今日は国道140号(雁坂道)が笛吹市春日居町を通るあたり、セブンイレブン春日居鎮目北店の横から始まるフルーツラインを行く。
フルーツラインを走り出すと間もなく、左手に保雲寺の大きな屋根が見えてくる。その少し先からいよいよ上り坂が始まるよ。
上りはじめて最初の1キロほどの勾配は、10パーセントまではいかないがけっこうきつい。
まだそれほど走ってきていないが、眼下の景色が素晴らしい。正面の山並みの上には真っ白い富士山も見られる。昨日は一日中風が強かったが、今日は風もほとんどなく春の日差しがたっぷりと降りそそいでいる。眩しいほどの日差しだが暑くはない。自転車で山を上るのにはちょうどよい気温だよ。
今日一緒に走ってくれるのは甥のH君だ。H君はみみ爺よりなんと24も年が下だ。みみ爺はついていけるかな。
H君の自転車は息子のを借りてきたという。ヘルメットは娘のだそうだがよく似合っているね。
最初の上りの後は多少のアップダウンを繰り返すがとても走りやすい道だ。車もほとんどやってこない。
正面にでんと聳えているのは兜山だ。H君は登ったっことがあるそうだ。
青空がきれいだね。
富士山はいよいよ大きく見えて来たよ。
のんびり50分ほど走ってフルーツ公園に着いた。正しくは「笛吹川フルーツ公園」というらしい。
近くにはよく知られた「ほったらかし温泉」というのがある。みみ爺はてっきり同じ場所にあるのかと思っていたが、少し離れた別の場所にあるそうだ。甲府盆地の夜景や星空が素晴らしいというから、みみ爺も一度はその温泉に浸かってみたいね。
坂が始まった保雲寺の標高は283メートルだ。そしてここの標高が600メートルだから、すでに300メートル以上は上って来たんだね。
さあ、いよいよ太良峠へ向かうよ。
フルーツラインをさらに進む。下ってまた上り返す。せっかく上って来たのにもったいないような下りだ。でも、天気もよく、車もなくとても気持ちがいい。
太良峠へと続く県道31号にようやく着いたよ。このあたりの標高は515メートルほどだから、太良峠までの標高差はおよそ600メートルあるよ。ここからが太良峠へのほんとうの上りだ。さあ覚悟しろ、みみ爺。
少し進むと、道にはみ出すような形の巨石が現れた。道はその巨石をよけるようにそこだけ幅が狭まっている。巨石の上には、これもかなり大きめの地蔵の首だけが乗っかっている。首地蔵というそうだ。この首地蔵にはかなり奇怪で恐ろしい伝説が語り継がれている。
「ここで写真を撮ってあげるよ」
と言うと、H君は気味悪がって、
「気持ちが悪いからいいや」と。
どんなことにもあまり動じない性格のHくんだが、みみ爺は意外な面を見る気がしたよ。
首だけの地蔵だから確かにそうかもしれないがね。
まだそれほど急勾配ではないがずっと上りが続いている。休み休み上る。
いよいよ急勾配の始まりだね。10パーセントを越える勾配も時々現れるようになった。
「止まったら漕げなくなっちゃうから行きます」
H君は休まず先へ行く。若さだ。
路面には滑り止めの縦溝が刻まれ始めたよ。
自転車をガードレールにもたせ掛けて止めようとしても、ずるずると下がって行く。それほどの勾配だ。
H君はまだまだ元気のようだね。涼しい顔をしている。そりゃそうだろう、みみ爺よりずっと
若いんだものね。
道々目にする風景もなかなかいい。切差の集落に入ったようだ。集落の様子が素敵だよ。車はほとんど通らない。山奥の静かな集落だ。
切差区公民館の前でお昼にしたよ。ちょうど12時だ。お腹がすくわけだね。
公民館まで上って来た道も勾配は10パーセントほどある。
「あんな斜面にある畑じゃ農作業がえらいなあ」
道の向こうの斜面に作られた畑を見ながらH君は言う。最近、会社を辞めて実家の農業を手伝い始めたH君だ。実感のこもった一言だね。
近くに、山々が立体的に描かれた絵地図があった。かなり細かく描かれている。みみ爺がいつかは走ってみたいとずっと思っていた大弛峠まで描かれている。しかし、もう年だし大弛峠は諦めた方がいいようだね。
道々沿うように流れていたのは兄川と言うんだね。心地よい水音を時々耳にしながら走ってきたよ。
公民館近くの景色だよ。
昼食を終え、少し走ると何故かこんなところに二宮金次郎の像があった。背後の山の景色がきれいだったので撮っておいた。
道は勾配10パーセントほどのままどんどん高度を上げていくよ。
ずっとフロント24T、リア32Tのギアのままだ。それでもみみ爺にはきつい上りだ。何度も何度も休み休み上ってく。
