Randonneur旅日記

おじいちゃんの自転車一人旅
輪行サイクリングと
のんびりポタリング

泉倉寺と光堂をもう一度見たくて     2017年12月22日 金曜日

2017-12-27 08:04:58 | サイクリング・自転車旅
 朝出かけた時の近くの川の様子だ。一面に霜が降りて真っ白だよ。とても寒い。



 今日はもう一度泉倉寺と光堂を訪ねてみたくて出かけたんだ。
 いつものように手賀沼サイクリングロードを走り、下手賀沼の東のはずれにある「手賀干拓一の橋」を渡って泉倉寺へ向かった。違う表情の写真を撮りたかったんだ。



 境内の静かさは一緒だったよ。





 近くで見ると、さらに重厚さが感じられる。



 次は光堂だ。正面を斜め横から見てみた。



 こちらは後ろ姿だ。



 正面の姿を石段の途中から眺めてみた。



 御神木の観音杉の後ろ側だ。痛々しく裂けている。後ろに回らないと見られない。この立派な観音杉にも、傷に耐えてがんばっている別の姿があったんだね。



 やっぱりもう一度訪ねてみてよかったよ。前回とは少し違う姿を見ることができて、なんとなく納得した。

 この間は気がつかなかったが、泉倉寺の墓址があったよ。





 新川の水面に川鵜が翼を広げている。俺はここにいるぞと言わんばかりだね。
 世の中に忘れ去られかけている一人の爺がいる。悪あがきのようにブログを書いている。俺はまだ元気で生きているぞ、とでも言いたいのか。


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手賀沼のんびりポタリング5          2017年12月18日 月曜日

2017-12-20 17:10:36 | サイクリング・自転車旅
 今季一番の冷え込みだったという朝、公園の池には氷が張っていたよ。
 10日ほどの間、孫の風邪をもらい受けておとなしくしていたが、ようやく治ってきた感じがした。久しぶりにこぐペダルがとても軽い。
 ペダルをこいでいれば背中は温かいが、風を切る顔が恐ろしく寒い。手袋を二枚重ねていても手が冷たい。日が差してくればいくらかは暖かいが。



 いつものように手賀沼サイクリングロードを走る。そして手賀曙橋からサイクリングロードを離れ、下手賀沼のほうへ。みみ爺はそこからが楽しみなんだ。
 まずは観音寺へ寄る。観音寺の弁天池が凍っていて寒々とした眺めだ。



 今日は観音寺から少し東へ足を伸ばし、観音寺の和尚さんが絶賛していた泉倉寺とその近くにある宝珠院観音堂を訪ねてみることにしたんだ。
 冬枯れた田の先に見える道を右へ上って行くんだ。



 距離はないが10%ほどの勾配を上る。



 泉倉寺はすぐにわかったよ。天台宗のお寺で、立派な、実に堂々とした構えの本堂だ。なんでもその建築様式は重層銅板葺き阿弥陀堂形式というそうだ。みみ爺にはよくわからないが。





 よく掃き清められた境内には、印西七福神巡りの毘沙門天があるよ。



 こんな観音像やお地蔵さんも。





 こちらは印西大師1番と5番。印西大師八十八ヶ所巡礼の札所だ。





 宝珠院観音堂は、泉倉寺とは道を挟んで反対側にその入り口があるんだ。



 この細い小道を入っていく。えらく細い道だよ。住宅地から、いきなり山の中へ入っていくような感じだ。





 薄暗い道の先が少し明るく開けている。



 数百年の時を刻んできた国指定の重要文化財宝珠院観音堂(光堂)は、木々に囲まれた静寂な空間の真ん中にひっそりとたっていたよ。









 この静かなたたずまいの古刹は、雪景色の中では特にすばらしいという。







 本尊の観音様は「お引取り観音」と呼ばれているらしい。お参りする者は、生かされる者はそれなりに生かされ、召されるものは安楽に召されるというそうだ。
 安楽に召されるというのがいいね。病気で召されるときは苦しいだろうし、怪我で召されるときは痛いだろうから。そしてなによりも、何の心残りも無く召されていきたいと思う。機会があればぜひ拝ませていただきたい。

