旅行記その4。
行程の後半に差し掛かる8月20日は、前日の晩から新潟発「ムーンライトえちご」のお世話になり、大宮で下車しました。
この日は宮城県の松島・石巻地区を訪れるという計画。
先の震災で大きな被害を受けた地域を見てこようと思い、大宮を起点に足を延ばしました。
8月20日月曜日
大宮駅で一度下車し、この日最初の食事を取ることにしました。
前の記事でも書きましたが、前日の朝におにぎり、前々日の夜(函館出発前)にネットカフェで丼モノを口にしただけ・・ということで、そろそろ栄養不足(?)によるめまいが起こりそうな程お腹が空いていたので、駅前の牛丼屋に直行しました。これだから一向に成長しないんだろうなあ・・
空腹時の丼モノって、特盛サイズでやっと「ちょうど良い」と言う感覚になってしまいます。
再び大宮駅構内に戻り列車を待つのですが、さすが駅撮りの定番スポット、5時過ぎという朝早い時間帯ながら何本かの列車を見かけました。
▲EH500形機関車。西日本でよく見かけるEF210の交直両用版・・といった存在のようで、首都圏以北の電化区間でよく見かけます。
▲何故か駅構内にずっと止まっていた京葉線仕様の205系。分かってはいても、首都圏だと205系は古参車扱い。
<大宮0536→宇都宮0651 東北線521M>
乗車車両:モハE231-1037
▲この日一番にお世話になるのは、東北線のE231系。
<宇都宮0656→黒磯0747 東北線1529M>
乗車車両:クハ210-1010
ここは画像無し。下り列車ですが乗車率はけっこう良かったです。
<黒磯0754→郡山0901 東北線2127M>
乗車車両:クハ700-1515
▲西日本に住んでると意識が薄くなるのですが、黒磯で直流区間と交流区間が入れ替わります。ここからは再び701系のお世話に。黒磯以北まで来れば気軽に701系の走りっぷりを楽しめます。
<郡山0927→福島1014 東北線1133M>
乗車車両:クモハ719-42
▲ステンレスの国鉄型、719系。東北でも太平洋側の地域でしか見られません。
福島駅からは、行程の都合上「高速バス」のお世話になりました。
ということで福島駅で改札を出て、バス乗り場へ直行。見知らぬ駅での6分乗り継ぎ。さすがに気持ちが焦りました。
<福島駅東口1020→仙台駅前1130 (高速バス)仙台福島線>
乗車車両:福島200か10-73 福島交通 三菱ふそうエアロエース
▲福島県下で大きな規模の福島交通。路線バスから貸切バスまで共通の塗装を採用していることが有名ではないでしょうか。
いわゆる近場の都市間高速バスに当たるこの路線。乗車率もなかなか良いようで、私が乗った便では各座席の窓側が全て埋まる程度の利用がありました。
ちなみに運賃は1,000円。在来線よりは速く、快適に移動できるのが高速バスならではの嬉しさですね。
▲車窓風景。東北道を北へ進みます。
無事に仙台駅に到着したのですが、バスは10分程度の遅れで仙台駅に到着。到着予定11:30、次に乗る東北線の列車が11:41発で、既に間に合わない状態だったので、ここからは仙石線で移動します。
▲仙石線の路線案内図。震災の被害により、一部区間が不通となっています。
<仙台1207→松島海岸1237 仙石線3235S 快速>
乗車車両:モハ204-3103
仙石線は4連化改造された205系が活躍しています。仙石線は意外と本数が多く、利便性が高くなっているようです。
▲松島海岸駅に到着。これより北の区間が不通状態です。
ここからは、仙石線代行バスに乗車し、引き続き石巻方面へ向かいます。
※以後、石巻市内と周辺で撮影した被災建物や、それに関わる風景の画像を掲載しています。
<松島海岸1248→矢本1327 仙石線代行バス>
