元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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他、歴代監督の特徴

2011年10月25日 17時18分50秒 | 日大三高校野球部 小球史
8代目 鈴木吉三郎監督
昭和41年―昭和43年

鈴木吉三郎監督の時代には
昭和44年卒の小枝守先輩(元日大三高監督、現拓大紅陵高校監督)が在籍しておられました



鈴木吉三郎監督と山田隆夫監督

11代目 山田隆夫監督
昭和48年―昭和51年

オリンピック強化選手のような科学トレーニングを導入
自分たちの代の時は部長先生をされており、あだ名は「山部(やまぶ)」
非常に威圧感があり怖かったです””

山田隆夫監督の時代には、昭和49年卒の豊田誠佑先輩(元中日ドラゴンズ/前列右端)


そして、昭和50年卒の小倉全由先輩(現日大三高監督/前列右から2番目)が在籍されていました。



12代目 小枝守監督
昭和51年-昭和56年

アポロ飛行士のトレーニング方法を導入
理論的には初動負荷運動トレーニングに近い原理のトレーニングでした
日大野球部1年生の時から学生コーチに就任され、下積みが最も長く、特徴度抜群の歴代監督の参謀をされていました
・・・さぞかし、大変だったとお察し致します

何でもこなし、非常に器用な監督さんです

理論派でもありノックが絶妙!
ホームからレフトポールを狙って見事にボール当てる離れ技には唸りを抱いたものです

{最後のランニングの数を「このポール当」で、小枝守監督と賭けをして見事にやられた思いがあります
あと、キャッチャーフライの滞空時間が長すぎて首が吐き気と筋痛を興した記憶が懐かしいです・・大笑}

小枝守監督の時代には昭和56年卒の福王昭仁選手(元読売ジャイアンツ/写真中央)が在籍しています。


また
日大三高監督後は拓大紅陵監督に就任され無名の拓大紅陵を千葉のリーダー格にまで押し上げた
甲子園初出場は昭和59年ですが、いきなりのベスト8に進出。桑田・清原のPL学園には敗れはしたが
夏の千葉大会も制し、春夏連続出場を果たしました

昭和61年、昭和63年には東日本最強とまで言われるほど
完成度の高い大型チームを作り上げ平成4年には夏の甲子園で準優勝を果たされていらっしゃいます


13代目 田嶋利昭監督
昭和56年―昭和59年

昭和30年代前半の黄金期に並木先輩と一緒にご活躍された方です
この田嶋利昭監督の時代には昭和57年度卒の宮内昌己選手(元中日ドラゴンズ・他)が在籍していました(写真後列右端)

覚えていらっしゃる方も多いと思いますが
「プロ野球珍プレー好プレー」で元読売ジャイアンツのクロマティー選手と「乱闘」になった速球派の投手です



でわ、いよいよ
最後に名監督「第16代目 小倉全由現監督」に移行します


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