K.Kの日記(鉄道・バスRoom付属ブログ)

鉄道・バスRoom管理人K.Kのブログ
気になる鉄道・バス・車ネタを掲載しています。

夏の旅行記4

2012年08月31日 16時55分00秒 | 旅行記
旅行記その4。

行程の後半に差し掛かる8月20日は、前日の晩から新潟発「ムーンライトえちご」のお世話になり、大宮で下車しました。

この日は宮城県の松島・石巻地区を訪れるという計画。
先の震災で大きな被害を受けた地域を見てこようと思い、大宮を起点に足を延ばしました。
8月20日月曜日


大宮駅で一度下車し、この日最初の食事を取ることにしました。
前の記事でも書きましたが、前日の朝におにぎり、前々日の夜(函館出発前)にネットカフェで丼モノを口にしただけ・・ということで、そろそろ栄養不足(?)によるめまいが起こりそうな程お腹が空いていたので、駅前の牛丼屋に直行しました。これだから一向に成長しないんだろうなあ・・
空腹時の丼モノって、特盛サイズでやっと「ちょうど良い」と言う感覚になってしまいます。

再び大宮駅構内に戻り列車を待つのですが、さすが駅撮りの定番スポット、5時過ぎという朝早い時間帯ながら何本かの列車を見かけました。

▲EH500形機関車。西日本でよく見かけるEF210の交直両用版・・といった存在のようで、首都圏以北の電化区間でよく見かけます。

▲何故か駅構内にずっと止まっていた京葉線仕様の205系。分かってはいても、首都圏だと205系は古参車扱い。

<大宮0536→宇都宮0651 東北線521M>
乗車車両:モハE231-1037

▲この日一番にお世話になるのは、東北線のE231系。

<宇都宮0656→黒磯0747 東北線1529M>
乗車車両:クハ210-1010
ここは画像無し。下り列車ですが乗車率はけっこう良かったです。

<黒磯0754→郡山0901 東北線2127M>
乗車車両:クハ700-1515

▲西日本に住んでると意識が薄くなるのですが、黒磯で直流区間と交流区間が入れ替わります。ここからは再び701系のお世話に。黒磯以北まで来れば気軽に701系の走りっぷりを楽しめます。

<郡山0927→福島1014 東北線1133M>
乗車車両:クモハ719-42

▲ステンレスの国鉄型、719系。東北でも太平洋側の地域でしか見られません。

福島駅からは、行程の都合上「高速バス」のお世話になりました。
ということで福島駅で改札を出て、バス乗り場へ直行。見知らぬ駅での6分乗り継ぎ。さすがに気持ちが焦りました。

<福島駅東口1020→仙台駅前1130 (高速バス)仙台福島線>
乗車車両:福島200か10-73 福島交通 三菱ふそうエアロエース

▲福島県下で大きな規模の福島交通。路線バスから貸切バスまで共通の塗装を採用していることが有名ではないでしょうか。

いわゆる近場の都市間高速バスに当たるこの路線。乗車率もなかなか良いようで、私が乗った便では各座席の窓側が全て埋まる程度の利用がありました。
ちなみに運賃は1,000円。在来線よりは速く、快適に移動できるのが高速バスならではの嬉しさですね。

▲車窓風景。東北道を北へ進みます。

無事に仙台駅に到着したのですが、バスは10分程度の遅れで仙台駅に到着。到着予定11:30、次に乗る東北線の列車が11:41発で、既に間に合わない状態だったので、ここからは仙石線で移動します。


▲仙石線の路線案内図。震災の被害により、一部区間が不通となっています。

<仙台1207→松島海岸1237 仙石線3235S 快速>
乗車車両:モハ204-3103
仙石線は4連化改造された205系が活躍しています。仙石線は意外と本数が多く、利便性が高くなっているようです。


▲松島海岸駅に到着。これより北の区間が不通状態です。

ここからは、仙石線代行バスに乗車し、引き続き石巻方面へ向かいます。


※以後、石巻市内と周辺で撮影した被災建物や、それに関わる風景の画像を掲載しています。


<松島海岸1248→矢本1327 仙石線代行バス>
乗車車両:宮城200か17-98 日本三景交通 富士7S+日産ディーゼル

不通区間の代行バスは、地元事業者が協力して運行を行っているようです。ここでは18きっぷ等のフリー切符は使えない(参照:東日本旅客鉄道仙台支社・運行案内 乗車券・定期券で乗車可能)ので、同区間の切符を購入しています。

バスに乗り込み、初めに映るのは松島の海に浮かぶ島々の風景と、観光客向けの商店街。松島近辺は地形上、震災の目に見える被害が比較的少なかったようで、商店街もずっと前に訪れた時と変わらない、活気のある様子を見受けられました。

しかし、松島エリアを離れ、海岸線に沿って走る地域へ入ると風景が変わります。

▲最初はよく分かってなかったのですが、雑草の延びる空き地の多くはきっと「建物があった場所」。何軒か写る建物も、被害の爪痕がそのままの状態になっています。
ちなみに、青っぽく写っているのは窓ガラスの着色フイルムによるものです。