乗車車両:宮城200か17-98 日本三景交通 富士7S+日産ディーゼル
不通区間の代行バスは、地元事業者が協力して運行を行っているようです。ここでは18きっぷ等のフリー切符は使えない(参照:東日本旅客鉄道仙台支社・運行案内 乗車券・定期券で乗車可能)ので、同区間の切符を購入しています。
バスに乗り込み、初めに映るのは松島の海に浮かぶ島々の風景と、観光客向けの商店街。松島近辺は地形上、震災の目に見える被害が比較的少なかったようで、商店街もずっと前に訪れた時と変わらない、活気のある様子を見受けられました。
しかし、松島エリアを離れ、海岸線に沿って走る地域へ入ると風景が変わります。
▲最初はよく分かってなかったのですが、雑草の延びる空き地の多くはきっと「建物があった場所」。何軒か写る建物も、被害の爪痕がそのままの状態になっています。
ちなみに、青っぽく写っているのは窓ガラスの着色フイルムによるものです。
▲仙石線の野蒜駅。代行バスでの移動中、この近辺では特に多くの被災の跡を見かけました。
▲仙石線も被害を受けつつも、復旧工事が進められているようです。
▲矢本駅へ到着。ここからは石巻駅まで、鉄道線の運行が行われています。
<矢本1335→石巻1350 仙石線7325D>
乗車車両:キハ110-243
▲ここはディーゼルカーが運用に入っているようです。この車両は2+1人掛けシートが並ぶ、特殊なシート配置になっています。
そして、石巻の駅に到着。
▲石巻駅に掲示してあった、津波の高さを示すステッカー。石巻駅近辺は、腰辺りの高さまで浸水したようです。
ここでは二時間ほどの時間があるので、石巻市内を周りました。
▲再びレンタサイクルのお世話に。今度は慣れ親しんだ変速機付ママチャリタイプで、荷物もコインロッカーに預けたので快適な走りでした。
まずは沿岸部を目指して走ります。
▲駅近くの商店街。復旧して営業中の店舗、片付け途中と見られる店舗が混在していました。
▲旧北上川の沿岸まで来ました。橋の欄干が歪んでおり、ここでも被害を受けた様子を見受けられます。
以前、地元のRCCラジオの番組でアナウンサー取材の被災地ドキュメント番組や体験談の放送をやっていたのですが、その中で石巻市内でもある区画を境に建物が残っている地域と甚大な被害を受けた地域が分かれる・・という話を耳にしました。
どんな様子なんだろうと思いつつ周っていると、地形の影響があるのか、確かにそうした光景の通りとなっている地域を見かけました。
さらに走っていくと、石巻湾沿岸部に到着しました。
ここで休憩がてら、自動販売機で飲み物を買ったのですが・・
▲ふと脇にあった機器庫?のようなもの。これもきっと、津波の影響を受けたのでしょう。
▲海岸線沿いに走る宮城県道240号。
そして、再び旧北上川に掛かる大きな橋を渡ると。
▲突如現れた車の山。何だろうと思って近づくと、これも震災の被害を受けた車でした。
▲長らく海水に浸かっていたのか、貝殻が無数にひっついた車。
▲少し浸かったのかな、という車があれば原型を留めていない車も。
▲道路を挟んだ先には、鉄骨のようなものを高く積んだ区域が。看板や車の大きさと比べても、高さが分かるのではないかと思います。
▲沿岸部から再び石巻駅(北方面)方面に向いて移動します。
▲いずれも、同じ地点から撮影。
▲後に地図で調べてみると、元々コンビニだった建物のようです。
▲こちらは小学校。
▲現地の人の感謝でしょうか。痕跡が多く残る一方、このような立て看板も多く見かけました。
▲川土手沿いでの撮影ですが、この近辺も痕跡が多く残っています。
▲路面には応急処置をした、と思われる部分が。