きれいな新緑の森に癒される。
ここまで上ってきて、若いH君も相当疲れているのだろう。初めて乗る慣れない自転車だから無理もないね。
どうにかこうにかあえぐように峠に着いたよ。峠の標高は1120メートルだ。
みみ爺、よく頑張ったね。この時は本当に、自分を褒めてあげたいと思ったよ。
この峠を走りたいと考えたときから、年取って心臓も病んだみみ爺にはもう無理かもしれないと思っていた。だから、どうしても峠まで上れそうもなかったら途中から引き返してこようと決めていた。
みみ爺は1年半前に心筋梗塞で救急車のお世話になった。病院へ運ばれる途中、苦しさに朦朧とした頭の中で、もう死ぬかもしれないと思った。手術をした後の入院中も、自分の自転車人生はもう終わったと諦めていた。
だが、退院後少しずついろんな運動をはじめ、自転車にも乗るようにして、平地では60キロや70キロは走れるようになった。低い山にも歩いて登った。心臓は問題なさそうだった。それで少しだけ体に自信が持てるようになって、この峠を自転車で越えてみようと思ったのだ。
そして今、こうして峠に立つことができた。来月75歳になるみみ爺がこのきつい峠を上ることができた。すごく嬉しい。まだまだ自転車に乗れる。大好きなランドナーで走れる。そう思うと喜びと感慨で胸がいっぱいになったよ。
峠からの甲府盆地の眺めは、空が霞んでいなければきっと素晴らし景色だろうね。
さあ、いよいよ下りだ。どんな下りだろうか。嬉しくもあり不安でもある。標高差と距離から考えてもかなり急な下りになるだろう。
道の雰囲気は最高にいい。
下り勾配は思った通りかなりの急勾配だ。
富士山も見える。甲府盆地の景色も広がっている。
途中こんな風情のある長閑な風景も見られた。
勾配がどんどんきつくなる。ブレーキは握りっぱなしだ。ブレーキを握る手のひらの筋肉が悲鳴をあげる。
峠から4キロほど下ったあたりから道は急に狭くなり、滑り止めのための横溝が刻まれた荒々しい感じのコンクリートの舗装に変わった。勾配はおそらく20パーセント近くあるのだろう。おしりをサドルのずっと後ろまで下げて体重を後輪にかけるようにした。ブレーキを強く握ってもあまり効かないような気がする。とても怖い。転倒したらただでは済まないだろう。
もしフルーツ公園側からではなくこちら側から上っていたら、みみ爺にはおそらくペダルを回すことができなかっただろう。自転車を押して上るのも相当きついに違いない。フルーツ公園側から上って来て正解だったね。
ここまで下りてくるとだいぶ走りやすくなった。
おや、道が立体的になっているよ。楽しいね。
要害温泉まで下りてきたよ。
すると石垣の上に建つ木造の大きな建物がみみ爺の目を引いた。かなり風格のある立派な建物だ。きっと以前は旅館か何かだったのかもしれない。そんな雰囲気だ。
H君も急勾配を下ってきてホッとしている様子だ。
「手がとにかく痛い」
H君は手袋をはめていなかったんだ。それに慣れない自転車だったからね。
近くに臨済宗の積翆寺というお寺があったので覗いてみた。
こちらのお堂の中には武田信玄の像が安置されていた。
積翆寺を離れ、県道をそれた道を少し行くと石垣に作られたこんな祠があった。中には地藏や観音像の石仏が置かれている。庚申供養塔は無残にも根元から折れて倒れかかっていた。
こんな裏道は好きだなあ。はるか下には甲府盆地の街並みが見えるよ。
再び県道に戻って下って行く。ずっと下りだ。下りは楽でいいけど、あっという間にいろんな景色が通り過ぎていく。景色を楽しむ暇もない。みみ爺はどちらかというとのんびり走る方が好きだ。
これは竜華池というそうだ。大正時代に農業用のため池として建設された人口の池だそうで、現在は用水の利用は減少し、ブラックバスが放流されて管理釣り場として活用されているという。
さあ、ようやく甲府の市街まで下りてきたよ。まだ町の向こうの山並みの先に富士山が見えている。今日は一日富士山と一緒だった。ラッキーな一日だったよ。
お疲れさん、みみ爺、そして同行してくれたH君。
また一緒に出かけましょう。ほんとに楽しい一日だったよ。
フルーツラインを走り出すと間もなく、左手に保雲寺の大きな屋根が見えてくる。その少し先からいよいよ上り坂が始まるよ。
上りはじめて最初の1キロほどの勾配は、10パーセントまではいかないがけっこうきつい。