 境内の隅には十数基の十九夜塔が並んでいる。







 観音堂の裏へ回ると、こちらにも石仏や石塔が並んでいるよ。時間も空気も止まってしまったような静けさだ。



 御神木の観音杉だ。でかい。これはこれでかなりの存在感があって立派だね。



 印西大師12番とある。



 こんな歌碑もあった。石に刻まれた歌はこの地の俳人の作によるものだそうだ。



 それにしても冷えるね。手水鉢の水も凍っているよ。



 帰り道、北総花の丘公園の戸神調整池には鳥たちの声があふれていた。野鳥たちにとってはここは最高の楽園だろう。



 野鳥を観察する施設があるよ。





 そろそろ昼だ。早く帰ってコタツにもぐろう。
 それにしてもこの道はいったいどこに続いているんだろう。



 先が明るくなってきたよ。



 …しかしどこへ出るのかなあ。



 やっと人家が見えてきたよ。

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冬が始まる                 2017年12月4日 月曜日

2017-12-08 08:33:35 | サイクリング・自転車旅
 田も畑も枯れ色だよ。空はどんよりと重たい雲に覆われている。12月に入った 寒い朝だ。畑の土や陰になった斜面には降りた霜がまだ消え残っているよ。冬の始まりだね。



 木の葉はすっかり地面に落ち、とがった細い枝先が怒ったように空を突き刺している。



 荒涼とした眺めの観音寺弁天池。きょうは和尚さんの姿が見えない。



 寒々とした道が、暗い山の中へ吸い込まれていく。ペダルが重い。



 籾殻燃やし。白い煙が流れていく。とても静かだ。

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手賀沼のんびりポタリング4        2017年11月27日 月曜日

2017-12-03 16:38:27 | サイクリング・自転車旅
 今日もまた手賀沼へ行く。大津川から手賀沼へ出て、いつものように退屈なサイクリングロードを走り、下手賀沼付近の丘陵地帯へ向かったよ。

 ここは印西市浦部にある観音寺という天台宗のお寺の本堂だ。





 小さな弁天池の真ん中に弁財天。



 二体のお地蔵さん。



 こちらは仁王門だよ。



 仁王門の左右に立つ仁王像。乳のない「浦部の乳なし仁王尊」として知られているそうだ。なかなか立派な像だね。なんでも運慶作といわれている。





 それぞれの仁王像の前には乳房を模った絵馬が掛かっているよ。乳の出がよくなるようにと願いをこめたものであるらしい。





 立ち並ぶ新旧の墓石の中にはかなり古い如意輪観音も見られる。ここでも十九夜講が盛んに行われていたことがわかる。



 仁王門の先の石段の上には、江戸初期に建立されたという古刹、観音堂が木々に囲まれてひっそりと立つ。



 なかなかいい雰囲気の観音堂だ。あたりの空気がしんと張り詰めているみたいだよ。





 観音堂の左右にはさらに上へ向かう石段があり、上の道にでる。
 左手の石段の途中から観音堂の屋根と右手に本堂が眺められる。



 こちらは先ほどの仁王門だよ。



 右手の石段を上がると、観音堂のこんな素敵な姿が眺められる。



 観音堂欄間の彫刻。



 観音堂正面と色づいた銀杏の木。明るいがとても静かな眺めだよ。腰を下ろしているジーパンにジャンパー姿はこちらの住職だけど、今はご子息に代を譲っているので、正確にはもと住職だ。


 
 みみ爺が寺を訪れたとき、この出で立ちで熊手と竹箒で境内の掃除をしていたんだ。で、みみ爺はてっきりこの寺の雑事をこなしている寺男だとばかり思っていた。しかし、はなしてみると、実は大変学識のある和尚さんだったんだよ。
 …いまどき寺男を置いておけるほど儲かっている寺はめったに無いだろうね。



「箒を持って寺の掃除をしない住職は本当の住職じゃない」
 と言って、ガッハハと笑う。
「いい観音堂ですね」
 観音堂の前でみみ爺が言うと和尚は、
「この観音堂はね、中でお経をやっているのをここで聞くのが一番いいんだ」
「じゃあ、お経やってください。お願いします」
 冗談に言うと、
「だめだ、だめだ、俺はもうやらない。もう引退したんだ」
 と、あわてたように手を振る。
 この観音堂の柱は、檜ではなくあすなろの木が使われているという。
「“明日は檜になろう”の、あすなろの木だ」
 和尚さんの話では、この観音堂は、上杉家のお姫様が持っていた内陣だったそうだ。
 観音堂の中には、和尚さんが読んだという仏教や道教の書物がたくさん保存されていたよ。
「こっちが大蔵経の本だ。で、こっちが道教。道教は全然読まなかったよ。大蔵経は勉強した」
「これを読んだんですか!」
「俺は嘘は言わない。読んだから傷んでいるだろう」