▲仙石線の野蒜駅。代行バスでの移動中、この近辺では特に多くの被災の跡を見かけました。

▲仙石線も被害を受けつつも、復旧工事が進められているようです。


▲矢本駅へ到着。ここからは石巻駅まで、鉄道線の運行が行われています。
<矢本1335→石巻1350 仙石線7325D>
乗車車両:キハ110-243

▲ここはディーゼルカーが運用に入っているようです。この車両は2+1人掛けシートが並ぶ、特殊なシート配置になっています。

そして、石巻の駅に到着。

▲石巻駅に掲示してあった、津波の高さを示すステッカー。石巻駅近辺は、腰辺りの高さまで浸水したようです。

ここでは二時間ほどの時間があるので、石巻市内を周りました。


▲再びレンタサイクルのお世話に。今度は慣れ親しんだ変速機付ママチャリタイプで、荷物もコインロッカーに預けたので快適な走りでした。

まずは沿岸部を目指して走ります。

▲駅近くの商店街。復旧して営業中の店舗、片付け途中と見られる店舗が混在していました。


▲旧北上川の沿岸まで来ました。橋の欄干が歪んでおり、ここでも被害を受けた様子を見受けられます。



以前、地元のRCCラジオの番組でアナウンサー取材の被災地ドキュメント番組や体験談の放送をやっていたのですが、その中で石巻市内でもある区画を境に建物が残っている地域と甚大な被害を受けた地域が分かれる・・という話を耳にしました。
どんな様子なんだろうと思いつつ周っていると、地形の影響があるのか、確かにそうした光景の通りとなっている地域を見かけました。

さらに走っていくと、石巻湾沿岸部に到着しました。
ここで休憩がてら、自動販売機で飲み物を買ったのですが・・

▲ふと脇にあった機器庫?のようなもの。これもきっと、津波の影響を受けたのでしょう。

▲海岸線沿いに走る宮城県道240号。

そして、再び旧北上川に掛かる大きな橋を渡ると。


▲突如現れた車の山。何だろうと思って近づくと、これも震災の被害を受けた車でした。

▲長らく海水に浸かっていたのか、貝殻が無数にひっついた車。

▲少し浸かったのかな、という車があれば原型を留めていない車も。


▲道路を挟んだ先には、鉄骨のようなものを高く積んだ区域が。看板や車の大きさと比べても、高さが分かるのではないかと思います。


▲沿岸部から再び石巻駅(北方面)方面に向いて移動します。




▲いずれも、同じ地点から撮影。


▲後に地図で調べてみると、元々コンビニだった建物のようです。


▲こちらは小学校。


▲現地の人の感謝でしょうか。痕跡が多く残る一方、このような立て看板も多く見かけました。

▲川土手沿いでの撮影ですが、この近辺も痕跡が多く残っています。


▲路面には応急処置をした、と思われる部分が。


▲こちらはミヤコーバスの石巻営業所。石巻駅方面に戻るつもりが行き過ぎてこんなところへ。たまたま事前に調べていた営業所に行き当たって良かった・・(--;

▲やはり、この辺りのバス車両も被害を受けた車両が多く存在するとのこと。一方、様々な地域からの車両提供が行われ、石巻の街を支えているようです。こちらでは元都営バスと元名鉄バスと思われる車両を見かけました。名鉄バスは塗装がそっくりで、よく馴染んでいます。

ちなみにミヤコーバスは、広交タクシーでかつて活躍していたエアロミディ(広交→ボンバス越後交通の車両と同期)を遠路はるばる中古導入したそうですが、それらしい車両は見当たりませんでした。実は以前、その車両に出会えることを狙って計画を立てた事もありましたが、元々古い車で情報もあまり無かっただけにどうなったことやら。

さっと車庫外での撮影を済ませ、石巻駅へ戻りました。

▲石巻駅で見かけた植木鉢。けっこう細かいところにこだわりを感じられます。

僅かな時間ながらも石巻市内を周り、ここからはまた首都圏を目指して戻りました。
<石巻駅前1540→仙台駅前1655 高速バス仙台石巻線>
乗車車両:宮城200か21-64 ミヤコーバス 三菱ふそうエアロバス

▲石巻から仙台駅までは、再び高速バスのお世話になります。塗装そのまま、名鉄バス出身の車両だそうです。反射板が見えますが、MS8系で最新のグループになるPJ-規制の車ではありません。

▲後ろはこのとおり。マフラー左出しというとフロントフェイスが少し改められた、中堅世代KC-規制の車?

▲また車内から前面展望。基本的に後ろの方の座席が好きな私なのですが、今回もほぼ満席状態で、最後列中央の座席をなんとか確保。

▲最後列の強み、後方の景色。後ろに付いているセレガは、東日本急行の車両のようです。

仙台駅からは再び東北線を乗り継いで大宮へ戻り、大宮からムーンライトえちごに乗る・・と言う予定でしたが、途中高速道路に入った地点で「終点仙台駅まではおよそ一時間...」というアナウンスが。
アナウンスがあった時間を見てみると、どうも定刻より遅れそうで予定の列車に乗れそうもなかったので、時刻表で変更案を色々練りました。

米坂線や磐越線経由での新潟入りはどうだ?と思い列車を辿ると見事に途中駅で最終列車が止まり、新幹線ワープは高く付くし、常磐線も不通区間があるし、両毛線経由で高崎で「えちご」に追いつけるか・・などと考えつつ、結局実現可能だった案は

「ムーンライトえちごを諦め、都内入りして夜を明かし、翌朝は中央線経由で帰る」

・・という行程でした。
えちごに乗れないのはちょっと残念だったものの、どっちみち新潟から中央本線を経由で帰る予定で、都内入りだと本来予定していた翌日の入浴計画を前倒しでき(しかも余裕時間たっぷり)、東京起点なので移動にも苦労しない、という利点があったためこの行程を採用することにしました。

予想通り10分ほどの遅れで仙台駅に到着し、再び18きっぷのお世話になるのでした。
意外と都市間のバスって遅れが出やすいなあ・・と気づいた旅行でした(^^;

