K.Kの日記(鉄道・バスRoom付属ブログ)

鉄道・バスRoom管理人K.Kのブログ
気になる鉄道・バス・車ネタを掲載しています。

H27/3/14ダイヤ改正その1 103系ラストラン

2015年03月21日 15時24分00秒 | 鉄道関係
北陸新幹線の開業、北陸本線の会社線化、そして約30年ぶりに広島地区に配置される新製車両227系がデビューして、記録的な出来事が続いた今年のダイヤ改正。既に一週間が経ち、新ダイヤも馴染んできたのではないでしょうか。

広島地区では227系導入のみならず、広島横川間に新駅「新白島駅」が開業し、ダイヤの面でも実態に合わせた効率的な運用が組まれるなど、目新しい話題が続いています。
一方で、この改正で呉線を中心に活躍していた103系D編成が静かに引退し、広島から103系が消滅しています。今日の記事では、そんな103系のラストランの様子を掲載します。


▲3月14日の早朝。生まれ変わった地元の鉄道事情をこの目で見るべく、始発列車の924Mに乗車。横川駅を出発し、すぐに新駅の「新白島駅」に到着しました。
実は後から知ったのですが、乗車した列車は新白島駅に停車する一番列車。ホームでは関係社員と思われる方のお出迎えがありました。


▲呉ポートピア駅で折り返し、ここから103系ラストランに立ち会います。ラストランはD-01編成のお世話になりました。
元々、安浦始発で1日1往復だけ設定されていた本線直通の103系運用。この121M列車の広島駅到着前には、乗務員の方から103系が運転を終了する旨の案内放送がありました。


▲最初で最後となったであろう103系車内から眺める新白島駅。


▲広島で列車番号が変わり、無事に由宇駅に到着した103系。ダイヤ改正の移り変わり・・とやらで、上り本線を走り行く227系との並びも見られました。新旧安芸路ライナーの並びですね。

由宇駅で約30分の折り返し時間があり、車内の様子を観察しました。

▲これだけ岩国駅で撮影していますが、車内全景。4両編成の103系B編成が引退して以来、115系と共通点があるものの珍しさを感じながら眺めていた内装です。

▲103系に限った事ではありませんが、一部車両では優先席のモケットがアーバン地区の車両で見られる柄に更新されています。321系と同じような柄の115系も居ましたね。

▲路線案内図は更新されていませんでした。


▲車内の製造銘板。ユニット窓なので中堅世代の車両・・かと思いきや、昭和41年の製造だそうです。
同じく広島で現役最古参と言われる、C-41編成のクハ115-152や165と1歳違いですね。更新されているので、古さをあまり感じません。

その後、定刻で由宇を発車。由宇発岩国行きの538M列車が103系ラストランとなり、短い道中でしたが岩国に無事到着しました。

▲全ての営業運用を終えた103系D-01編成。十数人程度のギャラリーで、思いのほか静かなラストランでした。平和で何よりです。

▲8時55分。客扱いが終了し、幡生へ向けて出発しました。長い間お疲れ様でした。

▲後を引き継ぐ227系も見送り。

昼には、同じく呉線を中心に活躍していた103系D-02/03編成が回送されました。

▲こちらは岩国方よりD-03+D-02編成の2編成で姿を見せました。少なくとも、自分が見てきた中では最初で最後の103系D編成併結の姿です。
昔は6連が走っていたなんて噂も聞いたことがありますが、どうだったのでしょう?2+4の115系どうしの組み合わせだったような気も・・。


▲103系どうしの連結面。これだけなら少し前の4両のB/E編成で見られた・・ような気が。

▲この回送列車は五日市駅でしばらく停車していたので、その様子も撮影。岩国と同じく、十数人くらいのギャラリーでした。


▲そして、最後は岩国駅で103系の雄姿を眺めました。岩国では停車せず、モーターを唸らせながら7番線を通過して行きました。

▲糸崎方のB-02編成。年末の大雪で乗っていたB-02編成が駅間に停まり、車内で暖を取ったことも良い思い出です・・(^^;

227系や新駅で盛り上がっていた一方で、静かながらも平和だった103系ラストラン。D編成は広島では特異だった3両ワンマン対応で、専ら呉線で運用されておりなかなか縁の無い車両でした。今後は227系A編成が後を継ぎ、「安芸路ライナー」などで活躍する事でしょう。

103系ラストラン編はここまで。次回は、注目を浴びている227系ネタをブログ記事にします!

