和辻哲郎の『鎖国』を読み始めて数日。
少し前まで、スペインのメキシコ、ペルー侵略の部分を読んでいました。
とにかくひどいことをしたというのは知ってましたけど、
今回読んでいて気持ち悪くなった。
途中で読み進めるのをやめちゃった日もあったくらい。
どの時代にもこういうことはある、
どこの民族でもこういうことをやっていると言いたいところだけれど、
今、いろんな葛藤が自分の中にあります。
これまでスペインやポルトガルの当時のことは、
自分とは全く関係ないと思ってました。
国も違うし、時代も違う。
でも、クリスチャンとしての立場で、
同じ神様を信じてた人たちがやったこととなると、
自分とも繋がってくる。
「どうしてそうなる??」と言い返したくなる。
この本の話ではないですけど、
例えば日本のアジア侵略のことを取り上げても、
「過去の日本人のやったこと、今の自分たちではない」と思える人と、
「同じ血が流れている日本人がやったこと」と考える人とでは全然違う。
その時その時の大義名分があって、
自分のやっていることを正当化していくのは世の常、人の常。
でも、
どんな立場にいようと、
どんな信仰があろうと、
どんな時代に生きようと、
人である以上、
自分を価値のあるものとしつつも、
自分と同様他の人も同じ価値を持つ人と受け止め、
日々自分を相対化し、
歩んでいきたいし、そう生きるべきだと思います。
歴史を学ぶと、
そういう人間の性、業、罪が目の当たりにさせられ、
そして同時に、
自らの生きている時代、場所、立場が、
その大きな歴史の流れの一コマにすぎず、
自分の存在のちっぽけさを実感させられ、
謙虚さを学ばされます。
同時に、
時代に翻弄されながらも、
たくましく生きてきた名もなき先達の息遣いも感じ取ることができ、
同じく自分も弱さを持ちながらも、
前に向かって歩んでいこうという気持ちにもさせられ、
目の前のことだけにあたふたしないで、
生きることの大切さも学ばされます。
わたしが高校生の時代は、
世界史や日本史は選択科目になっていましたが、
今はどうなんだろう・・・。
やはりこういう勉強は、ただ最初だけをかじるだけでなくて、
全員がきちんと通して学んだほうがいいと思います。
歴史を学ぶって本当に大事です。
さらに話を広げて言えば、
最近は英語ばかりに注目がいってますけど、
古典や漢文はちゃんとやらなくなってきてる。
大学入試科目の選択から、
必要科目を取るような選択の仕方ではなくて、
高校終了までは、
全員が古典や漢文、現代文、歴史の習得をまず第一にして、
きちんとした教養を身につけることが大事なのではないでしょうか。
そこから真の愛国心も生まれますし、
グローバルな視点も身につけられると思うからです。
あ、
色々考えてると、
だんだん話が大きくなってしまいました。
大変失礼いたしました。
さて、
勉強のために使い始めた「紳士なノート」は、
ただいま28ページに入ったところ。
『鎖国』の方は、
いよいよ、(下)巻
内容的には後篇「世界的視圏に置ける近世初頭の日本」に入っています。
戦国の乱世を生きた日本人の賢さ、熱心さ、勤勉さ、謙遜さが
ぐんぐん伝わってきて、
ここでは逆に心強められるまんじゅう顔なのでした。
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