<仙台1805→福島1928 東北線590M>
<福島1945→黒磯2148 東北線2154M>
乗車車両:クモハ701-1506
福島駅到着後も同じ車両が黒磯行きになるということで、3時間40分の間お世話になった車両。福島って書くと、大阪環状線のように見えます。


▲福島での停車時間に、乗られなくなった「ムーンライトえちご」の指定券をキャンセル処理。西広島駅(JR西日本管内)でクレカ購入した指定券を持っていた今回の場合、福島駅(JR東日本管内・他社の窓口)では払い戻し処理が行えない為、座席だけ空席にして払い戻し処理は購入会社の窓口で行う「払戻申出」の処理を受けました。同様に「乗変申出」の対応もあるそうで。

<黒磯2153→宇都宮2241 東北線1592M>
乗車車両:サハ211-3066
ぼちぼち引退する車両が現れ始めた211系。ここではロングシートの車両に乗車。

<宇都宮2242→大宮2357 東北線2544M>
乗車車両:モハE231-1533
続けて画像無しですが、どうかご勘弁を。「墜落インバータ」の音を楽しみつつ、埼玉まで戻ってきました。ちなみにこの2544Mは、東北線上り列車の最終列車。乗り換え案内では、時刻に注意する旨の注意放送がしきりに行われていました。

<大宮2358→田端0033 京浜東北線2315C>
乗車車両:サハE233-1014
乗車中に日付が変わりますが、京浜東北線の最終列車で都内へ進みます。18きっぷの「電車特例区間」の特例が適用され、首都圏エリアについては一日分のきっぷが終電まで切符が有効となります。


▲田端駅にて。首都圏で最終に乗るなんて、これまでありそうでなかったような。

<田端0055→池袋0105 山手線2420G>
乗車車両:モハE230-513
いよいよ最後の列車。これも山手線の最終列車です。最終列車ということで1時前の時間ながら多くの乗客が乗っていました。郊外へ行く列車ならともかく都心をぐるぐる回る山手線で、いったいどこへ行くのでしょう。

▲一日の輸送を全て終えた山手線のE231系。せっかくなので車内の写真でも撮ろうかと思いましたが、居眠りしている人が多く思うようにいきませんでした。


▲1時過ぎの池袋駅前。何でこの時間に路線バスが?と思うと、埼玉方面へ行く深夜バスでした。深夜バスは特定の車両が運用入りするパターンが多いそうで、この国際興業の深夜バスもメトロ窓・長尺・ハイバックシートという東京らしからぬ仕様が採用されていました。
私が広島でもいわゆる旧市内在住で中心部から近いという土地柄、夜遅くなれば「タクシー乗ればいいじゃん」という考えがありますが、長距離移動の多い首都圏では、タクシーよりは安上がりな深夜バスが重宝されるようです。

池袋ではネットカフェに入り、疲れを癒したり帰りの行程を組み直しながら翌朝までの時間を過ごしました。


次回の旅行記では、いよいよ旅行最後の行程、広島に帰るまでの様子を載せていきたいと思います。

夏の旅行記3

2012年08月27日 21時27分00秒 | 旅行記
旅行記その3。函館観光を終え、寄り道しながら新潟方面へ向かいました。
8月19日日曜日

この日は函館を朝一番に出る列車に乗り込み、函館の街を後にします。
6時過ぎの列車に乗るべく、宿代わりのネットカフェを出たのは5時過ぎのこと。ネットカフェの所在地が函館駅から少々離れたエリアにあったので、一人旅初めての「旅先のタクシー利用」にて函館駅へ向かいました。

私が旅行で広島から来た・・という話から乗務員さんとの会話が始まり、道中では雪国にまつわる話を色々と耳にしました。気候のお話、漁のお話、海峡にまつわるお話。「札幌の方はもっと涼しい」といったものから「(対岸の)大間の人は青森市内ではなく函館市内まで出かける」といったような、その土地にまつわる面白い話を聞きながら函館駅までの時間を過ごしました。


※画像はイメージです

そして、もう一つ気づいたこと。
それは、函館を含む東北北海道地区のタクシーは、現在でもマニュアル車が存在しており、しかもその稼働率が異常に高い・・ということです。
私が乗ったタクシーも、見事その通りでマニュアル車のトヨタ・コンフォート。これも乗務員さんに聞いてみると・・やはり「寒冷地」ならでは、オートマチック車だと冬場にトランスミッションの調子が変化する、雪道での発進時に空転が発生しやすいといった理由で、マニュアル車のタクシーが多く採用されているそうです。
そういえば、函館市内観光中には乗用車のマニュアル車も多く見かけた覚えが。そして、何故か「マツダの軽」が異様に多く走っていました。

早朝ということで10分か15分ほどで函館駅に到着し、駅構内へ入りました。

ちなみにネットカフェの料金は1,200円(6時間利用)、タクシーの料金は1,970円。貧乏旅行の筈ですが、あれ・・?