ボン・バスで路線番号の運用開始!

2015年03月13日 22時36分00秒 | バス関係
去年のバスまつりで計画が発表されて以来、各事業者で普及してきた郊外バス路線への路線番号の設定。
ブログでもちょくちょく取り上げているボン・バスでも路線番号が採用されたようなので、辺りが真っ暗な中、どのような表示が出ているのか確認しようと西広島駅近辺でカメラを構えてきました。


▲広島200か・688 80037 「11-1 大迫団地」
己斐地区全域をカバーするボン・バスの路線。基本的に、かつての広電バスが己斐地区で運行していた時と同じ「11番」が割り当てられたようです。そこから、枝番を振って団地ごとに系統を分けているようで、「1並び」の番号は大迫団地線で採用されました。

▲前面表示はこんな感じです。あくまで、LED表示がどんなんだったか・・という事で掲載(--;


▲広島200か・488 80024 「11-7 五月が丘団地」
さて、こちらは五月が丘線の表示。かつては広電バスの郊外線扱いで系統番号は振られていませんでしたが、ボン・バスでは同じ11番が採用されました。

▲こちらも後ろから撮影。


▲広島200か・516 80028 「11-15 広電己斐団地」
ぼちぼちお気づきかもしれませんが、枝番がやたらと飛んでいます。15番まで来てようやく広電己斐団地線の表示です。

ということは、運行パターンによって空白を埋める枝番が割り当てられているのか・・?
団地のバスというイメージとは裏腹に、運行経路が複雑なボン・バスの路線。これは枝番コンプリートの難易度は高い予感!


▲広島200か・687 80036 「11-18 フジハイツ・イトーピア循環」
明日14日に控えたダイヤ改正で、一部便の運行経路が変わるフジハイツ線。今日見かけた枝番では一番大きな数字でした。

▲後ろの表示は非常に細々としています。


▲広島200か18-03 80050 「11H 紙屋町・八丁堀」
大きな番号を載せたところで、次は数字以外のものも。市内中心部直通の八丁堀線は数字では無く、アルファベットを用いた枝番を用いています。「H」も何か意味があるんでしたっけ・・?
中心部を通るバスはアルファベットである程度経由地が区別できる、なんて紹介されていた気が。


▲広島200か・516 80028 「11 西広島」
一番最後になりましたが、最もベーシックな「基本形」も掲載。路線別に枝番が振られている・・と紹介しましたが、各団地から西広島駅を目指す便は、枝番無しで非常に分かりやすい「11番」が採用されていました。


西広島駅で30分程度眺めていたのですが、LED車のほとんどで系統番号が登録されているようで、番号無しで今までの表示は1台か2台しか見かけませんでした。今後も注目していかなければ。。

北陸本線乗り納め その2

2015年03月12日 22時26分00秒 | 鉄道関係
乗り納めその1」の続き。
この記事では、三日目と四日目の北陸線の駅巡り、バスネタでは元ボン・バス80033号車との再会、そして強風に惑わされた帰り道の様子を掲載します。

一晩お世話になった宇奈月温泉を発ち、再び富山地方鉄道線に乗車し魚津駅まで戻り、北陸本線を東へ進みます。

▲魚津駅。ロータリー中央のちょうちんには「あいの里とやま鉄道」開業を祝う文字が見られます。


▲駅構内のポスター。新幹線駅は新幹線開業に関するポスターが目立ちましたが、ここ魚津では在来特急の引退を惜しむポスターが多く貼られていました。こちらは「北越」仕様。
よく見るとJR西日本・JR東日本・北越急行の三社が共同で製作したポスターとの文言。他会社なのに、こんなのを作るとは驚きです。

