元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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外国人監督の•••日大三高〜西東京都大会初戦敗退の1978年の夏

2023年07月22日 10時47分00秒 | 日大三高校野球部 小球史

東西•••

東京都大会や•••

他の地方大会で•••


強豪と位置付け•••

られているシード校が•••

相次いで敗退をしていますが•••


1978年のこと•••

シード校で出場をした•••


夏の•••

西東京都大会での•••

日大三高もそうでした•••


この年の日大三高は•••

優勝候補にもあがっており•••


5回勝てば•••

甲子園出場という•••

西東京都大会の組み合わせ•••


チーム力は•••

3枚の投手陣が万全で•••


打線もそこそこの•••

破壊力を備えていました•••


しかし•••

失策が絡んで2-1で敗退•••


写真は1978年の日大三高(上段右端が自分)


当時の日大三高は•••

夏の西東京都大会前の6月に•••


最後ののしと呼ばれる•••

個人ノックが行われており•••


身体の疲労が回復しないまま•••

予選を迎える状況だったのです•••


長い三高野球部の•••

歴史をみてみてもこと•••

夏の甲子園出場はわずか•••

過去5回しかなかったのです•••


また•••

練習試合を組む際•••

相手の高校を日大三高の•••

グランドに招くことが大半•••


遠征に行ったのは•••

3回程度しかありません•••


これは•••

練習試合終了後に•••

即練習を可能にする為です•••

内弁慶で場慣れがしていな•••


そして軟投派や•••

技巧派が不得意だった•••


大概にして相手投手に•••

ハマってしまうのはこの•••

手のたぐいがほとんどでしょう•••


•••疲労回復

•••大会の初戦

•••身体の動きも鈍い

•••シード校の重圧もある

•••軟投派技巧派への対応

•••相手高校の位置付け等


必ずしも•••

前評判が高いチームが•••

勝てるとは限りませんね•••


波乱とか•••

番狂せとかではなく•••


勝ったチームが強くて•••

負けたチームが弱いのです•••

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