‐2009年 当時のスポーツ大臣訪問とスポンサーチームが発足‐
実は・・・
2009年の・・・
アジアカップ参戦時に・・・
今回の様に・・・
日系企業様からの・・・
支援を受け賜りました・・・
また・・・
その受け皿として・・・
"野中監督を囲む会"
という・・・
支援スポンサーの・・・
チームも発足をして頂き・・・
2010年からの・・・
必要予算組みを始めとし・・・
インドネシア野球向上の・・・
1つの柱となる動きが始動・・・
‐日本からもエモやん、そして山崎拓先生のご協力を受け賜る‐
‐念願の第8回 アジアカップ優勝 前連盟会長と‐
‐アジアカップ優勝後の祝賀会 主要スポンサーチームの方々と‐
その中には・・・
今年度・・・
遂行をした・・・
独立リーグへの挑戦・・・
これから試みる・・・
日本の大学などでの・・・
野球修行プログラム・・・
関連する・・・
コーチ修行プログラム・・・
更には・・・
日系企業様への・・・
選手の就職願いなど・・・
これら全てが・・・
含まれていたのです・・・
しかし・・・
2009年暮から・・・
2010年初頭にかけて・・・
当時の・・・
連盟幹部数名が・・・
これらの・・・
扉をこじ開ける・・・
自分に対しての妬み・・・
更に最悪・・・
なのは支援金までを・・・
私物化する・・・
動きを見せてきたのでした・・・
その結果・・・
自分は・・・
大使閣下を始め・・・
各日系企業様へ・・・
事情説明とお詫びを入れ・・・
段取った全てを白紙とし・・・
自らも・・・
代表監督を辞任・・・
その後・・・
2014年まで・・・
代表チームに・・・
関する一切の動きを・・・
ペンディング状態にし・・・
2015年の1月・・・
中途半端になっていた・・・
今回の動きを再開したのでした・・・
これは・・・
インドネシア・・・
野球向上の全て・・・
ではありませんが・・・
この動きが・・・
1つの柱として・・・
2009年暮れから・・・
2010年初頭には・・・
既に・・・
始動していたのは確実・・・
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この・・・
5年間の・・・
もたつきは・・・
先の・・・
東アジアカップを・・・
見ても明確に映し出されており・・・
他国のジュニア層と・・・
自国のジュニア層では・・・
はるかに他国が勝っており・・・
ジュニア層の・・・
育成向上を妨げています・・・
2009年当時の・・・
連盟幹部数名の・・・
したたかな思考性が・・・
インドネシア野球を・・・
犠牲にしたと言っても・・・
けっして過言ではありません・・・
‐2015年スポンサーのポカリスエット大塚製薬インドネシア様‐
‐同じくシャープ エレクトロニクス インドネシア様‐
‐そして2016年ジャカルタジャパンクラブ理事長 丸紅インドネシア様‐
2917年のアジアカップ・・・
2018年のアジア競技大会・・・
2009年のアジアンSEAゲームス・・・
これらの・・・
国際大会に向うにあたって・・・
全ての・・・
プログラムが・・・
円滑に遂行出来る様・・・
連盟の思考が・・・
最大の鍵になります・・・
もし・・・
今回も外したらならば・・・
インドネシア野球の・・・
向上は大幅に遅れます・・・
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一度の中断を経て、5年後に支援プロジェクトを再開
この5年間のブランクはとても大きな壁でした・・・
形になるのか?駄目なのか?そんな暗中模索の中において
多くの日系企業の社長様からのご支持を受けながら何とか
来れたのが本音であります・・・そして、これからも・・・