<函館0606→上磯0631 函館・江差線1150D>
乗車車両:キハ40 1801

▲18きっぷは三日目。方向的には「帰り」、でも行程自体はやっと前半が終わったところ。移動の表現に悩みます。


▲五稜郭駅付近で見かけた50系客車。色あせた状態で留置してありました。

▲上磯駅に到着しました。

朝一番の列車で青森へ戻る場合、この1150D列車ではなく後続の函館6時53分発の列車に乗れば、そのままスーパー白鳥に乗り継げる木古内駅まで乗って居られるのですが、あえて途中下車して知らない街をぶらついてみるのもいいだろう・・と思い、途中駅止まりとなるこの列車に乗車しました。


▲上磯駅駅舎。大きくはありませんが、折り返し設備やみどりの窓口が設置してあり、一通りの施設が揃っている駅となっています。


▲海のそばに位置する駅ということで、海沿いまで出てみました。北海道らしく交通量が少なくて広い国道。
「中央分離帯」や「停止線」の標識なんてわざわざ設置する意味があるの?などと思ったのですが、ひょっとしてこれは積雪時の目印になるのでしょうか。


▲行き交う車を眺めていると、バスがやってきました。画像中央の小屋はバス停待合室。


▲海岸へ出てみました。漂着物がいっぱい。

海岸を歩いてみたり、近くのコンビニでおにぎりを調達して時間を過ごし、再び上磯駅まで戻りました。余談ですが、このおにぎり以降まともに食事を取れるのは次の日の朝に。。

<上磯0715→木古内0754 江差線120D>
乗車車両:キハ40 734

▲これが、函館駅を朝二番目に出る列車。同じような18キッパーが多いようで、意外と乗車率が良かったです。ちなみにこの734は二日目の晩、木古内から函館まで乗った車両。

<木古内0804→蟹田0850 海峡線4020M特急スーパー白鳥20号>
乗車車両:サハ789-104

▲何故かこの日は18きっぷを写し込ませた画像がいっぱいありました。

<蟹田0857→青森0943 津軽線332M>
乗車車両:クハ700-9

▲本州に戻り、再び701系のお世話になっていきます。

青森駅では次の列車まで時間があったので、駅前へ出て周辺を散策。

▲青森市営バスの車両。市営バスだけあり、青森駅近辺では姿をよく見かけます。

▲こっちは弘南バスの車両。弘南バスは弘前市内がメインの営業地域となっているようで、青森駅ではあまり多く見かけません。


▲駅構内に入り、「撮り鉄」も。昨晩に東京を発った特急「あけぼの」(上野~青森)の客車が回送されようとしていました。「トワイライト」等の豪華列車を除くと、定期運行の客車寝台列車では唯一の存在となりました。


▲「HB-E300系」なるイベント用の車両。ハイブリッド型の気動車だそうです。

<青森1035→追分1337 奥羽線650M>
乗車車両:クモハ701-12
画像は無し。秋田行きの列車ですが、手前の追分駅で列車を降りました。
<追分1342→男鹿1420 男鹿線1133D>
乗車車両:キハ48 544

▲ここから寄り道。秋田から男鹿半島へ向かう男鹿線に乗車しました。


▲男鹿駅。工事中でした。

▲「男鹿」と言えばやはり「なまはげ」を思い出す方も多いのではないでしょうか。男鹿市をはじめとする周辺地域で根付いている伝統行事です。

ここでは一時間ちょっとの時間があるので、どこを歩こうか・・などと考えていると、ちょうどよくレンタサイクルの貸し出し拠点(観光案内所)があったので、そこで自転車を借りて海沿いを走る事にしました。なんか今回は、海を眺める機会が多いですね(^^;

▲借りた自転車と日本海。観光案内所で勧められた「鵜ノ崎海岸」までひとっ走りしました。マウンテンバイクというものに随分久し振りに乗りましたが、フレームの位置が高くて乗り降りに苦労します。
高校生の時は己斐から観音までママチャリでカッ飛ばしていましたが、さすがに感覚が鈍っているのと、旅の荷物満載(前カゴに入っています)で乗り慣れない車型だったせいか、あまり調子良く走れませんでした。


▲海岸一帯は海水浴場にもなっているようで、多数の行楽客を見かけました。いわゆる幸せな光景が広がる中、荷物満載のレンタサイクルと汗だくの野郎一人・・さぞかし異様に映っていた事でしょう(--:

戻りの列車の時刻の都合上、少し写真を撮った後にすぐ撤収し、男鹿駅へ戻りました。

<男鹿1556→秋田1655 男鹿・奥羽線1138D>
乗車車両:キハ48 1502

▲男鹿線は専属の車両が活躍しているようで、車体になまはげ入りのロゴが貼り付けられています。

▲車内の様子。ロングシートに換装されており、中央部分は座席も取っ払ってあります。普段は寒く感じる列車の冷房も、さすがにサイクリング後だけあり心地良く感じました。

▲「てんのう」「ふなこし」・・呉線沿線みたいな地名が揃っています。

<秋田1740→酒田1933 羽越線552M>
乗車車両:サハ701-11

さて、ここからはひたすら新潟へ向かい移動していきます。701系ももう慣れたものです。

▲列車移動してる時に眺める夕日、一瞬の出来事のように思えます。

<酒田1939→村上2200 羽越線834D>
乗車車両:キハ40 582
何故だか特定の車両にばかり乗り合わせる機会が多くあるこの区間。今回は未乗の車両でしたが、途中駅で向かいのホームに入り込む姿を見かけました。謎の巡り合わせ・・(笑

<村上2221→新潟2331 羽越・白新線952M>
乗車車両:クモハ115-1062

▲手前側が酒田から乗った列車、奥側が村上から乗った列車。前後に並ぶ形で入線しました。

時刻通り23時31分、無事新潟駅に到着。
ここからは、やっと「ムーンライト」のお世話になります。そういや、新潟から乗るのって初めてだ・・

<新潟2336→大宮0426 信越・上越・高崎線 快速MLえちご>
乗車車両:モハ484-1088

▲最初の旅行記でも書きましたが、今期の「ムーンライトえちご」は、定期時代と同じ485系が運用入りしています。よく利用しただけに、車内メロディの「春の歌」がとても心地よく聴こえました。
さて、こちらで写しているのは4号車の上り最後尾座席(16番)。当初、指定券の購入時にシートマップを眺めていると4号車の最後尾が15番で表示されていたので一番後ろになると思い切符を購入していました。ですがいざ乗ると丸々一列空いた16番の区画が。新潟県内では誰も乗ってなかったので、予備席に充てられていたでしょうか。

▲そして翌朝、無事「大宮」に到着。今回は大宮駅で下車したのでした。

以上で四日目の旅行記はおしまいです。
次の記事では、大宮を発着点とする(予定だった)五日目の様子を紹介したいと思います。
小さい文字には、果たしてどういう意味が・・?