▲こちらは「はくたか」ポスター。「はくたか」は新幹線の愛称として引き続き残ります。


▲三日目も時間を全く調べずに行動したのですが、魚津に着いた時間はあいにく直江津直通列車の無い時間帯。という訳で、とりあえずすぐに来た泊行きの521系に乗り込みました。


▲泊駅と周辺は思っていた以上にのどかでしたが、近くで無事お昼ご飯を食べ、引き続き東へ移動します。
ここでようやくお楽しみの457系に遭遇!やっぱり北陸本線と言えばこの車両・・ですが、もう明日で終わりなんですね。


▲泊~越中宮崎間で撮影。北陸本線でも東寄りの区間では、海沿いを走る景色を楽しめます。

そして、この日最初の目的地に到着。

▲直江津の少し手前、「親不知駅」で下車。車窓から眺めていてずっと気になっていた駅で、周辺の散策を楽しみました。


▲親不知駅は日本海が間近に見える無人駅で、しかも海の上に国道や高速道路の高架橋が掛かっているという、ちょっと珍しい景色を楽しめる駅です。いつ眺めても妖しい雰囲気満載。


▲駅舎。歴史ある駅らしく、立派な駅舎が建っています。かつては旅客と貨物の両方を取り扱う駅だったそうです。


▲線路際の県道を歩いていたら列車の接近音が聴こえ、カメラを構えていると貨物列車が通過しました。


▲海沿いへ出て、駅の全体を撮影。ホーム長も長いですね。


▲海に掛かる国道の高架からは、こんな景色を楽しめます。ちょっと怖いです。。


▲海岸をお散歩しながら、特徴ある高架を下から眺めます。聴こえるのは波の音と頭上から響く車の走行音だけ。


▲次列車の時間が迫ったので駅へ戻ります。ふと足元を見るとこんなのが。つい「右、ヨシ!」が出そうに・・(笑


▲一時間ほど滞在した親不知を離れ、直江津行きの413系に乗り込みました。


▲途中の糸魚川では「はくたか15号」の出発を待ちます。何気ない景色ですが、これももうすぐ終わりです。


▲糸魚川から約20分、次の目的地の「筒石駅」で下車しました。

筒石駅と言えば、トンネル内にホームが設置されているということで有名な駅で、私を含め駅目当てで訪れる人も多いそうです。上越線の土合駅も同じトンネル駅ですね。
ちなみに筒石駅が存在するこの「頸城トンネル」は全長約11km。長大トンネルの多い北陸本線ですが、その中でも2番目の長さを誇るトンネルだそうです。


▲ホームは上下線で少し離れた配置です。

▲こちらは待合室。頑丈な扉が設置されていますが、特急列車の通過時に強い風が吹き抜ける事があるそうで、列車接近時以外は閉じられた状態となっています。
駅係員の方の計らいで特急通過の様子をホームで眺めたのですが、新幹線通過時のような強い風で、本当に体を支えるのがやっと・・という状況でした(笑


▲改札口とホームは階段で繋がっており、途中に上りホームと下りホームの分岐が存在します。


▲改札口へ続く階段。見た目はけっこう長そうですが、意外と余裕で駆け上がることが出来ました。


▲こちらが駅舎。筒石駅は有人駅で、業務委託駅として運営されているそうです。

筒石でも次の列車の時間に余裕があったので、周辺を散歩。

▲駅舎から少し歩くと海沿いの国道へ出ました。タイミングよく糸魚川バスのキュービックが来たので撮影。
実は初めて知ったのですが、塗装の通り頚城自動車のグループ会社だそうで、地域別に分社化されているそうです。ずっとこのカラーリングは、全部が頸城バスだと認識していました(汗


▲再び駅に戻り、筒石駅を後にしました。ここでも413系に乗車。

直江津では乗換が発生しますが、やはりここも時間があったので駅前でバス観察に勤しみました。


▲頸城バスのエルガミオ。車種が車種だけに、全国各地で見かける標準的な仕様ですね(^^;