▲こちらはミヤコーバスの石巻営業所。石巻駅方面に戻るつもりが行き過ぎてこんなところへ。たまたま事前に調べていた営業所に行き当たって良かった・・(--;
▲やはり、この辺りのバス車両も被害を受けた車両が多く存在するとのこと。一方、様々な地域からの車両提供が行われ、石巻の街を支えているようです。こちらでは元都営バスと元名鉄バスと思われる車両を見かけました。名鉄バスは塗装がそっくりで、よく馴染んでいます。
ちなみにミヤコーバスは、広交タクシーでかつて活躍していたエアロミディ(広交→ボンバス→越後交通の車両と同期)を遠路はるばる中古導入したそうですが、それらしい車両は見当たりませんでした。実は以前、その車両に出会えることを狙って計画を立てた事もありましたが、元々古い車で情報もあまり無かっただけにどうなったことやら。
さっと車庫外での撮影を済ませ、石巻駅へ戻りました。
▲石巻駅で見かけた植木鉢。けっこう細かいところにこだわりを感じられます。
僅かな時間ながらも石巻市内を周り、ここからはまた首都圏を目指して戻りました。
<石巻駅前1540→仙台駅前1655 高速バス仙台石巻線>
乗車車両:宮城200か21-64 ミヤコーバス 三菱ふそうエアロバス
▲石巻から仙台駅までは、再び高速バスのお世話になります。塗装そのまま、名鉄バス出身の車両だそうです。反射板が見えますが、MS8系で最新のグループになるPJ-規制の車ではありません。
▲後ろはこのとおり。マフラー左出しというとフロントフェイスが少し改められた、中堅世代KC-規制の車?
▲また車内から前面展望。基本的に後ろの方の座席が好きな私なのですが、今回もほぼ満席状態で、最後列中央の座席をなんとか確保。
▲最後列の強み、後方の景色。後ろに付いているセレガは、東日本急行の車両のようです。
仙台駅からは再び東北線を乗り継いで大宮へ戻り、大宮からムーンライトえちごに乗る・・と言う予定でしたが、途中高速道路に入った地点で「終点仙台駅まではおよそ一時間...」というアナウンスが。
アナウンスがあった時間を見てみると、どうも定刻より遅れそうで予定の列車に乗れそうもなかったので、時刻表で変更案を色々練りました。
米坂線や磐越線経由での新潟入りはどうだ?と思い列車を辿ると見事に途中駅で最終列車が止まり、新幹線ワープは高く付くし、常磐線も不通区間があるし、両毛線経由で高崎で「えちご」に追いつけるか・・などと考えつつ、結局実現可能だった案は
「ムーンライトえちごを諦め、都内入りして夜を明かし、翌朝は中央線経由で帰る」
・・という行程でした。
えちごに乗れないのはちょっと残念だったものの、どっちみち新潟から中央本線を経由で帰る予定で、都内入りだと本来予定していた翌日の入浴計画を前倒しでき(しかも余裕時間たっぷり)、東京起点なので移動にも苦労しない、という利点があったためこの行程を採用することにしました。
予想通り10分ほどの遅れで仙台駅に到着し、再び18きっぷのお世話になるのでした。
意外と都市間のバスって遅れが出やすいなあ・・と気づいた旅行でした(^^;
<仙台1805→福島1928 東北線590M>
<福島1945→黒磯2148 東北線2154M>
乗車車両:クモハ701-1506
福島駅到着後も同じ車両が黒磯行きになるということで、3時間40分の間お世話になった車両。福島って書くと、大阪環状線のように見えます。
▲福島での停車時間に、乗られなくなった「ムーンライトえちご」の指定券をキャンセル処理。西広島駅(JR西日本管内)でクレカ購入した指定券を持っていた今回の場合、福島駅(JR東日本管内・他社の窓口)では払い戻し処理が行えない為、座席だけ空席にして払い戻し処理は購入会社の窓口で行う「払戻申出」の処理を受けました。同様に「乗変申出」の対応もあるそうで。