夏の旅行記2

2012年08月25日 10時00分00秒 | 旅行記
旅行記その2、ということで今回は函館市内観光の様子を載せていきます。
8月18日土曜日

8時頃に宿代わりのネットカフェを出発し、まずは函館駅前へバスで移動。函館バスの一日乗車券を購入し、函館市内の観光を始めました。

まずは函館駅そばにある「函館朝市」の見学。


▲朝市の様子。観光客向けに、地元海産品を主に取り扱う個人商店が立ち並んでいるのが特徴です。
ここで何か買おう・・という考えはあまりなかったものの、立ち寄ったお店での販売トークに見事乗せられて(?)、函館の名産品を幾つか購入しました(笑)


▲そして、この日の食事という事でこれまた名物とされる塩ラーメンを食べました。


朝市の並ぶ商店街を抜けると、ちょうど良い距離で「赤レンガ倉庫群」なるものが存在することに気づき、引き続きそのエリアへ足を運びました。

▲こんな路地を入って行き

▲倉庫群を眺めて歩きます。

この倉庫群は、函館初の営業倉庫として明治の時代に建てられたもので、海産品や雑貨といった商品の保管を目的に使用されていたそうです。見た目が鮮やかなレンガ造りですが、これは倉庫として耐火性と定温性を保つために採用されたとか。
建築後は一度火災により建物が焼失したものの、しばらくして再建され現在では築100年を超える歴史ある建物となっているようです。

ちなみに、現在では各種観光物産品の販売店やレストラン、多目的ホールが入居する文化施設となっています。


▲異国風と言いますか、このような非日本的な風景も楽しめます。

▲ベンチ脇にあった猫の像。本物の猫には出会えませんでした。

▲視線の先には・・。

さらに進むと今度は函館山のふもとの方まで徒歩圏内で行かれることが分かり、続いては元町地区を散策。


▲「日本最古のコンクリート電柱」なるものを発見。90年ほど前、木製のものが多い中耐火のためにコンクリートで建てられたものだそうです。


▲山のふもとという性質上、この近辺では急な坂道が規則正しく並んでいます。坂ごとに愛称も付けられているですが、これはどこで撮ったものだったか・・(--;

▲こちらはカトリック元町教会の建物。この近辺は教会が多く立ち並んでいます。

▲「旧函館区公会堂」と呼ばれているこちらの建物。原形を保った建物と、調度品の状態の良さが評価され国の重要文化財に指定されています。

西洋風の建物や教会が多く存在する函館ですが、歴史を辿ると幕末の時代に函館の港が外国との貿易港として整備されたことをきっかけに、外国人との交流や貿易が盛んになり、その影響で先程のレンガ造りや洋風建築の建物が多く誕生することになったようです。百年以上前の時代から、一般市民にも海外文化に対する憧れがあったのでしょうねぇ。


▲公会堂の下には、市街地と函館湾を一望できる元町公園があります。


朝市から赤レンガ倉庫群、そして元町地区に掛けて散策し、ここからはバスで少し離れた五稜郭へと向かいました。


▲五稜郭の手前に建つ五稜郭タワー。建物部分の全高98メートル。まずはこのタワーに上り、展望台から近辺を一望しました。


▲タワーから五稜郭を眺めます。文字通り、美しい五角形。

▲タワーと言えば定番のシースルー床。足元が見えるだけで、感覚がぐっと変わります。


▲タワーを降りて、五稜郭跡へ。現在は大部分が公園として整備されています。

▲箱館奉行所の復元建物。※「箱館」は「函館」の旧名だそうです
こちらもやはり幕末の時代、周辺地域の警備、並びに外国との折衝を行う事を目的に設けられた施設だそうです。

引き続きバスで次の目的地へ移動。

▲函館でも市電が走っています。市電と並走しながらバス車内に響く吊り掛けの音・・どうも日常感が(^^;


▲続いては、函館の郊外に位置する「トラピスチヌ修道院」を訪れました。こちらも海外交流が盛んになる明治の時代、フランスから派遣された修道女が設立した修道院だそうです。修道院というのは、キリスト教上で教義に倣って共同生活を送るための施設・・だそうです。
敷地内には手入れの行き届いた庭園や、いくつかの像が建てられていました。

トラピスチヌ修道院を見学した後は、再びバスで市内中心部に戻ります。
その途中・・。

▲なんとボンネットバスが走っている路線がある・・ということで、これに乗車してきました。いすゞのBX352で、1959年に製造された車両。比較的新しげなナンバーですが、元々は小豆島で活躍し、一度廃車された車両が復元され、函館の地で活躍することになったそうです。

