「野中総監督」が外国人初のインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任
凄いです
2007年4月7日、ジャカルタのスナヤン、インドネシアアマチュア野球連盟事務所にて監督就任の調印式が執り行われました。
今年の12月にタイで開催されるアジアンSEAゲームス(東南アジア競技大会)に出場をするインドネシア代表ナショナルチームを統括します。
野中総監督への就任依頼は、2005年5月のリトルリーグ設立における申請でジャカルタに出向いた時にさかのぼります。
この申請時に、野中総監督はスナヤンの野球場を訪れたのですが、丁度2005年のアジアンSEAゲームスに出場するインドネシア代表ソフトボールの練習が行われていたのです。
マシンを相手に打撃練習をしていたのですが、コーチらしき現地人に話しをして打たせてもらえることに・・・野中総監督がガンガン打ちまくったのです。
この時の現地人コーチがインドネシアアマチュア野球連盟の幹部(当時)だったのです。
無事にリトルリーグ設立の手続きを終え、バリ島に戻った野中総監督でしたが・・・
その後、この連盟の幹部が野中総監督のことを血眼になって探し回り、2006年2月にバリ島に野中総監督を尋ねてジャカルタからやってきたのです。
会談はデンパサールにレノンのブンデガというレストランで行なわれました。
{野中さん、探し回りました・・・唐突ですが、インドネシア代表監督に就任をして欲しいんです}
との、連盟幹部の問いに対して野中総監督は、こう答えたのでした。
{現在、バリ州代表の監督をやらせてもらっています。来年早々のインドネシア高校国体に向けてバリ州代表チームの練習も開始しているところです。ご存知のように自分はバリ島で生活をさせてもらい、バリ島への恩を感じています。
今、バリ州代表チームを見捨ることは出来ません。せっかくのお申し出でえすが、以上の理由からインドネシア代表監督は受けれません}
そして、この年のレッドソックス リトルのジャカルタ遠征時にも、この連盟幹部が会場に居た・・・
{是非とも、インドネシア代表監督就任の件を考えて下さい}
野中総監督の答えは{NO}
またまた、この数ヶ月後にジャカルタで開催されたクラブチームトーナメント(チーターズカップ)時でも・・・・
{野中さん、如何なものでしょうか??}
野中総監督の答えは{NO}
更に、その1ヶ月後のダブルAAアジア選手権大会時にも、臨時コーチを嘆願され、その時にも・・・
{是非とも、お願いしたい}
それでも野中総監督の答えは変わらなかったのです。
2007年1月、バリ島レノン公共頃場で開催されたインドネシア高校国体。
インドネシアアマチュア野球連盟の幹部がズラリと勢ぞろいをしていました。
そして、バリ州代表チームが念願の国体初勝利をあげた夕刻のこと、インドネシアアマチュア野球連盟のググン副会長からの会談が申し込まれたのです。
場所はラジソンサヌールホテルのロビー、コーヒーショップ・・・
{野中さん、バリ州代表チームの初勝利、おめでとう!以前からかわらね選手層なのに、素晴らしい向上を示してくれました。また、昨年のクラブチーム大会(チーターズカップ)でも日本的な緻密な野球を見せてくれ、脳裏に焼きついて離れません。
かねがね、野中さんにお噂は、ウチの幹部から聞いてました。
どうでしょう??野中さんの力でインドネシアの野球を変えてもらえないでしょうか?
インドネシア代表ナショナルチームの監督に就任して頂きたいのです}
バリ州代表チームに勝利を齎し1つの恩を返すことが出来たこと・・・
ググン副会長自らの嘆願・・・
{はい、分かりました!喜んで引き受けさせて頂きます!}
この瞬間、外国人初の・・・インドネシア代表ナショナルチーム監督が誕生したのだった
凄いです
2007年4月7日、ジャカルタのスナヤン、インドネシアアマチュア野球連盟事務所にて監督就任の調印式が執り行われました。
今年の12月にタイで開催されるアジアンSEAゲームス(東南アジア競技大会)に出場をするインドネシア代表ナショナルチームを統括します。
野中総監督への就任依頼は、2005年5月のリトルリーグ設立における申請でジャカルタに出向いた時にさかのぼります。
この申請時に、野中総監督はスナヤンの野球場を訪れたのですが、丁度2005年のアジアンSEAゲームスに出場するインドネシア代表ソフトボールの練習が行われていたのです。
マシンを相手に打撃練習をしていたのですが、コーチらしき現地人に話しをして打たせてもらえることに・・・野中総監督がガンガン打ちまくったのです。
この時の現地人コーチがインドネシアアマチュア野球連盟の幹部(当時)だったのです。
無事にリトルリーグ設立の手続きを終え、バリ島に戻った野中総監督でしたが・・・
その後、この連盟の幹部が野中総監督のことを血眼になって探し回り、2006年2月にバリ島に野中総監督を尋ねてジャカルタからやってきたのです。
会談はデンパサールにレノンのブンデガというレストランで行なわれました。
{野中さん、探し回りました・・・唐突ですが、インドネシア代表監督に就任をして欲しいんです}
との、連盟幹部の問いに対して野中総監督は、こう答えたのでした。
{現在、バリ州代表の監督をやらせてもらっています。来年早々のインドネシア高校国体に向けてバリ州代表チームの練習も開始しているところです。ご存知のように自分はバリ島で生活をさせてもらい、バリ島への恩を感じています。
今、バリ州代表チームを見捨ることは出来ません。せっかくのお申し出でえすが、以上の理由からインドネシア代表監督は受けれません}
そして、この年のレッドソックス リトルのジャカルタ遠征時にも、この連盟幹部が会場に居た・・・
{是非とも、インドネシア代表監督就任の件を考えて下さい}
野中総監督の答えは{NO}
またまた、この数ヶ月後にジャカルタで開催されたクラブチームトーナメント(チーターズカップ)時でも・・・・
{野中さん、如何なものでしょうか??}
野中総監督の答えは{NO}
更に、その1ヶ月後のダブルAAアジア選手権大会時にも、臨時コーチを嘆願され、その時にも・・・
{是非とも、お願いしたい}
それでも野中総監督の答えは変わらなかったのです。
2007年1月、バリ島レノン公共頃場で開催されたインドネシア高校国体。
インドネシアアマチュア野球連盟の幹部がズラリと勢ぞろいをしていました。
そして、バリ州代表チームが念願の国体初勝利をあげた夕刻のこと、インドネシアアマチュア野球連盟のググン副会長からの会談が申し込まれたのです。
場所はラジソンサヌールホテルのロビー、コーヒーショップ・・・
{野中さん、バリ州代表チームの初勝利、おめでとう!以前からかわらね選手層なのに、素晴らしい向上を示してくれました。また、昨年のクラブチーム大会(チーターズカップ)でも日本的な緻密な野球を見せてくれ、脳裏に焼きついて離れません。
かねがね、野中さんにお噂は、ウチの幹部から聞いてました。
どうでしょう??野中さんの力でインドネシアの野球を変えてもらえないでしょうか?
インドネシア代表ナショナルチームの監督に就任して頂きたいのです}
バリ州代表チームに勝利を齎し1つの恩を返すことが出来たこと・・・
ググン副会長自らの嘆願・・・
{はい、分かりました!喜んで引き受けさせて頂きます!}
この瞬間、外国人初の・・・インドネシア代表ナショナルチーム監督が誕生したのだった