坂上田村麻呂創建の窟毘沙門堂別当寺
JR平泉駅から西へ県道31号線を走ること約6キロ、一関市との境近くにこの寺院はあります。
今から1200年ほど前、この地は蝦夷の頭、悪路王や赤頭、高丸等が達谷窟に要塞を構えて良民を苦しめ、女や子供を辱めるなど悪逆非道の限りを尽くしていました。
そこで、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、征伐の勅を下されました。そして、田村麻呂は激戦の末これを打ち破り平定。
「戦勝は毘沙門天の御加護」によるものと感じた田村麻呂は、延歴20年(801)にその御礼に九間四面の精舎を建立、108体の毘沙門天を祀って「窟毘沙門堂」と名付けました。
その翌年に窟毘沙門堂の別当寺として達谷西光寺が創建され、奥眞上人を開基として寺領が定められました。
その後、前九年の役のときは源頼義・義家親子が戦勝祈願のために寺領を寄進しています。また、奥州藤原氏によって七堂伽藍が建立されたとも伝えられています。
文治5年(1189)の奥州合戦で平泉を平定した源頼朝はその帰路に「窟毘沙門堂」に参詣したと『吾妻鏡』に記されています。
窟毘沙門堂内に入って驚かされるのが、堂内の内陣の天井に岩肌を利用しているところです。
毘沙門堂自体が洞窟を利用した堂になっているのです。
そのためか、あるいは御仏の御加護か、堂内は夏の暑い日でもひんやりとした空気が漂っています。
達谷西光寺には毘沙門堂の他に毘沙門堂西方に30メートルにおよぶ岸壁があります。
そこには、磨崖仏が刻まれています。
この彫刻は前九年の役や後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために、源義家が馬上から弓張をもって彫った仏像であると言い伝えられています。
【お問い合わせ】
眞鏡山 達谷西光寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字北沢16
TEL 0191-46-4931
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