<黒磯2153→宇都宮2241 東北線1592M>
乗車車両:サハ211-3066
ぼちぼち引退する車両が現れ始めた211系。ここではロングシートの車両に乗車。
<宇都宮2242→大宮2357 東北線2544M>
乗車車両:モハE231-1533
続けて画像無しですが、どうかご勘弁を。「墜落インバータ」の音を楽しみつつ、埼玉まで戻ってきました。ちなみにこの2544Mは、東北線上り列車の最終列車。乗り換え案内では、時刻に注意する旨の注意放送がしきりに行われていました。
<大宮2358→田端0033 京浜東北線2315C>
乗車車両:サハE233-1014
乗車中に日付が変わりますが、京浜東北線の最終列車で都内へ進みます。18きっぷの「電車特例区間」の特例が適用され、首都圏エリアについては一日分のきっぷが終電まで切符が有効となります。
▲田端駅にて。首都圏で最終に乗るなんて、これまでありそうでなかったような。
<田端0055→池袋0105 山手線2420G>
乗車車両:モハE230-513
いよいよ最後の列車。これも山手線の最終列車です。最終列車ということで1時前の時間ながら多くの乗客が乗っていました。郊外へ行く列車ならともかく都心をぐるぐる回る山手線で、いったいどこへ行くのでしょう。
▲一日の輸送を全て終えた山手線のE231系。せっかくなので車内の写真でも撮ろうかと思いましたが、居眠りしている人が多く思うようにいきませんでした。
▲1時過ぎの池袋駅前。何でこの時間に路線バスが?と思うと、埼玉方面へ行く深夜バスでした。深夜バスは特定の車両が運用入りするパターンが多いそうで、この国際興業の深夜バスもメトロ窓・長尺・ハイバックシートという東京らしからぬ仕様が採用されていました。
私が広島でもいわゆる旧市内在住で中心部から近いという土地柄、夜遅くなれば「タクシー乗ればいいじゃん」という考えがありますが、長距離移動の多い首都圏では、タクシーよりは安上がりな深夜バスが重宝されるようです。
池袋ではネットカフェに入り、疲れを癒したり帰りの行程を組み直しながら翌朝までの時間を過ごしました。
次回の旅行記では、いよいよ旅行最後の行程、広島に帰るまでの様子を載せていきたいと思います。
行程の後半に差し掛かる8月20日は、前日の晩から新潟発「ムーンライトえちご」のお世話になり、大宮で下車しました。
この日は宮城県の松島・石巻地区を訪れるという計画。
先の震災で大きな被害を受けた地域を見てこようと思い、大宮を起点に足を延ばしました。
8月20日月曜日
大宮駅で一度下車し、この日最初の食事を取ることにしました。
前の記事でも書きましたが、前日の朝におにぎり、前々日の夜(函館出発前)にネットカフェで丼モノを口にしただけ・・ということで、そろそろ栄養不足(?)によるめまいが起こりそうな程お腹が空いていたので、駅前の牛丼屋に直行しました。これだから一向に成長しないんだろうなあ・・
空腹時の丼モノって、特盛サイズでやっと「ちょうど良い」と言う感覚になってしまいます。
再び大宮駅構内に戻り列車を待つのですが、さすが駅撮りの定番スポット、5時過ぎという朝早い時間帯ながら何本かの列車を見かけました。
▲EH500形機関車。西日本でよく見かけるEF210の交直両用版・・といった存在のようで、首都圏以北の電化区間でよく見かけます。
▲何故か駅構内にずっと止まっていた京葉線仕様の205系。分かってはいても、首都圏だと205系は古参車扱い。
<大宮0536→宇都宮0651 東北線521M>
乗車車両:モハE231-1037
▲この日一番にお世話になるのは、東北線のE231系。
<宇都宮0656→黒磯0747 東北線1529M>
乗車車両:クハ210-1010