まだそれほど走ってきていないが、眼下の景色が素晴らしい。正面の山並みの上には真っ白い富士山も見られる。昨日は一日中風が強かったが、今日は風もほとんどなく春の日差しがたっぷりと降りそそいでいる。眩しいほどの日差しだが暑くはない。自転車で山を上るのにはちょうどよい気温だよ。
今日一緒に走ってくれるのは甥のH君だ。H君はみみ爺よりなんと24も年が下だ。みみ爺はついていけるかな。
H君の自転車は息子のを借りてきたという。ヘルメットは娘のだそうだがよく似合っているね。
最初の上りの後は多少のアップダウンを繰り返すがとても走りやすい道だ。車もほとんどやってこない。
正面にでんと聳えているのは兜山だ。H君は登ったっことがあるそうだ。
青空がきれいだね。
富士山はいよいよ大きく見えて来たよ。
のんびり50分ほど走ってフルーツ公園に着いた。正しくは「笛吹川フルーツ公園」というらしい。
近くにはよく知られた「ほったらかし温泉」というのがある。みみ爺はてっきり同じ場所にあるのかと思っていたが、少し離れた別の場所にあるそうだ。甲府盆地の夜景や星空が素晴らしいというから、みみ爺も一度はその温泉に浸かってみたいね。
坂が始まった保雲寺の標高は283メートルだ。そしてここの標高が600メートルだから、すでに300メートル以上は上って来たんだね。
さあ、いよいよ太良峠へ向かうよ。
フルーツラインをさらに進む。下ってまた上り返す。せっかく上って来たのにもったいないような下りだ。でも、天気もよく、車もなくとても気持ちがいい。
太良峠へと続く県道31号にようやく着いたよ。このあたりの標高は515メートルほどだから、太良峠までの標高差はおよそ600メートルあるよ。ここからが太良峠へのほんとうの上りだ。さあ覚悟しろ、みみ爺。
少し進むと、道にはみ出すような形の巨石が現れた。道はその巨石をよけるようにそこだけ幅が狭まっている。巨石の上には、これもかなり大きめの地蔵の首だけが乗っかっている。首地蔵というそうだ。この首地蔵にはかなり奇怪で恐ろしい伝説が語り継がれている。
「ここで写真を撮ってあげるよ」
と言うと、H君は気味悪がって、
「気持ちが悪いからいいや」と。
どんなことにもあまり動じない性格のHくんだが、みみ爺は意外な面を見る気がしたよ。
首だけの地蔵だから確かにそうかもしれないがね。
まだそれほど急勾配ではないがずっと上りが続いている。休み休み上る。
いよいよ急勾配の始まりだね。10パーセントを越える勾配も時々現れるようになった。
「止まったら漕げなくなっちゃうから行きます」
H君は休まず先へ行く。若さだ。
路面には滑り止めの縦溝が刻まれ始めたよ。
自転車をガードレールにもたせ掛けて止めようとしても、ずるずると下がって行く。それほどの勾配だ。
H君はまだまだ元気のようだね。涼しい顔をしている。そりゃそうだろう、みみ爺よりずっと
若いんだものね。
道々目にする風景もなかなかいい。切差の集落に入ったようだ。集落の様子が素敵だよ。車はほとんど通らない。山奥の静かな集落だ。
切差区公民館の前でお昼にしたよ。ちょうど12時だ。お腹がすくわけだね。
公民館まで上って来た道も勾配は10パーセントほどある。
「あんな斜面にある畑じゃ農作業がえらいなあ」
道の向こうの斜面に作られた畑を見ながらH君は言う。最近、会社を辞めて実家の農業を手伝い始めたH君だ。実感のこもった一言だね。
近くに、山々が立体的に描かれた絵地図があった。かなり細かく描かれている。みみ爺がいつかは走ってみたいとずっと思っていた大弛峠まで描かれている。しかし、もう年だし大弛峠は諦めた方がいいようだね。
道々沿うように流れていたのは兄川と言うんだね。心地よい水音を時々耳にしながら走ってきたよ。
公民館近くの景色だよ。
昼食を終え、少し走ると何故かこんなところに二宮金次郎の像があった。背後の山の景色がきれいだったので撮っておいた。
道は勾配10パーセントほどのままどんどん高度を上げていくよ。
ずっとフロント24T、リア32Tのギアのままだ。それでもみみ爺にはきつい上りだ。何度も何度も休み休み上ってく。
きれいな新緑の森に癒される。
ここまで上ってきて、若いH君も相当疲れているのだろう。初めて乗る慣れない自転車だから無理もないね。
どうにかこうにかあえぐように峠に着いたよ。峠の標高は1120メートルだ。
みみ爺、よく頑張ったね。この時は本当に、自分を褒めてあげたいと思ったよ。
この峠を走りたいと考えたときから、年取って心臓も病んだみみ爺にはもう無理かもしれないと思っていた。だから、どうしても峠まで上れそうもなかったら途中から引き返してこようと決めていた。