▲後ろから。ウインドウ周りのリベット打ちに見入ってしまいます。

あいにく車内の画像を撮っていません(汗
復元されたボンネットバスということで、特筆すべきは何と言ってもその乗り心地。車内に振動と共に鳴り響くアイドリング音、飛び跳ねるような硬いリーフサス、運転士さんの豪快なギアさばき。いわゆるパワステやシンクロ機構なんて存在しない時代の産物なだけに、バスファンでなくとも硬派な乗り心地を楽しめます。
今回は前の方の座席に座り運転操作を眺めていたのですが、ボンネットバス専属?で鍛え上げられているのか、これだけ古い車なのにショックの無いギアチェンジ、素早いハンドル操作など、まさに惚れ惚れするような運転操作ばかりでした。ただ、古い車にはつきものだと聞くダブルクラッチの操作は見かけませんでした。
まだ普通免許しか持ってませんが、やっぱりこういう古くて大きな車も運転してみたい・・(笑

函館駅到着後、ここでようやく趣味ネタ・・ということで、市電・バス車両の撮影を敢行。まずは市電から。

▲800形812号
函館の街ではいわゆる広告電車を多く見かけました。そのなかでは珍しい、普通のカラーリングの車両。広電に慣れているせいか、方向幕部分の小ささに違和感を感じます。

▲9600形9602号
北海道で活躍する低床型車両。製造は各地の市電でおなじみのアルナ工機製です。この車両は二連接ですが、函館での輸送人員に見合った大きさなのでしょうか。

続いてはバスネタ。

▲函館200か・346 函館バス 三菱ふそうエアロスターM
函館市内に路線網を多く敷く函館バスは、かつて関東の東急グループに属していたようで、東急バスでおなじみのシルバー+赤帯というカラーリングが現在でも採用されています。こちらは東急出身の車両でしょうか。

▲函館200か・540 函館帝産バス 日野ブルーリボンHU
北海道でも活躍している帝産グループのバス。空港輸送絡みの路線を敷いているようで、他にもトップドアの路線車を見かけました。

再び函館駅へ戻ったのは17時前のこと。ここからは、世界三大夜景と称される函館山からの夜景を楽しむため、函館山へ向かいました。


▲こんな山道を登り

▲車内から小さくなっていく函館の風景を眺め

▲山頂に到着。

ちなみにここで乗ったのはエアロスターの「エコハイブリッド」仕様。ハイブリッドながらも、エンジンはあくまでも発電用ということで、基本的には屋根に載せたリチウムイオン電池や高出力モーターで走るそうです。そのせいか乗っていて聞こえてくるのはモーター音で、鉄道車両に乗っているような感覚を覚えました。


▲モニュメントを入れて一枚。

▲定番ポイント・・・の少し下側から撮影。函館山はロープウェイでも登ることが出来ます。

ちなみにこの日は麓の湯の川温泉近辺で花火大会が催されたようで、展望台は非常に混雑していました。しかしさすがに三大夜景と評されるだけあり、美しい夜景を楽しむことが出来ました。日によっては、イカ漁に出た漁船の漁火を眺める事が出来るとか。

▲分かりにくいのですが、少しだけ花火も眺めました。

この後はバスで函館駅まで戻り、入浴と最後の観光を兼ねて函館の名湯、湯の川温泉へ足を運びました。
函館駅からは、函館滞在中ただ一回となる市電を利用しました。

函館の市電は湯の川から谷地頭と函館どっく前(文字表記では「函館どつく前」)へ行く二路線(全て軌道線)が存在しており、両路線が日中およそ10分の間隔で運行されているそうです。
運賃は、市電では珍しい対キロ制の距離別運賃となっており、乗車時には整理券を取る必要があります。ほぼ全車両が単行車両ということもあり、単行車両=運賃均一の市内線、という図式の広電感覚で乗り込むとすっかり忘れてしまいそうな動作ですね(^^;

▲乗車したのは昔から函館で活躍している710形719号。途中から寝てしまっていたようで、終点の湯の川電停で乗務員さんに起こされました(汗
余談ですがこの車両、北海道の地で活躍する車両なだけあり、非冷房の車両となっていました。最近の車両はどうか知りませんが、いわゆるベテラン世代の車両は冷房装置が見当たりませんでした。

結局、本来下車する予定だった湯の川温泉電停まで歩くことに。。

この後は電停近くのホテルが運営する日帰り温泉に入浴してこの日の疲れを癒し、再び前日と同じネットカフェに入りこの日の宿としました。


旅行記三日目、函館観光編はここでおしまいです。
函館絡みの出来事は四日目の朝も少し存在するのですが、これは次の旅行記で紹介したいと思います。

四日目以降はまた移動が続き、東北の地を何か所か巡るコースとなります。

久し振りの18トリッパー・・夏の旅行記1

2012年08月23日 10時34分00秒 | 旅行記
8月16日から22日までの間、ほぼ二年半ぶりに青春18きっぷを利用してあちこち周ってきました。
今回は久しぶりの癖に「徹底した貧乏旅行」。金銭的な部分で削れるところはかなり削った旅行・・としています(汗

主に訪れたのは東北方面。二年半の空白期間があったせいか、ところどころ鉄道事情が変わっていて旅行中に驚くこともしばしばありました。
事前に時刻表や切符を見ていて、

〇特急「かもしか」(秋田~青森)の全廃並びに特急「つがる」化
〇新幹線が新青森まで延びてる
〇同じく広島から鹿児島まで新幹線で行かれるようになってる
〇東北本線が縮んでいる(新幹線延伸に伴う在来線区間の私鉄移行?)
〇18きっぷ使用で特急に乗車できる例外区間が増えた(新青森~青森間)