ここは画像無し。下り列車ですが乗車率はけっこう良かったです。
<黒磯0754→郡山0901 東北線2127M>
乗車車両:クハ700-1515
▲西日本に住んでると意識が薄くなるのですが、黒磯で直流区間と交流区間が入れ替わります。ここからは再び701系のお世話に。黒磯以北まで来れば気軽に701系の走りっぷりを楽しめます。
<郡山0927→福島1014 東北線1133M>
乗車車両:クモハ719-42
▲ステンレスの国鉄型、719系。東北でも太平洋側の地域でしか見られません。
福島駅からは、行程の都合上「高速バス」のお世話になりました。
ということで福島駅で改札を出て、バス乗り場へ直行。見知らぬ駅での6分乗り継ぎ。さすがに気持ちが焦りました。
<福島駅東口1020→仙台駅前1130 (高速バス)仙台福島線>
乗車車両:福島200か10-73 福島交通 三菱ふそうエアロエース
▲福島県下で大きな規模の福島交通。路線バスから貸切バスまで共通の塗装を採用していることが有名ではないでしょうか。
いわゆる近場の都市間高速バスに当たるこの路線。乗車率もなかなか良いようで、私が乗った便では各座席の窓側が全て埋まる程度の利用がありました。
ちなみに運賃は1,000円。在来線よりは速く、快適に移動できるのが高速バスならではの嬉しさですね。
▲車窓風景。東北道を北へ進みます。
無事に仙台駅に到着したのですが、バスは10分程度の遅れで仙台駅に到着。到着予定11:30、次に乗る東北線の列車が11:41発で、既に間に合わない状態だったので、ここからは仙石線で移動します。
▲仙石線の路線案内図。震災の被害により、一部区間が不通となっています。
<仙台1207→松島海岸1237 仙石線3235S 快速>
乗車車両:モハ204-3103
仙石線は4連化改造された205系が活躍しています。仙石線は意外と本数が多く、利便性が高くなっているようです。
▲松島海岸駅に到着。これより北の区間が不通状態です。
ここからは、仙石線代行バスに乗車し、引き続き石巻方面へ向かいます。
※以後、石巻市内と周辺で撮影した被災建物や、それに関わる風景の画像を掲載しています。
<松島海岸1248→矢本1327 仙石線代行バス>
乗車車両:宮城200か17-98 日本三景交通 富士7S+日産ディーゼル
不通区間の代行バスは、地元事業者が協力して運行を行っているようです。ここでは18きっぷ等のフリー切符は使えない(参照:東日本旅客鉄道仙台支社・運行案内 乗車券・定期券で乗車可能)ので、同区間の切符を購入しています。
バスに乗り込み、初めに映るのは松島の海に浮かぶ島々の風景と、観光客向けの商店街。松島近辺は地形上、震災の目に見える被害が比較的少なかったようで、商店街もずっと前に訪れた時と変わらない、活気のある様子を見受けられました。
しかし、松島エリアを離れ、海岸線に沿って走る地域へ入ると風景が変わります。
▲最初はよく分かってなかったのですが、雑草の延びる空き地の多くはきっと「建物があった場所」。何軒か写る建物も、被害の爪痕がそのままの状態になっています。
ちなみに、青っぽく写っているのは窓ガラスの着色フイルムによるものです。
▲仙石線の野蒜駅。代行バスでの移動中、この近辺では特に多くの被災の跡を見かけました。
▲仙石線も被害を受けつつも、復旧工事が進められているようです。
▲矢本駅へ到着。ここからは石巻駅まで、鉄道線の運行が行われています。
<矢本1335→石巻1350 仙石線7325D>
乗車車両:キハ110-243
▲ここはディーゼルカーが運用に入っているようです。この車両は2+1人掛けシートが並ぶ、特殊なシート配置になっています。
そして、石巻の駅に到着。