直江津からはこの日最後の移動で、長岡まで移動しました。

▲タイミング良く「くびき野」が接続しており、閑散期で安いから指定席に乗ろう!と指定席券を購入。どの編成が来るのかと期待していると・・なんとT18編成がやってきました!
かつて「ムーンライトえちご」でも何度かお世話になったこの編成。(って、6年くらい前に乗ったっきりだとは・・)
新潟寄りにはかつて北海道方面への運用で活躍したというクハ481-1508が連結されています。運転席上に2つ付いた前照灯と、浮き出た後部標識灯(?)が特徴です。

そして、車内でうとうとしつつ長岡に到着しました。

▲長岡駅前に停まっていたエアロK。この手の車は新潟でも古参車になるのでは?
気が付けば地元広島でも数台程度の活躍となってしまい、ぼちぼちこの辺りのデザインも古く見えるようになりました。。


長岡で夜を明かし、四日目(最終日)の行程。
最終日も駅めぐりを予定していましたが、その前に幾度と無く訪れた東三条駅へ移動し、元ボン・バス80033号車を探しました。
実は、長岡で下車したのもそのためで、時々長岡でも運用に入ることがある・・という事だそうです。


▲という事で、長岡と東三条の駅前で粘るも遭遇できず、営業所の様子を眺めてみようと考え営業所行きのバスに乗り込むと・・ビンゴでした!
タイミングよく三条の営業所で休んでいた元33号車こと、新潟200か422のエアロミディMKと再会。少し色褪せていましたが、ひとまずはまだ現役のようです。


改めて細部を観察していると、製造銘板には平成4年1月製造の文字。自分と大して変わらん歳・・ということは、既に23年モノの車です。

他の車両を見ていても、物持ちの良さそうな越後交通の車両。とは言え雪の多い地域で活躍する中古車ですので、これが最後になってしまいそうな気も・・。
出来れば実際に乗りたかったのですが、再会出来ただけでも運が良かったと考えないといけませんね。


▲車内も変わらずの様子。広交、ボン・バス時代も乗る機会が多く無かったとは言え、懐かしいです。


▲舐めるように眺めていると、ちょくちょくボン・バス時代の名残りと思われる緑色の塗装の跡も見えました。

実はこの辺りでコンデジの電池残量が無くなり、荷物になるから・・と充電器も持ってきておらず、後半は携帯電話のカメラでひたすら撮影していました(汗

再会を楽しんだ後は、再び東三条駅に戻り、最後の駅めぐりということで「青海川駅」に向かいました。


▲長岡から乗ってきた115系を見送ります。

青海川駅は、信越本線に属する無人駅で、先ほど掲載した親不知駅よりも海に近い駅で、日中はやはり日本海の荒波を間近で楽しめる・・という駅です。ここは新幹線開業とあまり関係無く、改正後も引き続き信越本線の駅として存続します。


▲新しげな駅舎。どうやら2007年に発生した地震で付近の斜面が崩落して駅舎や設備が被害を受け、復旧工事と併せて新駅舎が建設されたそうです。


▲曇り空でどこにでもいる115系、そして携帯画質なのが残念ですが、真横から。
そう言えば新潟では、E129系なる新型車両が導入されたようですね。国鉄型が多い地域とは言え、元々E127系が活躍していたこともあり、インパクトは薄いのが本音です・・(汗


▲海を眺めたり列車を撮ったりするうちに、広島へ戻る時間。E129系が来ないか・・と期待しましたが、やはり何ら珍しくない115系でした(--;

▲出発間際に車内から撮影。何だかんだで、この辺りはまた乗車機会がありそうです。
ちなみに改正以降は、上越妙高駅(旧脇野田駅・・でしたっけ)と新潟駅を結ぶ特急「しらゆき」がE653系運用で設定されるそうです。


