が、わたしたちを新しく生まれさせて下さいます。わたしたちは何をすることも出来ません。   
 
ただ、主イエスの十字架を見上げることだけです。この方が救い主であると、信じることだけです。神の恵みを喜んで受け入れることだけです。   
 それは同時に、自分の力で何とかしようとすることを止めることでもあります。それは、自分のすべてを、神に委ねていくことです。しかしそれは、神様がしてくれるから、自分が何もしなくなる、ということではありません。
自分の人生を神のものとして生きていく、神に喜ばれるように生きていく、ということなのです。   
 その時、わたしたちの目は、目の前の現実に塞がれることはありません。苦難や困難や悩みがあっても、死ということさえも、わたしたちの目を覆うことは出来ません。わたしたちの目は主の十字架だけを見上げ、自分の歩みが、命が、主イエスの恵みのもとにあること見るからです。   
 それが、新しく生まれるということです。 ・・・・・    



前日のブログで、

還暦以降を「これからは生き直し」と書きました。

この言葉が頭に浮かんだ時に頭にあったのが

一番最初に書いたヨハネによる福音書のニコデモとイエスの会話でした。


そして、この指路教会のメッセージを読ませていただいてて、

このメッセージの中に、

まさに今のわたしにドンピシャな言葉を見つけたのです。


「自分の人生を神のものとして生きていく、神に喜ばれるように生きていく」


本当にそうだなあと思いました。


これまでもそう思いながら生きてきたつもりでしたが、

今後はさらにそう生き直していきたいなと思いました。



もちろん今後も、

ミーハー気質満点のまんじゅう顔、

日々の生活は相変わらずすってんバッタン、

泣いたり笑ったり、

凹んだり飛び上がったりと

凸凹、山あり谷ありの人生に違いないと思います。


けれど、

「自分の一番下の部分、一番深い部分に、神様の手が差し伸べられている」ということを、

今一度確認した誕生日。

その神様の御手を日々感じながら、

今という時を受け止め生活していけたらと思いました。



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