LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

無の世界

2013-08-13 13:02:43 | サイキックの眼

       
      
無の世界
    
      
僕は、〔無の世界〕を見たことがある・・。
    
幽体離脱とか・・夢の中でのものではない。
今でもはっきりと全身で覚えている。
    
人知は及ばない世界であると・・今はそう考えることが出来る。
   
今、私達が生きているこの世界は、〔有の世界〕なのです。
まだ到達しえない宇宙の果ても含め、それは〔有の世界〕です。
   
〔無の世界〕とは・・。
この世の総て、〔有の世界〕の総ての《真逆》の世界なのです。
   
《真逆》のモノ。
相対性。総てのモノは、ナニかと相対しているのが原則です。
片方のモノだけが存在することは決してありません。
あなたにも、あなたの《真逆》の人かナニかが、この世の何処かに存在して、それと相対し・・あなたも存在しているのです。
      
    
僕は20代半ばの時に、〔無の世界〕を見た。
    
それまでの人生においても、一般社会とは話しが合わなかった。
本も読まなかった。
その時々の時代の情報も・・まったく信じなかった。
どうして良いのか解らず。
自分の眼と感覚だけを信じたくて、海外へひとり放浪旅に出かけたものだった。
教育という・・他者から伝えられる情報を受け入れるのではなく、自分の眼と肌で本当の情報を体得したかった。
      
自分の中から溢れ出るナニかを消化したかったのだ。
社会に一般的に用意されている勉学や娯楽では・・なにも消化し出来えなかった。
   
観光で、京都の大きなお寺を見学中。
広間で偉いお坊さんが色紙に筆をとり、説法のようなのを書いておられ・・、そこに常に絶え間なく20人くらいの観光客が並んでいて、1枚数千円でそれを買い求めていた。
(ここだけの話し5千円でした)
人だかりの広間をスルーして順路を進もうとしたら。
その色紙で大忙しのお坊さんに呼び止められた。
そして筆をおいてこう言われた。
   
『あんた。坊さんになれるで。』  (京都弁どすぇ)
   
そう言われ僕は・・無言のまま小さく会釈して、そして立ち去った。
坊さんになるなんて・・そんな気さらさらない。
だけど、あの威厳の強そうなお坊さんは、僕の何を見たのだろうと気にはなった。
   
今まで、他にもこのようなことは多々あった。
    
若いおりの知人・友人からも、「コーちゃん(僕の呼び名)の言ってることは、手塚治虫のブッダにも同じことが書いてあるから一度読んでみたら?」と勧められたり。
小豆島にいる伯父は、「浩二の言う事は禅問答だな」と言われたりもした。
   
そう言われても僕は、「手塚治虫のブッダ」も「禅の世界」にも一切触れずにきた。
よく解らなかったが、自分の手で確めたかったのだ。
   
だがある時。
当時の知人が「瞑想」の本を教えてくれた。
バブル経済がはじけ、精神世界ブームが始まった時だったろう。
僕はその本の中に書いてあることの最初の1ページだけ読んだ。
    
つまり、目をつむって・・無心になれば良いのだろうくらいは解っていたので、そのようにしてみた。
      
夜。寝る前。実家の自室で、電気を消して身体をリラックスさせて。
本には、蝋燭に火を灯して・・とあったので、そうしてみた。
座禅なども組まずに、ただリラックスしてと本に書いてあった。
本を参考にしたのはここまでだった。
    
つむった瞼の内側が、蝋燭の灯が揺らめくのが眼に写る。
一日の出来事や、気になっていることの想像が頭をよぎる。
それらが何度も繰り返されて・・やがて眠たくなってくる。
蝋燭の火が気になって・・、息でフッと吹き消してそのまま寝てしまった。
 
2日目の夜。
昨夜と同じように「瞑想」をはじめた。
また蝋燭の揺らめく灯が、瞼を透かして入ってくる。
色んな雑念が思考を強くさせる。
そしてまたモウロウとした後に眠たくなって、火事になってはいけないと蝋燭の火だけは吹き消して・・深い眠りについた。
ちょうど30分くらいだったかなと思う。昨日もそうだった。
そんな気がしながら、眠っていった。
    
3日目の夜。
また同じように、蝋燭に火を灯し、部屋の電気を消し、ベッドに座って・・壁にもたれリラックス状態をつくった。
眼をつむって。身体を楽にし。
蝋燭の火を瞼ごしに見つめるような感じ。
雑念が色々と表れては消える。
瞼のうらは蝋燭の暖色が揺らいでいる。
もう眠たくなる時間が近付いているのだろうかとも・・3日目にはそう考えたりもしていた。
雑念残像が脳裏に感じ・・蝋燭の火の暖色が瞼に感じ。
緩やかに繰り返されて。
そして。
   