▲石巻駅に掲示してあった、津波の高さを示すステッカー。石巻駅近辺は、腰辺りの高さまで浸水したようです。
ここでは二時間ほどの時間があるので、石巻市内を周りました。
▲再びレンタサイクルのお世話に。今度は慣れ親しんだ変速機付ママチャリタイプで、荷物もコインロッカーに預けたので快適な走りでした。
まずは沿岸部を目指して走ります。
▲駅近くの商店街。復旧して営業中の店舗、片付け途中と見られる店舗が混在していました。
▲旧北上川の沿岸まで来ました。橋の欄干が歪んでおり、ここでも被害を受けた様子を見受けられます。
以前、地元のRCCラジオの番組でアナウンサー取材の被災地ドキュメント番組や体験談の放送をやっていたのですが、その中で石巻市内でもある区画を境に建物が残っている地域と甚大な被害を受けた地域が分かれる・・という話を耳にしました。
どんな様子なんだろうと思いつつ周っていると、地形の影響があるのか、確かにそうした光景の通りとなっている地域を見かけました。
さらに走っていくと、石巻湾沿岸部に到着しました。
ここで休憩がてら、自動販売機で飲み物を買ったのですが・・
▲ふと脇にあった機器庫?のようなもの。これもきっと、津波の影響を受けたのでしょう。
▲海岸線沿いに走る宮城県道240号。
そして、再び旧北上川に掛かる大きな橋を渡ると。
▲突如現れた車の山。何だろうと思って近づくと、これも震災の被害を受けた車でした。
▲長らく海水に浸かっていたのか、貝殻が無数にひっついた車。
▲少し浸かったのかな、という車があれば原型を留めていない車も。
▲道路を挟んだ先には、鉄骨のようなものを高く積んだ区域が。看板や車の大きさと比べても、高さが分かるのではないかと思います。
▲沿岸部から再び石巻駅(北方面)方面に向いて移動します。
▲いずれも、同じ地点から撮影。
▲後に地図で調べてみると、元々コンビニだった建物のようです。
▲こちらは小学校。
▲現地の人の感謝でしょうか。痕跡が多く残る一方、このような立て看板も多く見かけました。
▲川土手沿いでの撮影ですが、この近辺も痕跡が多く残っています。
▲路面には応急処置をした、と思われる部分が。
▲こちらはミヤコーバスの石巻営業所。石巻駅方面に戻るつもりが行き過ぎてこんなところへ。たまたま事前に調べていた営業所に行き当たって良かった・・(--;
▲やはり、この辺りのバス車両も被害を受けた車両が多く存在するとのこと。一方、様々な地域からの車両提供が行われ、石巻の街を支えているようです。こちらでは元都営バスと元名鉄バスと思われる車両を見かけました。名鉄バスは塗装がそっくりで、よく馴染んでいます。
ちなみにミヤコーバスは、広交タクシーでかつて活躍していたエアロミディ(広交→ボンバス→越後交通の車両と同期)を遠路はるばる中古導入したそうですが、それらしい車両は見当たりませんでした。実は以前、その車両に出会えることを狙って計画を立てた事もありましたが、元々古い車で情報もあまり無かっただけにどうなったことやら。
さっと車庫外での撮影を済ませ、石巻駅へ戻りました。
▲石巻駅で見かけた植木鉢。けっこう細かいところにこだわりを感じられます。
僅かな時間ながらも石巻市内を周り、ここからはまた首都圏を目指して戻りました。
<石巻駅前1540→仙台駅前1655 高速バス仙台石巻線>
乗車車両:宮城200か21-64 ミヤコーバス 三菱ふそうエアロバス
▲石巻から仙台駅までは、再び高速バスのお世話になります。塗装そのまま、名鉄バス出身の車両だそうです。反射板が見えますが、MS8系で最新のグループになるPJ-規制の車ではありません。
▲後ろはこのとおり。マフラー左出しというとフロントフェイスが少し改められた、中堅世代KC-規制の車?