みみ爺は1年半前に心筋梗塞で救急車のお世話になった。病院へ運ばれる途中、苦しさに朦朧とした頭の中で、もう死ぬかもしれないと思った。手術をした後の入院中も、自分の自転車人生はもう終わったと諦めていた。
だが、退院後少しずついろんな運動をはじめ、自転車にも乗るようにして、平地では60キロや70キロは走れるようになった。低い山にも歩いて登った。心臓は問題なさそうだった。それで少しだけ体に自信が持てるようになって、この峠を自転車で越えてみようと思ったのだ。
そして今、こうして峠に立つことができた。来月75歳になるみみ爺がこのきつい峠を上ることができた。すごく嬉しい。まだまだ自転車に乗れる。大好きなランドナーで走れる。そう思うと喜びと感慨で胸がいっぱいになったよ。
峠からの甲府盆地の眺めは、空が霞んでいなければきっと素晴らし景色だろうね。
さあ、いよいよ下りだ。どんな下りだろうか。嬉しくもあり不安でもある。標高差と距離から考えてもかなり急な下りになるだろう。
道の雰囲気は最高にいい。
下り勾配は思った通りかなりの急勾配だ。
富士山も見える。甲府盆地の景色も広がっている。
途中こんな風情のある長閑な風景も見られた。
勾配がどんどんきつくなる。ブレーキは握りっぱなしだ。ブレーキを握る手のひらの筋肉が悲鳴をあげる。
峠から4キロほど下ったあたりから道は急に狭くなり、滑り止めのための横溝が刻まれた荒々しい感じのコンクリートの舗装に変わった。勾配はおそらく20パーセント近くあるのだろう。おしりをサドルのずっと後ろまで下げて体重を後輪にかけるようにした。ブレーキを強く握ってもあまり効かないような気がする。とても怖い。転倒したらただでは済まないだろう。
もしフルーツ公園側からではなくこちら側から上っていたら、みみ爺にはおそらくペダルを回すことができなかっただろう。自転車を押して上るのも相当きついに違いない。フルーツ公園側から上って来て正解だったね。
ここまで下りてくるとだいぶ走りやすくなった。
おや、道が立体的になっているよ。楽しいね。
要害温泉まで下りてきたよ。
すると石垣の上に建つ木造の大きな建物がみみ爺の目を引いた。かなり風格のある立派な建物だ。きっと以前は旅館か何かだったのかもしれない。そんな雰囲気だ。
H君も急勾配を下ってきてホッとしている様子だ。
「手がとにかく痛い」
H君は手袋をはめていなかったんだ。それに慣れない自転車だったからね。
近くに臨済宗の積翆寺というお寺があったので覗いてみた。
こちらのお堂の中には武田信玄の像が安置されていた。
積翆寺を離れ、県道をそれた道を少し行くと石垣に作られたこんな祠があった。中には地藏や観音像の石仏が置かれている。庚申供養塔は無残にも根元から折れて倒れかかっていた。
こんな裏道は好きだなあ。はるか下には甲府盆地の街並みが見えるよ。
再び県道に戻って下って行く。ずっと下りだ。下りは楽でいいけど、あっという間にいろんな景色が通り過ぎていく。景色を楽しむ暇もない。みみ爺はどちらかというとのんびり走る方が好きだ。
これは竜華池というそうだ。大正時代に農業用のため池として建設された人口の池だそうで、現在は用水の利用は減少し、ブラックバスが放流されて管理釣り場として活用されているという。
さあ、ようやく甲府の市街まで下りてきたよ。まだ町の向こうの山並みの先に富士山が見えている。今日は一日富士山と一緒だった。ラッキーな一日だったよ。
お疲れさん、みみ爺、そして同行してくれたH君。
また一緒に出かけましょう。ほんとに楽しい一日だったよ。
いろいろな峠をご存じですね。
このあたりはオートバイで良く行くのですが、いつもはクリスタルラインに向かうので素通りばかりですから出来れば自転車でも行ってみたいと思います。
クリスタルラインはずっと走ってみたかった林道です。でも、今の体力ではクリスタルラインまでの標高を自転車で上ることができるかどうかわかりません。しかし、本当に走ってみたい林道です。私は林道が好きです。…クマが出そう出そうですね。
よきお友達を見つけられ、一緒にツーリング(山登り)ができるというのは、まことによいことですね。
今回の峠越えでまた自信が付きました。次はどこへ行こうかと日々考えています。あまりきつくない峠を探そうと思っています。息子や妻が「年を考えろ」と言いますが、年を考えるからこそ出かけたいのですけどね。ハハハ。