・・などと、ざっと眺めただけでこれだけ変わっていました。特に東北方面の変わりっぷりには時差ぼけのようなものを感じるばかり。

さて、一週間の旅行で無事、貧乏旅行はこなせたのでしょうか。これよりしばらくの間、旅行記のスタートです。
8月16日木曜日

この日は今までの18きっぷ旅行と同様、ひたすら新潟方面へ上がっていきました。
<西広島0530→広島0538 山陽線924M>
乗車車両:モハ114-2004

▲最初の乗車車両は、前の呉の記事でも少し触れた「カープ列車」が来ました。最近は調子が良いそうで。

<広島0553→三原0710 山陽線326M>
乗車車両:モハ115-1055

▲ここからは早速オカ車のお世話に。向洋駅を見ていると、駅舎が新しくなっていました。

<三原0745→相生1022 山陽線422M/1308M>
乗車車両:クモハ115-321

▲広島からだとタイミングが良いようで、いわゆる「岡姫」間の乗り継ぎにあまり苦労せず済みます。三原から相生まで一直線。

<相生1023→姫路1045 山陽線948M>
乗車車両:クハ222-2021

▲223系がやってきた!

<姫路1112→敦賀1415 山陽・東海道・湖西・北陸線3454M/3154M 新快速>
乗車車両:クモハ223-3003

▲いつも通り、新快速で一気に北陸へ。今更知ったのですが、姫路駅で降りた向かいのホームに待機している車両が敦賀行きとなるようです。

▲姫路駅で見かけた光景。次世代型車両の225系が既にデビューしていたようです。

<敦賀1446→福井1547 北陸線249M>
<福井1617→金沢1745 北陸線341M>
乗車車両:クモハ521-21
この両列車は車両を乗り換える事が無く、福井到着前に「この列車は引き続き金沢行きに・・」というアナウンスが流れ、そのまま乗っていられました。

それよりも、驚いたのはこの光景。

▲北陸線の名車419系が完全に引退した・・ということまでは耳にしていたのでどうなったんだろうとは思っていましたが、急激に521系が増えていました。
金沢辺りまでは、すれ違う列車もみな521系。あれ、457系や413系は・・?
今回の旅行で一番目に驚いた光景でした。

▲車内はこんな感じで、223系とほぼ共通の車内です。ただし、北陸仕様として車端部はロングシートになっており、整理券の発行機が取り付けられています。
趣味的には少々がっかり・・と言えなくもないですが、これまでラッシュに不向きで使いこまれた車両ばかりだったことを思えば、大幅に車両サービスが改善したことと思います。

<金沢1758→直江津2111 北陸線559M>
乗車車両:クモハ457-19

▲直江津まで521系だったらどうしようなどと考えていましたが、金沢からは無事(?)北陸らしい車両のお世話になりました。たまに乗る分はやはり経年車でも優等車両、座り心地良く広いシートピッチのおかげで疲れを感じません。

<直江津2121→長岡2247 信越線1355M>
乗車車両:クハ115-1052

▲ここからも、これまで通り115系のお世話に。暗くて景色は見えず、かといって車両もなんら珍しくなく・・。ひたすら車内でぼうっとして過ごしました。

<長岡2302→新潟0016 信越線463M>
乗車車両:クモハE127-9

▲長岡からの車両運用はちょくちょく変わるみたいで、115系が来ることがあればE127系が来ることもあるようです。今回はE127系の乗車。やっぱ新しい車両だけあり気持ち良く過ごせます。

さて、日付は変わり無事新潟に到着した私。
しかし今回は「新潟」まで乗車。気づかれた方がいるかどうかは分かりませんが、いつもなら新津でムーンライトえちごに乗り換える、というのが鉄板ネタでした。

・・というのも、今回はわざわざ東京に寄ることもないや、と思い新潟市内で夜を明かす行程を組んでいました。しかも前回の18きっぷ旅行とは違い、成人しているので泊まりの手段も大幅に増えています。

という事で、今回は人生で初めての「野宿」で夜を明かすことにしました。

新潟駅で下車した後はこの日初めての食事をとり、野宿に良さそうな場所を物色して貴重品類をコインロッカーに預け、駅前にあったベンチで翌朝4時すぎまで過ごしました。
ちなみに野宿と言う性質上、職務質問を受けたり暴漢に遭ってもいいように、免許証と現金100円と目覚まし用の古い携帯電話だけを身につけてベンチでの時間を過ごしていました。でもさすがに平和な日本、無事に夜を明かすことができました。
しかしやはり気が抜けなかったり深夜でも騒がしいこともあったりして、思うような睡眠はとれませんでした。しかも変な姿勢で過ごすせいか寝起きは体じゅうが痛いし・・。次回の野宿があるかどうかは分かりません(笑

ということで、この記事では引き続き二日目終了のところまで書きたいと思います。


8月17日金曜日

<新潟0456→村上0552 白新・羽越線3921M 快速>
乗車車両:クモハE127-9

▲薄々感づいていたのですが、前日に長岡から新潟まで乗った最終列車がそのまま新潟始発の快速になるようです。
ムーンライトえちごからの乗り継ぎ客が増える事もあり早めに車内で待機していながら、えちごの到着を眺めていると・・なんと「えちご」の運用車両が上沼垂の国鉄色485系に戻っていました。どういう経緯があったかは知りませんが、いつの間にか以前と同じようになっていたようで。

