今まで・・・
一度も・・・
スラバヤと言う・・・
都市について・・・
説明をしていなかったので・・・
ちょっとばかり簡単に・・・
記してみたいと思います・・・
-オランダ統治時代の建築物が今でも残っている-
スラバヤは・・・
首都ジャカルタに次ぐ・・・
インドネシア第2の都市・・・
人口は約300万人で・・・
東ジャワ州の州都になります・・・
またインドネシア国内でも・・・
華僑の方々が多く在住しているのが特徴です・・・
タンジュンペラック港を中心とし・・・
オランダ植民地時代から貿易の中心として・・・
栄えた都市で・・・
現在はインドネシア最大の港湾・・・
また、最大の軍港でもあるのです・・・・
砂糖、タバコ、コーヒーなどを輸出し・・・
チャイナタウンやアラブ街もあります・・・
15世紀から16世紀にかけては・・・
イスラム系のスルタン国が存在し・・・
ジャワ島東部の政治的、軍事的拠点でした・・・
オランダ植民地時代には・・・
商業港として発展したのですが・・・
太平洋戦争中の1942年に日本軍が占領・・・
※1945年日本の降伏後10月25日に上陸した英軍第49旅団と
インドネシア独立派の間で戦闘が発生しこれがインドネシア独立戦争の発端となる
※その後インドネシア独立派が占拠しましたが1947年に再びオランダ軍に
占領されてしまい、1949年にようやくインドネシア共和国に編入されたのです
またスラバヤは・・・
スカルノ初代大統領の故郷でもあり・・・
1997年4月17日には高知市と姉妹都市を提携しています・・・
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街中を見てみると・・・
ショッピングモールも・・・
首都ジャカルタにも引けをとらない・・・
モールの内部も・・・
もの凄く綺麗です・・・
更に・・・
オランダ軍統治下時代の・・・
趣のある建築様式が多く残っており・・・
歴史の深さを感じさせられます・・・
大通りの地下には・・・
オランダ軍が物資輸送の為に造った・・・
トンネルが未だに眠っているとか・・・
また・・・
数あるホテルの中でも・・・
近代化ホテルを抑え・・・
人気ナンバー1番は・・・
マジャパヒト ホテル・・・
気品と情緒が漂う・・・
オランダ統治時代のコロニアホテルです・・・
マジャパヒトと言えば・・・
・・・マジャパヒト王国
1293年から1478年まで・・・
ジャワ島中東部を中心に栄えた・・・
インドネシア最後のヒンドゥー教王国
最盛期には・・・
インドネシア諸島全域と・・・
マレー半島やフィリピン南部にまで・・・
その影響力を行使したとされる王国・・・
そのマジャパヒト王国のあった場所は・・・
スラバヤ市内から西南へ車で約一時間半・・・
田んぼやサトウキビ畑が広がる・・・
モジョクルト市西郊のトロウランという場所・・・
ここにマジャパヒト王国の都があったとされています・・・
1817年に刊行された・・・
スタンフォードラッフルズの著書「ジャワの歴史」にも・・・
トロウランが登場し密林の中に埋もれた・・・
遺跡のスケッチとともに紹介されています・・・
一大栄華を築いた・・・
マジャパイト王国も・・・
スラバヤ市近郊の・・・
トゥバン市・・・
グレシク市などが・・・
だんだんと・・・
マタラム王国の・・・
イスラム教国のが成立し・・・
徐々にマジャパヒト王国は・・・
衰退、そして滅亡して行く訳ですが・・・
この時・・・
ヒンドゥー教から・・・
イスラム教への改教を・・・
拒んだ人たちが・・・
バリ島へと逃れて行ったのです・・・
従って・・・
現在バリ人と称される人達は・・・
この東ジャワ州のマジャパヒトから・・・
移住してきた人達が多いのです・・・
この様に・・・
スラバヤという都市は・・・
インドネシアの歴史上から見ても・・・
非常に大きな意味のある場所なんですね・・・
・・・で
最後に・・・
肝心の野球はどうかと言うと・・・
野球よりも・・・
ソフトボールが盛んな地域です・・・
男女ともに・・・
過去多くのナショナルチームメンバーを・・・
東ジャワ州スラバヤ市から輩出しています・・・
ちなみに・・・
現インドネシア代表男子ソフトボールチームの・・・
エース投手と2番手投手はスラバヤからの選手・・・
また次期レギュラー捕手も若干17歳の東ジャワ州スラバヤ市の選手・・・
そして・・・
スラバヤ市の隣のシドアルジョ市ですが・・・
バレーボールも強いです・・・
ソフトボールの様に・・・
野球が点火するのは・・・
おそらく3年後くらいになるでしょう・・・
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