Randonneur旅日記

おじいちゃんの自転車一人旅
輪行サイクリングと
のんびりポタリング

雲                             2020年8月29日 土曜日

2020-08-30 09:50:36 | 日記
季節が少しずつ移っていく。
午前中見られた、どこか秋ぽい静かな雲。



夕方見られた、巨大なかなとこ雲。



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思いがけなく生きている、みみ爺               2019年6月14日 金曜日

2019-06-14 17:42:44 | 日記
 思いがけなく頭の怪我をして、思いがけなくいいDrに出会い、思いがけなく助かった。人生には本当に思いがけないことがある。
 こうして今生きていることも、実は思いがけないことかもしれない。
 この公園の景色はもう何度も見ている。しかし、いつもとは何かが違う。何が違うんだろう。



 梅ノ木にたくさん梅の実がなっている。みみ爺よりもっと年配のおじいちゃんが、手にしてきた杖を放り出して、梅の実をとっている。 
「こんにちは。梅干を作るんですか」
 にこにこと人のよさそう笑顔のおじいちゃんだ。
「いや、梅酒だよ」
「これだけ梅がなっていると、梅酒もたくさん造れますね」
「角砂糖を買ってきてね、梅酒造りだ」
「たくさんなっていますね。そうですか。梅酒ですか、楽しみですね。」
「散歩で来たんだ。梅の実がたくさんなっていても誰もとらない。もったいないからね」
「ほんとにもったいないですね、こんなにたくさんなっているのに」
 散歩の途中で公園に寄り、梅の実をとって好きな梅酒を造る。これも、のんびりとした晩年の人生の過ごし方の一つだ。こんなのもいいね。



 見慣れた景色だが、思いがけなくまだ生きているみみ爺の目にはとても新鮮に映っているよ。いつもと何かが違うと感じるのは、思いがけなく生きていることに気がついたからかね。



 もしかしたら、みみ爺だけじゃなく、今生きている人は、誰もがみな思いがけなく生きているということなのかもしれないね。
 いつ何が起こるかわからないから、今、生きていることを本当に大切にしたいね。

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みみ爺青天の霹靂                2019年6月9日 日曜日

2019-06-09 11:49:20 | 日記
 みみ爺の家の庭には25年くらい前に手作りした、ほんとに小さな小屋があるんだ。図面を引き、休みの日に少しずつ進めて、当時、完成までに半年ぐらいかかっただろうかね。



 その小屋の扉や窓がいたんできた。たびたび塗装を繰り返してきたが、やはり木製だから年月とともに傷んで来る。



 それで古くなった窓や扉を新しく作り直したんだ。





 さて、取り外した古い窓や扉を解体して片付けなければならない。窓は小さいから簡単に切り刻むことができた。大きな扉はちょっと厄介だった。あちこちのネジをはずしていく段階で、仮にちょっと立てかけた。
 その立てかけ方がまずかった。しゃがんで別のことをしていたとき、立てかけた扉が横滑りしてきて、縦かまちがみみ爺の左顔面を直撃したんだ。
 一瞬フラフラっとなった。青あざにでもなったかなと思ったが鏡を見ると、いくらか腫れて膨らんでいるだけだったよ。その後も作業を続けてその日は過ぎた。
 物を噛むときにぶつけたあたりが痛んだが、それも3日ほどで消えた。
 ところが、それからさらに3日ほどすると、今までにない頭の痛みがあることに気がついた。みみ爺は1年に1度か2度偏頭痛に襲われることがある。しかしその痛みとは違うんだ。頭を左右に振ると痛みが増す。倒れてきた扉が当たった右側だ。
 気になるので病院へ行ったんだ。そしたらそのまま入院となってしまった。急性硬膜下血腫という診断だったよ。扉が頭を直撃したのもそうだが、この診断結果と入院宣告こそまさに青天の霹靂というもんだ。血圧が一気に160くらいに跳ね上がったよ。

