元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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日大三高野球部小球史 創成期

2011年10月12日 18時47分16秒 | 日大三高校野球部 小球史
2011年
日大三高の3冠達成と言う素晴らしい偉業に際し
この機に日大三高野球部の歴史に触れて見たいと思います

高校で野球をしていた方は
誰でもご自分の母校に1番の愛着があるものです

・・・自分もそんな一人なのですが(笑)

そんなことから少々
母校ビイキな部分があるかと思いますがその辺はお許し下さい


ー日大三高野球部史 創成期ー

昭和4年、現在の日大三高の前身である赤坂中学校の野球部が創設されました。


当時、東京の中学校球界は、東京中等校野球連盟の加盟校も8校で甲子園出場はリーグ戦にて決定しており、
この時代の東京代表は「早実」と「慶応普通部」が交互に甲子園へ出表をしていたのです

また、8校以外の新設校は連盟への加盟が出来ず、赤坂中学、攻玉社などが主となり東都中等校野球連盟が発足
翌年の昭和5年には両連盟の優勝校が甲子園出場をかけて試合を行い、勝った方が甲子園に出場をしたのです

昭和6年には両連盟が合併されて東京府中等学校連盟が設立されたのでした


当初、赤坂中学時代の成績は、昭和4年の東都中学校野球大会で準優勝しています
また、この時の試合は早大の戸塚球場で行なわれいます

昭和5年には日本大学第三中学に改称
そして昭和6年に日本大学から鎌田彦一先生が日本大学第三中学に着任され、日大三中野球部が創部されました


昭和6年から昭和12年までの日大三中の夏の予選成績は下記になります
昭和6年 準決勝 早実 0-10
昭和7年 準決勝 慶応商工 2-7
昭和8年 決勝  慶応商工 0-3
昭和9年 決勝  早実 2-8
昭和10年 決勝 早実 2-7
昭和11年 準々決勝 日大一 2-6
昭和12年 準々決勝 慶応商工 2-3


この写真は昭和6年頃のもので場所は田園調布グランドになります
左端はコーチをされていた小島さんです
そして胸のマークは花文字の「SANCHU」になります


昭和9年9月、第2回関東大会出場時の新聞記事


昭和10年度卒業の先輩部員の方々。後列の中央が安達部長先生
胸のマークは「N」の花文字に変更されています

また創成期の首脳陣は次のとおりです
昭和6年 部長 直井、辻川/コーチ 小島 
昭和7年 部長 安達/コーチ 小島
昭和8年 部長 安達/コーチ 小島
昭和9年 部長 安達/コーチ 小島、阿部
昭和10年 部長 安達/監督 藤田/コーチ 小島、阿部
昭和11年 部長 鮎澤/監督 藤田
昭和12年 部長 鮎澤/監督 藤田/コーチ 小島


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