LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

与えられた平和

2013-08-16 08:34:42 | サイキックの眼

       
      
与えられた平和
    
   
日本の平和は、与えられたモノである・・。
    
平和活動。
苦しかった戦争を忘れない活動。
平和はタダじゃない。
平和ボケ・・。
   
平和に対して、いろんな表現・・答え・・疑問が絶えません。
人の心の中に在る、消化出来ない・・砕くことが出来ないモノが、魂の奥につっかえている。
    
戦後の日本人の思考は何も変わっていません。
    
なぜか・・。
      
平和を与えられたからです。
    
自らが勝ち得た平和ではないからです。
自分の意思で始め培った平和ではないのです。
   
これが、戦後から現在に至るまでの日本の本質の姿です。
    
高度成長をはたした日本の労力と平和に、日本人自身が「愛着」も「信頼」も「自信」も持てず、「疑問」ばかりが膨れ上がってくるのは、与えられた平和の中で生き続けてきたからです。
      
フランスは、民衆が民衆の意思をもって、平和の為に「自己責任権」を勝ち得た歴史があります。
なので、フランスはその後も自分たちで考え、間違ったことや改善が必要なことは、速やかに変えていく「自己責任」を持っているのです。
   
      
僕のカウンセリングを受けて下さった、とある女性の方の例。
    
色々とご相談事のあった中で、彼女は「絵」に対する美的感覚が備わっている長所が見受けられました。
その事に対して、当初彼女はあまりピンときていない様子でした。
「絵」に対する感覚が何処かで蓋されているのだろうと、話しを進めていきます。
その原因は、家庭環境や性格や・・色々とありましたが、その中でこのようなトラウマがありました。
   
中学生のおり、展覧会に出展する「絵」を描いていて、学校の先生に勝手に手直しをされたそうなのです。
それが入賞したそう・・。
彼女自身の感性と努力で勝ち得た入賞ではなかったのです。
それ以前にも・・小学生の時に教室の後ろに張り出された「絵」、図工の時間に各々全員が描いたレモンの「絵」。翌日の朝、彼女の「絵」だけが消えて紛失していたそうでした。
いわゆるイジメです。
きっとクラスの誰よりも上手だったのです。
      
展覧会に出展する「絵」を先生に手直しされた結果の入賞。
   
つまり・・戦後の日本の平和と同じなのです。
   
他者から一方的に与えられてしまった入賞。
他国から一方的に与えられてしまった平和。
    
今現在、その女性は「絵」を描くことを再び始められました。
本当の自分のチカラを信じる作業です。
本当の自分の持つ愛情を育てる作業なのです。
   
      
これからの日本人に一番必要なのは。
    
平和は他者から与えられるものではない。
平和を他者に与えるものでもない。
   
自分の持つ本当の平和とは何か。
見つめ直すことから始めなければなりません。
    
平和ボケ?。
いいえ。平和は本来はボケることなんかありません。
「与えられボケ」が、正しい言い方でしょう。

   
サイキック  山本 浩二
      
   

ブログ・トップページ  ■ INDEX≫
   
オフィシャル・ホームページ