 病室の窓からの景色はよく晴れていて気持ちがいいくらいだった。だが、みみ爺の心は重い。



 3日目に、突然みみ爺のところへ理学療法士の若いおねえさんがやってきたんだ。
「これからリハビリをします」
「えっ?」
「先生からそういう指示が出ています」
「そうですか」
 リハビリと言ってもみみ爺にはいったい何をやるのかわからない。体のどこにも、動かないとか動かしづらいとかいったところはない。とりあえず理学療法のおねさんの後についてリハビリ室へ行った。
 リハビリ室では、たくさん置いてあるリハビリ台の上で、みみ爺とおなじような爺さんやばあさんたちが、理学療法士にリハビリの指導を受けていた。
 みみ爺が台の上に横たわると、理学療法士のおねえさんは、ストレッチポールという筒状のものを持ってきた。その上に寝かされ、おねえさんの指示で足を上げたり腕を上げたり、万歳をしたり、その腕を大きく回したりといろいろやらされたんだ。
「なんでもできますね。元気そのものですね。私より体力ありそう」
 と、おねえさんは言う。
「なにをしましょうかね」
 と、困っている。
「じゃあ、マッサージでもしてください」
 と、冗談半分にみみ爺。
「そうしましょう。どこか痛いところはありますか?肩こりとかありますか?」
 というわけで、リハビリというよりは、ほとんど気持ちのいいマッサージをしてもらうことで、その日のリハビリの時間は終わったよ。
 次の日も理学療法士のおねえさんは困りっぱなしだった。で、マッサージをしてもらったり話をしたりして時間をすごしたんだ。若い女の子の理学療法士さんのマッサージを受けたり話しをしたり、入院中一番楽しい時間だったよ。

 さいわい5日ほどの入院で血腫は小さくなり、退院することができた。退院の日、Drは、
「1ヶ月ほどしてまた血腫が大きくなることがあります。その時は手術をします」
「自転車は乗ってもいいですか?」
 と、みみ爺。
「いいですよ」
 ああよかったと思った次の瞬間、後ろにいた家内が、
「でも、山を上ったり長距離を走ったりとかなんですよ」
 Drはそれを聞くと、キッとみみ爺をにらんで、にべもなく言ったんだ。
「それはだめです」
 あとで看護師さんに尋ねると、手術というのは、
「頭に穴を開けて、血を抜くんです」
 と、恐ろしいことを言う。
 まあしばらくはおとなしくしなければならないね。人生とはまったく思いがけないことがあるもんだよ。
 さて、何をしていようかね。普段乗り回している自転車のグリスアップでもしていようか。次に出かけようと思っていたところは決まっていたのにさ。

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メジロが巣を作った!                   2017年6月30日 金曜日

2017-06-30 12:33:39 | 日記
 6月に入ってすぐ、出窓のすぐそばのハナミズキの枝に、メジロが巣を作り始めたんだ。メジロは目の周りが白くて、とてもかわいい。出窓のブラインドの隙間からそっと写真を撮ったよ。

 巣は何日もしないうちに出来上がったようだ。
 出来上がった巣の中に、オスかメスかわからないが毎日必ず1羽がいた。卵を温めている様子だったよ。






 さっそく野良猫対策を施した。猫に襲われて生まれた雛がすべて食べられてしまったという話を友人から聞いていたんだ。



 卵を温め始めてから(たぶん)、15日ほど経ったころから、親鳥が2羽、ひっきりなしに巣を出入りするようになったよ。どうやら雛が卵からかえったんだね。
 1羽が出かけているときは必ずもう1羽が巣を守り、出かけていた1羽が戻ってくると、間髪を入れずにそれまで巣にいた1羽が飛び立っていく。雛の姿は見えないが、どうやら雛に与える餌を求めて出かけていくようだった。



 数日後には親鳥が餌探しから帰ってくると、少し大きく成長した雛の小さな嘴がわずかに見られるようになったよ。



 日に日に雛が大きくなっていくのがわかる。





 どこかでカラスの鳴き声が聞こえると、親鳥は雛たちの上に覆いかぶさるようにして、丸い目を空へ向けて息をひそめてじっと警戒している様子だ。雛たちは巣の底に隠れてじっとしている。



 梅雨に入ってもあまり雨が降らない。そのせいか、あるいはハナミズキの病気なのか、葉が1枚また1枚と散り落ちている。あまりたくさん葉が落ちると、葉の中に隠れていた巣がまる見えになってしまうよ。



 雛は日1日成長しているのがはっきりとわかる。
 親鳥は、はじめのうちは交代で餌探しに出かけていたが、この頃は運んできた餌を雛に与えるとすぐにまた飛び立っていくようになった。雛が成長してきたので、1羽だけで餌を探していたのでは間に合わなくなってきたのだろう。




 雛が一体何羽いるのか、巣の中を覗くわけにいかないのでわからないが、少なくとも2つの小さな赤い嘴は確認できた。
 親鳥が巣に戻ってくると、2つの嘴が天に向けて口を開けてしきりに餌をせがんでいるのが見られる。
 親鳥は、嘴にくわえてきた虫か何かを雛の口の中に入れると、さっと飛び立っていく。その目まぐるしい動きが1日中続く。



 近くに人の姿が現れると、親鳥は雛たちの上で目を見張って警戒する。



 あとどれくらいしたら雛たちは巣立っていくのだろうか。カラスや猫にも襲われず、無事に巣立ってくれるだろうか。
 また一つ心配事が増えた気がする。
 年を取る、と心配せずともよいような心配事をたくさん抱え込んでしまう。まあ、それが年を取るということなんだろうね。

コメント (8)
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