「仏像見るより、経典をこうして触るほうがご利益がある。経典の功徳だ」
 和尚さんのまねをして、傷んだ本の背表紙を撫でるように触れる。これで功徳があるだろうか。
 みみ爺は棚から一冊抜き出して中を開いてみたが、見ただけであきらめた。漢文は苦手だ。大学では文学部だったのに。
 和尚さんは言う。
「昔は読んだが、今見てもわけがわかんねえ」
 みみ爺は思わず噴出してしまう。和尚さんは正直だ。



 観音開きの扉の奥に本尊の十一面観音が保存されているそうだ。
「扉を開けると洪水が起きる。そう言われている」
 だから扉は開けないのだという。
「…しかし仏像を見て何がわかる」
 と、以前学校で教えていたことがあるそうで、和尚さんの口調が突然教壇で学生たちに語る口調になったのでおもしろい。そのおもしろい口調で、難しいことを言う。
「仏像は世の中を見ている。仏像が見ている世界が仏の世界だ。だから仏像の眼になって世の中を見ろということだ」
 和尚さんはまたこんなことも言う。
「お経を上げていると、ここにある仏像がみんな立派に見えて来るんだよ。不思議だ」



 この絵は和尚さんが敦煌で買ってきたのだそうだ。
「敦煌はいい。また行きたいね」



「大太鼓も中国から買ったものだよ」
 和尚さんは撥を持って太鼓を打って見せてくれた。腹に響く大きな音が不意に静けさを破ったのでみみ爺はびっくりした。



 和尚の話は尽きることが無い。すでに1時間半は過ぎている。みみ爺はすっかり体が冷え切ってしまったので失礼することにした。
「また話を聞かせてください」
「いないかもしれない」
「どこにいるんですか」
「温泉だ」
「草津のですか」
「そう。逃げるんだ」
 誰から逃げるのか何から逃げるのかわからないが、草津には和尚さんの知り合いがいて、しょっちゅう出かけるらしい。行くとしばらくは帰ってこないようだ。
「どこか悪いんですか。湯治ですか」
「頭は悪いが、湯治じゃない」

 ありがとうございましたと礼を言うと、
「正月には来てください」
 と和尚さん。

 さて、自転車に乗って少し走ると、後輪に違和感を感じた。路面からの振動がいつもより強く伝わってくる。




 
 自転車を止めてタイヤを見ると、完全に空気が抜けたわけではないがだいぶ少なくなっているようだ。どうやらパンクだ。時間をかけて少しずつ空気が抜けていくパンクのようだ。



 たまたま今日に限って幸い空気入れを持ってきていた。本当に不思議だ。最近寺々を回っているご利益か、時間的にそれは無いと思うが先ほどの「経典の功徳」のおかげなのか、本当に不思議だよ。普段は持ち歩かないのに、今朝出がけにふと、持って行ったほうがいいかなと思ったんだ。



 パンパンに空気を入れると走れなくはなさそうだった。しかし20~30分も走ると空気が減ってくる。
 家に着くまでに何度か空気を入れなおして無事に帰ってくることができたよ。
                           
                       <尚、和尚さんの写真の掲載は許可を得ています>
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手賀沼のんびりポタリング3        2017年11月25日 土曜日

2017-12-01 10:24:31 | サイクリング・自転車旅
 今日もまた雲ひとつ無い晴天だ。いつものように大津川沿いに手賀沼へ出て、サイクリングロードを手賀曙橋まで走り、そこから森の中や民家の横を通るアップダウンの道へと進む。



 先日訪ねた旧手賀教会堂の前まで来ると、いつもは閉ざされていた雨戸が開かれ、中を開放していたんだ。土日祝祭日は中を見ることができるという。



 軒先に腰を下ろして、訪れてくる人を案内している人のよさそうな老人がいたよ。
「どうぞ靴を脱いで上がってご覧ください」
 写真も自由に撮ってもかまわないと言う。
 靴を脱いで中へ入ってみると、隅々まできれいに掃除されていて気持ちのよい静かな座敷の空間だったよ。



 山下りんという明治時代の女流画家の作によるイコン(聖画のことをイコンというらしい)が展示されていた。これらは複製画だが見事だ。実物は新教会堂に保存されているらしい。







 みみ爺はキリスト教徒ではないが、心静かな気持ちになってその教会堂を後にした。
 帰り際、軒先の老人に、
「ありがとうございました」
 というと、
「ご苦労様です」
 老人はニコニコして言う。
 老人の、穏やかで優しそうな言葉を受けて、みみ爺はとてもいい気分になってペダルをこいで帰ったよ。

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