LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

時間を超えて

2022-08-05 18:01:26 | サイキックの眼
   
   
時間を超えて
  
  
どこから話せばいいか…
モノゴコロがあったときには
すでに親の寿命は視えていた。
それが普通だと思っていたのです。
もちろん誰にも言いませんし、
それが本当かどうか?
すぐに確かめられるものでもない。
   
“時は金なり”
というコトワザが僕にはわからなかった。
理解するまでにそうとう時間がかかってしまった。
限られた時間の中で出来ることは限られている。
限られた肉体
限られた労力
限られた成長
限られた精神
限られた命の長さ
そして
それらを費やして得た
限られた報酬。
 
僕はこれらを生きてはこなかった…
そう出来なかった。
それは…
「時間の枠」を超えた感覚が備わっていた。
 
みな時間の枠の中で生きている。
僕はそこへ入ってはゆけなかった。
つまり社会の当たり前?のことが出来なかったのです。
みな一生懸命生きている。
その意味が分からなかった。
みな人を騙し欺(あざむ)きあって、
自分の利益だけを盲目に得ようとする。
その意味も分からなかった。
 
スポーツなどは
ルールをもちいて
限られた時間の中で
限られた限界値を競い合う。
僕には全く興味がわかなかった。
なぜそこに多くの報酬がかけられているのか?
解らなかったのです。
 
これが「時間を超えている」ということだと…
そう気付くのに半世紀は掛かってしまった。
  
人間の力や人智では変えられぬ出来事は、
俗に言う「未来予知?」ということで脳裏に現れる。
(厳密には予知ではなく未来現実)
或いは…
止めることの出来ないほどの
人の怨み辛みも
大きな事件として未来に現実のモノとなって
待ち構えているのが、僕の眼には視える。
 
なぜ?そういい切れるのか…
それは、この世には原則があるからだ。
我々は、
〘この世の原則〙の中では、それに沿って生きるしかないのです。
人間以外の動植物らは、その原則に沿って生きています。
人間は、この動植物らの進化の集合体です。
ですが、この世の原則の厳しさに耐えられないところまで
人類(の分野)は来てしまっていると考えてみるといい。  
精神がもたないレベルに到達している。
いづれそれがわかる時が来る。
 
僕は、宗教の事や…スピなんとか?などは眼中にない。
僕の眼から視たそれらは、
子供の頃、公園で三輪車をひっくり返して“石焼き芋屋さん”ゴッコをしたでしょう?笑
あの程度のことです。
石焼き芋ではなく…石をイモに見立てて遊びました。
宇宙から見ればその程度のゴッコ遊びです。
そこにウン千万円も…億もつぎ込むのだから情けない。
三輪車の石焼き芋屋さんゴッコの石を、
ほんとうの焼き芋だと信じ込んで高額で買っているようなもの。
そんな薄っぺらなのが、
宗教やらスピなんとかの薄っぺらな現実レベルです。
(※ 詳細 “石焼き芋屋さんごっこ” で検索)
 
“この世の原則”
すなわち我々の“限られた時間”とは、
もっと過酷で
もっと苦しく
恐ろしく自由なのです。
これに耐えられないので…
みな右往左往しながら、毎日いろんな出来事が起こっている。
ゴッコではどうにもならない。
だがゴッコ遊びを求める人も多い。
ゴッコ遊びがシアワセだと信じて止まない。
でも…これからの若者の中には、
本当の自分の時間を求めだす人も多くなるだろう。
本当に価値のあるものは何か?
 
限られた命の時間
限られた労力
如何に生きるか?
何をもって…死をむかえることが出来るか?
   
時間を超えて視える…
すべての出来事は、ひとつに連なっている。
すべての物事も、ひとつに繋がっています。
人、ひとりひとりの考えや行動も、関係し合っています。
そのゆく先には何が待ち構えているのか?
時間を超えて…必ず現実の姿が未来に現れる。
 
時間の流れの中の現実は苦しい。
でもそれは…どうもがいても逃れることは出来ない。
その苦しさを知ることが、有意義な人生といえる。
それがいちばんの自由ではないでしょうか?
同じ苦しいならば、自分の好きな苦しみを生きるのが正解だろう。
 
お金で時間を取り戻すことは出来ない。
それだけは出来ません。
 
死んだ後も…時間にしがみつくことは出来る…
或いは…時を待つことが出来る…
悪く言えば、時に囚われてしまう場合も多い。
時間というモノは、残酷だ。
だからこそ、どう捉えて、どう生きるか?
そのように心がけていてほしく思います。
 
残酷な未来は、まだまだ起こります。
避けてみても…情けなくなる。
わざわざ立ち向かうのも億劫(おっくう)だ。
時間というモノは、そういうモノなのです。
ですが、人生に真剣では居たいものです。
それが…時間という名の筋道というものだから。
 
いつか自分の寿命が尽きる日が来る。
その時まで、自分の筋道を立て続けてみる。
 
 
サイキックの眼  山本 コージ