▲柿崎駅で乗り換え。個人的には最後の利用となる「北越」のお世話になります。リニューアルされた3000番台がやってきました。


▲前日に散策した親不知駅を車内から眺め・・


▲無事に金沢駅に到着し、「北越」お別れ乗車は終わり。お世話になりました。

さて、引き続きサンダーバードとのぞみを乗り継いで広島に戻るのみ・・ではあるのですが、湖西線名物の強風により、乗車予定のサンダーバード44号は東海道線(琵琶湖線)経由に変更されて運行するとのこと。当然ながら京都で最終のぞみには乗り換えられません。

僕は次の日が仕事だったのですが、始業時間が遅い勤務で、きっぷの変更さえどうにかなれば、翌朝始発の新幹線で広島に戻っても十分間に合う計算でした。
そのため検札に来た乗務員の方にも、不接となる新幹線のきっぷの取扱いだけ聞き、車中でのんびりと鯖寿司を食べながら過ごしていました。

・・そして、敦賀出発後のこと。再び乗務員の方が来て、こんな紙切れを渡されました。

▲「業務連絡書」なるA5サイズの紙。

これは駅や車内で紛失したり、取り違えたきっぷが発見されたり、今回のように旅客都合によらない列車の変更などが発生した場合に発行される証明書で、時としてこれがきっぷと同等の効力を持つ用紙となる・・そうです。

この時は米原乗り換えで当日中に広島に戻ることが出来る接続があり、関係箇所の承認を得て、特急券を購入していない米原~京都間の新幹線に乗車できる事になりました。

その後はサンダーバードの乗務員や米原の駅係員に付き添われてひかり531号に乗車、新大阪でもすぐに乗り換えられるように到着番線を変更され、やはり駅係員の案内を受けながら、所定ののぞみ129号に乗車出来るルートを確保して頂きました。


他会社同士の乗り換えで、しかも在来線から新幹線への乗り換えだったのに、良い意味で予想外の手厚い対応に驚きつつ、その後は無事に広島に到着したのでした。
特急利用ということでここまでの対応だったのかもしれませんが、それでも乗務員の方にはひたすら感謝するばかりです。。


▲ということで、最後に使用したきっぷたち。
ゆきの乗車券では頻繁に途中下車したので、賑やかな券面となりました。最後の金沢→京都→広島のきっぷは、東海道新幹線が絡む都合上、eきっぷとe特急券の組み合わせで購入しています。

北陸本線乗り納め その1

2015年03月02日 17時20分00秒 | 鉄道関係
JRグループのダイヤ改正まであと一週間ちょっと。今回のダイヤ改正では広島地区への新型車両「227系」の導入、北陸新幹線の開業といった大きな話題が目立ちますね。
一方で新幹線開業に併せ、並行する北陸本線がJR西日本から手放され、私鉄線としての経営に切り替わります。

個人的に北陸本線と言えば、高校生の頃から乗り鉄や旅行で幾度と無く利用した路線。地元以外の鉄道では一番思い入れがある区間で、北陸本線の名称が消える前に勝手に乗り納めを済ませよう・・と思い、2月23日から26日までの間に北陸方面へと出かけてきました。


▲ということで、23日は泊まり明けの足で広島を出発・・したのですが、所用を済ませたら夕方の広島出発となりました(--;
行きはひたすら在来線を乗り継いで、日付の変わった頃に到着した守山で夜を明かし、24日の朝に本格的な「北陸本線乗り納め」をスタートさせました。
画像は米原から敦賀までお世話になった521系。この辺りも少し前までは413系が頑張っていましたね。


▲敦賀からはまた521系に乗り換えて、加賀笠間駅まで移動。

加賀笠間は今回初めて利用した駅。ここでは沿線に撮影スポットがある・・という情報を聞き、迷いながら歩く事30分、撮影スポットと言われるポイントに到着しました。

▲しらさぎ1号で運用されていた683系S7編成。

▲340M列車で運用されていた521系G24編成。このほかにも、227系顔の車両も見かけました。

他にも何編成か撮影したのですが、せっかくのカメラなのに撮影の腕が悪く、掲載できるものではありませんでした・・(汗)いわゆる「撮り鉄」は自分に向きません。


▲加賀笠間駅の東口待合室。0系や200系で採用されたらしいD23型簡易リクライニングシートが再利用されています。485系辺りで採用されていたR51型かと思ったんですが、アームレストの形状の違いが判別点になるようです。


▲先へ行こうと列車を待っていると、来たのはまたまた521系。それはいいのですが、野々市駅辺りで北陸新幹線用の車両が見えてきました。西日本版がW7系、東日本版がE7系でしたっけ・・?