▲また車内から前面展望。基本的に後ろの方の座席が好きな私なのですが、今回もほぼ満席状態で、最後列中央の座席をなんとか確保。
▲最後列の強み、後方の景色。後ろに付いているセレガは、東日本急行の車両のようです。
仙台駅からは再び東北線を乗り継いで大宮へ戻り、大宮からムーンライトえちごに乗る・・と言う予定でしたが、途中高速道路に入った地点で「終点仙台駅まではおよそ一時間...」というアナウンスが。
アナウンスがあった時間を見てみると、どうも定刻より遅れそうで予定の列車に乗れそうもなかったので、時刻表で変更案を色々練りました。
米坂線や磐越線経由での新潟入りはどうだ?と思い列車を辿ると見事に途中駅で最終列車が止まり、新幹線ワープは高く付くし、常磐線も不通区間があるし、両毛線経由で高崎で「えちご」に追いつけるか・・などと考えつつ、結局実現可能だった案は
「ムーンライトえちごを諦め、都内入りして夜を明かし、翌朝は中央線経由で帰る」
・・という行程でした。
えちごに乗れないのはちょっと残念だったものの、どっちみち新潟から中央本線を経由で帰る予定で、都内入りだと本来予定していた翌日の入浴計画を前倒しでき(しかも余裕時間たっぷり)、東京起点なので移動にも苦労しない、という利点があったためこの行程を採用することにしました。
予想通り10分ほどの遅れで仙台駅に到着し、再び18きっぷのお世話になるのでした。
意外と都市間のバスって遅れが出やすいなあ・・と気づいた旅行でした(^^;
<仙台1805→福島1928 東北線590M>
<福島1945→黒磯2148 東北線2154M>
乗車車両:クモハ701-1506
福島駅到着後も同じ車両が黒磯行きになるということで、3時間40分の間お世話になった車両。福島って書くと、大阪環状線のように見えます。
▲福島での停車時間に、乗られなくなった「ムーンライトえちご」の指定券をキャンセル処理。西広島駅(JR西日本管内)でクレカ購入した指定券を持っていた今回の場合、福島駅(JR東日本管内・他社の窓口)では払い戻し処理が行えない為、座席だけ空席にして払い戻し処理は購入会社の窓口で行う「払戻申出」の処理を受けました。同様に「乗変申出」の対応もあるそうで。
<黒磯2153→宇都宮2241 東北線1592M>
乗車車両:サハ211-3066
ぼちぼち引退する車両が現れ始めた211系。ここではロングシートの車両に乗車。
<宇都宮2242→大宮2357 東北線2544M>
乗車車両:モハE231-1533
続けて画像無しですが、どうかご勘弁を。「墜落インバータ」の音を楽しみつつ、埼玉まで戻ってきました。ちなみにこの2544Mは、東北線上り列車の最終列車。乗り換え案内では、時刻に注意する旨の注意放送がしきりに行われていました。
<大宮2358→田端0033 京浜東北線2315C>
乗車車両:サハE233-1014
乗車中に日付が変わりますが、京浜東北線の最終列車で都内へ進みます。18きっぷの「電車特例区間」の特例が適用され、首都圏エリアについては一日分のきっぷが終電まで切符が有効となります。
▲田端駅にて。首都圏で最終に乗るなんて、これまでありそうでなかったような。
<田端0055→池袋0105 山手線2420G>
乗車車両:モハE230-513
いよいよ最後の列車。これも山手線の最終列車です。最終列車ということで1時前の時間ながら多くの乗客が乗っていました。郊外へ行く列車ならともかく都心をぐるぐる回る山手線で、いったいどこへ行くのでしょう。
▲一日の輸送を全て終えた山手線のE231系。せっかくなので車内の写真でも撮ろうかと思いましたが、居眠りしている人が多く思うようにいきませんでした。
▲1時過ぎの池袋駅前。何でこの時間に路線バスが?と思うと、埼玉方面へ行く深夜バスでした。深夜バスは特定の車両が運用入りするパターンが多いそうで、この国際興業の深夜バスもメトロ窓・長尺・ハイバックシートという東京らしからぬ仕様が採用されていました。
私が広島でもいわゆる旧市内在住で中心部から近いという土地柄、夜遅くなれば「タクシー乗ればいいじゃん」という考えがありますが、長距離移動の多い首都圏では、タクシーよりは安上がりな深夜バスが重宝されるようです。
池袋ではネットカフェに入り、疲れを癒したり帰りの行程を組み直しながら翌朝までの時間を過ごしました。
次回の旅行記では、いよいよ旅行最後の行程、広島に帰るまでの様子を載せていきたいと思います。