そして。
      
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
   
昨日までの・・眠気がくる30分が過ぎた。
    
実家2階の6畳の和室の自室。
   
6畳の部屋の空間に居る自分。
    
2つある窓も、ドアも閉めきっている。
   
ベッド・机・棚・蝋燭と灯。  そして壁と天井と床。
    
抜けた。
   
様子がおかしい。
身体に何かが込み上げてくる。
   
と同時に。
   
前も。後ろも。左も。右も。
そして上も。
そしてなんと下も。
   
全方向が抜けた。抜けてしまった。
   
距離感が無いのだ。
無限の空間の中に自分が居るのだろうと解釈した。
   
6畳の部屋の空間が無い。
途方もない。行き止まりの無い。
真っ暗な空間。
それを真っ暗と表現するのは正しくはない。
ただただ、〔無の世界〕だった。
   
この地球上の感じ得る感覚ではなかった。
   
そして今は解ることだが、肉体が死んだ後の・・あの世の世界でもないことが言える。
   
この世は〔有の世界〕である。
その《真逆》の、〔無の世界〕を体感してしまった。
   
身体の奥そこから・・何かが込み上げてくる。
   
何かが来る!。
   
静寂などどいうモノを遥かに超えた〔無の世界〕の中で、何かが身体の奥そこから込み上げてくる興奮が・・僕の中で同居する。
   
そして !  もうっ!!!  うわっ!!!!!。
   
と、思った瞬間に。
尾骶骨から頭頂にかけて!
バリバリッ!!!!!!っと
膨大な電気が一気に身体を走り抜けたのだった!!。
    
〔無の世界〕と、電気のショックからなのか・・興奮している。
興奮だけが残り、今起こった現象は総て消え去った。
6畳の狭い自室の中のベッドの上に居る。
蝋燭の火も吹き消して・・興奮の中で眠ることだけを考えて、布団にくるまった。
いわゆる・・霊体験のようなモノだったのか?。
この20代半ばの僕には理解出来なかった。
   
だが・・あの真っ暗で、なにも無い。途方もない。
暗いとか・・無いとか、途方もないとか、そんな表現も値しない。
あれは何だったのか?。
   
実際、この出来事は・・10秒程の時間の中で起こったことでした。
しかし今も鮮明に覚えている。
    
この現象体験から20年近く過ぎて、やっと落ち着いて理解が出来るようになって、このようにその時のことを振り返ってみた。
6年ほど前、瞑想やヨガに興味を持っている知人にこの話しをしたら、その電気が走ったというのは「クンダリーニ」とか言うらしいことが解った。
瞑想を嗜んでいる人の、ある目的の域なのだそう。
一生、瞑想に励んでいる人でも、その域に到達する人は僅かだと、そう知人は説明してくれた。
   
僕は3日目の瞑想で、それに到達してしまった。
    
その時以来、瞑想らしい瞑想はしていない。
〔無の世界〕の実体験と肉体感覚に至っては、まだ説明しきれません。
      
ただ。あれから20年たった今、やっと説明のつくこととして、言えるのは。
    
〔無の世界〕とは、〔有の世界〕と、相対する世界であるということである。
   
「無の境地」とよく表現されることがありますが、それは〔有の世界〕の中に属する位置であります。
    
僕のカウンセリングを希望される方の中にも、自己鍛錬の為の瞑想修行をされている方がいます。
ワークを受講されるようなもので。
そのお話しを伺うと、そのワークの先生は「無に成りなさい」と教えられるそうです。
確かにその通りなのかも知れませんが、僕はこうアドバイスします。
    
「無に成るのではありません。
  有を沢山知ることです。
   すると自ずと無になれるのです」
    
つまり、この世にある総ての世界・有機物・出来事・喜怒哀楽、あらゆるモノを知れば知るほど、その真逆の無の境地を知ることに繋がるのです。
      
僕の《サイキック=透視》は、一旦〔無の世界〕を通して〔有の世界〕を視ているように思います。
霊感とかとは全くルートが違うようです。
   
一般によく言う「目に見えない世界」というモノも、僕の眼には〔有の世界〕の中に在るモノです。
幽霊やオバケ、宇宙人、妖精や宗教上のあらゆる存在。
臨死体験から得たものなど。
これらはみな現世の中の〔有の世界〕の一部です。
         
私達のこの生きている世界と宇宙の総て〔有の世界〕と同じだけの大きさの、〔無の世界〕も存在するのです。
   
実際にここまで説明をするに至るまでは・・大変でした。
人間一人分のサイズでは耐えられない容量の情報と、それに値する精神をも理解し続けなければいけない人生が続きました。
    
〔無の世界〕を乗り越えて、やっとその存在を冷静に綴ってみた次第です。
    
僕の眼には〔無の世界〕の先に在る現世=〔有の世界〕で、何が起こっているのかが視えているようです。
      
      
サイキックの眼  山本 浩二
     
        
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