▲金沢駅に到着。

3月14日より、新幹線の始発駅として注目度を増す金沢駅。
沿線では新幹線開業に向けて期待がかなり高まっているようで、駅のあちこちでは新幹線のポスターや幟が掲出され、地元のテレビ番組でも頻繁に新幹線絡みのニュースが取り上げられるなど、新幹線開業前夜の雰囲気を大いに楽しめました。

▲こんなポスターをあちこちで見かけました。そして、新幹線開業の期待が高いゆえにひっそり(?)と姿を消す「北越」と在来特急「はくたか」を惜しむポスターも。
「はくたか」はあまり縁がありませんでしたが、それでも18きっぷで北陸線を利用していたときには羨んで眺めていた優等列車。改正以降は北陸新幹線の速達型列車の愛称に採用されます。


▲そして、北陸本線金沢~倶利伽羅間は「IRいしかわ鉄道」に経営が移管されます。
ポスターに写っている車両は、見ての通り521系。移管後は521系が譲渡される・・という扱いでいしかわ鉄道線で活躍するそうです。


▲北陸本線の特急停車駅でおなじみの乗車口表記。次に来る特急列車の号車と乗車位置が光る仕組みになっています。「サンダーバード」「しらさぎ」が引き続き残るとは言え、そのうち特急街道の名残りと言えそうな設備になりそうですね。


▲工事中の金沢駅新幹線直接口。隙間から「新幹線のりば」の案内が見えますね。もちろん在来線側からの乗り換え改札も設置されます。


▲こんな並びも見納め・・?


▲数少ない和倉温泉行き「はくたか」。金沢津幡間の経路が重なり、料金計算で頭を悩ます列車ですね。


▲駅前で少しだけ撮りバス。北陸鉄道もちょくちょく新しげな車を入れているようですね。

新幹線開業に湧く金沢駅の様子を眺め、続いては高岡に移動しました。


▲たった一区間ですが、「北越5号」のお世話になり高岡を目指します。

▲今回もJ-WESTカードを使い、割安なe特急券を購入。まあ、今回の区間だと割安・・というより、自由席の値段で指定席を確保できる、と言うのが適切ですね。


▲高岡駅でも新幹線熱の熱さを感じました!高岡では新駅の「新高岡駅」が新たな玄関口になります。


▲駅周辺は味わいのある建物が並んでいますが、再開発も行われている模様。


▲駆け足でしたが「高岡大仏」を見学。高岡は鋳物産業で栄えた街だそうで、街を歩いていても銅器で出来た銅像を多く見かけました。

▲古い街並みが残された「金屋町」と呼ばれる地域。

高岡駅に戻ってからは食事を済ませ、この日の宿である宇奈月温泉へ向かいました。


▲富山駅で乗り換え。ここまで来てやっと北陸らしい車両、413系のお世話になりました。455系の部品が流用された両開きの2ドア車で、北陸地区のローカル輸送に貢献している車両です。


▲魚津で富山地方鉄道に乗り換え。地元では「地鉄」と呼ばれているそうです。


▲新魚津から宇奈月温泉までお世話になった14760形。2ドアで車内に転換クロスシートが並び、グレードの高さを感じる車両でした。


▲そして、この日は宇奈月温泉のホテルで疲れを癒したのでした。

さて、今回の記事はここまで。次回(3日目と4日目)は北陸線筋でずっと気になっていた駅を巡り、越後交通で活躍する元ボン・バス80033号車との再会を果たし、強風に惑わされた帰宅道中の様子を記事にします!