<村上0556→酒田0818 羽越線821D>
乗車車両:キハ40 502

この流れで乗り継いでいると「村上ダッシュ」を眺めることになります。私はロングでもいいのでのんびり次の列車へ向かっていると、なんと今回は全車両がクロスシートのキハばかり。しかし無事に先頭車両の山側ボックスを確保しました。


▲広島市内でも勝木という地名はありますが、これはなかなか読みづらい。

<酒田0938→秋田1130 羽越線541M>
乗車車両:サハ701-3

▲酒田からは701系のお世話に。701系を見ると東北に来たことを実感します。よく見ると、種別幕の部分がLED式の行き先表示機に。


秋田駅到着後も引き続き青森方面へ向かうのですが、ここでは二時間ほどの待ち合わせ時間があるので秋田市内を散策する事にします。

ということで、今回は「赤れんが郷土館」というところを訪問しました。
ここでは秋田の地にまつわる郷土資料や伝統工芸品が展示されています。

▲建物。明治45年に建てられた、歴史を感じるれんが造りの建物です。昔は秋田銀行の本店だったそうで、郷土館として改修されたものの内外ともに当時の面影を再現しているそうです。


▲時間に余裕があり、バス撮影も敢行。東北ではいすゞ車を多く見かけます。


▲緊急車両も撮影。上のはレーダー装備の車両でしょうか。

再び秋田駅に戻り、乗車前には駅弁を購入して列車に乗り込みました。実は駅弁を購入するのは初めて。秋田名産の「比内地鶏」を用いたメニューでした。

<秋田1334→大館1522 奥羽線1661M>
乗車車両:クモハ701-7

▲同じく701系のお世話になります。

<大館1555→弘前1637 奥羽線665M>
乗車車両:サハ701-6
ここは画像なし。そろそろ疲れが出て来たのか、終始爆睡していました。

<弘前1642→青森1733 奥羽線667M>
乗車車両:クハ700-27

▲いよいよ本州最北の青森入り。ここまで来ると、はるばる遠くへ来たなあと思います。車窓から眺めた新青森駅もにぎやかになっていました。

<青森1813→蟹田1854 津軽線341M>
乗車車両:クモハ701-35

▲引き続き701系。夕日を眺めながら、蟹田駅へ向かいました。


▲蟹田駅にて一枚。まもなく本州脱出。

<蟹田1920→木古内2009 海峡線4031M 特急スーパー白鳥31号>
乗車車両:モハ788-101
ここからは18きっぷの特例のお世話になります。ここも時間帯によっては乗り継ぎに苦労しますが、ここでも運よく、数分の待ち合わせで乗り換えできました。

▲車内の様子。元々の乗車率の良さに加え私を含めた18キッパーが流れ込み、満席の状態で木古内まで過ごしました。

無事に海峡を抜けて北海道入りし、木古内で下車し続いての函館行きを待つのですが・・さすがに北海道へ来ると寒い!
元々この時期ですらうちわ一枚で快適に過ごせるほど、暑さ耐性のある私。そんな体質のおかげでスーパー白鳥を降りると寒気を感じました。

<木古内2017→函館2116 江差・函館線127D>
乗車車両:キハ40 734
あいにくここも画像無し。北海道仕様のキハ40に乗り込み、函館入りしました。


さて、広島から二日間を掛け無事到着した函館の街。三日目は丸一日掛けての函館観光を予定していたので、二日間は函館市内で夜を明かしました。
一日目の終わりにも書いたように、さすがに野宿で自分の体力の甘さが露呈してしまったので、市内のネットカフェを宿代わりにして過ごしました。列車に乗っていないのが深夜早朝ぐらい・・という18きっぷ旅行だと、時間で料金の決まるネットカフェの方がホテルよりも都合の良い場合があります。

ちなみに、秋田で購入した駅弁は函館到着後に食べました。貧乏旅行ということで一日一食のペースです(汗

・・ということで、最初の旅行記はここまでとします。
次の記事では、一日函館市内を観光した様子を掲載したいと思います。どうぞお楽しみに。

原爆の日

2012年08月06日 18時55分00秒 | 日常の日記
8月6日。
言わずとも特別な意味がある日、今日は原爆の日です。

今年は原爆投下から67年とのことで、当時の出来事を考える一方で被爆体験者の高齢化、という課題もより大きくなっているそうです。小学生や中学生の時は「被爆者の話」などとして原爆投下前後の話を聴く機会も定期的にあり、高校でも修学旅行先の沖縄で、やはり同様に地上戦の体験者の方から話を聴く機会もありました。
ブログをご覧になられている方でもそういう話を聴いた方も多いと思いますが、平和の日関連のニュースを見ていると被爆者の平均年齢も78歳に到達・・などと報道されており、体験談を聴く機会がより貴重になっているということを感じます。

私は先祖代々広島に住んでいるのですが、正直なところ被爆世代に当たる祖父母、曾祖父母は疎開していたり田舎の育ちだったりと、直接の被爆者が身内に居ないのが実情です。とは言え、記憶を辿ってみれば田舎に疎開してきた人の話、8月6日以降の話を耳にしたことを思い出したりします。

過去の出来事を残す事は重要ですが、原爆の日に対する意識の低下、二次被害の生活保障といった問題も頻繁にニュースや新聞報道などで目にします。いわゆる黒い雨問題はここ数日取り上げられていますが、難しいながらももう少し柔軟に対応できるのでは・・などと思う事もあります。


こうした記事はなかなか得意では無いのですが、住む街で起こった出来事で、現在でも苦労を抱える人が居る現実。被爆者の世代とは大きな隔たりのある私ですが、8月6日、8月9日について少しでも考える事が必要だろうと感じます。