LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

本音と建前

2014-05-03 09:13:43 | サイキックの眼

        
         
本音と建前
       
      
先ず最初に、ぼく個人的言っておかなければならないのは、ぼくには建前が用意できない・・という苦悩がある。
それのナニが苦悩なのかといいますと、常に《透視》し続ける感覚で・・本音が眼に付くのです。
常に本音のみが存在して視えているので、建前の意味が解らなかった。
      
例えば相手に対し、「お元気ですか?」という挨拶。
これが言えないのです。汗
なぜならば、元気かどうか?が解るからです。
ドテッ!(ここでマンガみたくコケてもらえれば幸いです。笑汗)
相手の元気じゃない理由が視てとれて、同時にその解決策まで把握する。
      
「お元気ですか?」という建前の挨拶。
「そうですねぇ~!オホホのホ」と、適当にはぐらかす会話。
       
《サイキックの眼》は、それが出来ない。
子供の頃は・・毎日が地獄でした。
      
人の本質が見当たらない社会。
人の本質から発生する本音を押し殺し生きる人々の社会。
建前という嘘の壁の為に一生懸命に生きなければならない苦しさ。
建前に疲れきった身体を癒す為に、働いたお金を費やす日々・・。
      
僕には、そこに参加は出来なかった。
眼に視える本質と本音を信じ続けてきた。
      
世の中は、最高の建前が欲しい。
これが夢なのだと理解するのに、僕には時間がかかった。
光り輝く建前と建前のぶつかり合い。
これが現実で・・。
良い建前が出来て、すごい建前が達成した時が立派な成功とされている。
         
「良い建前だったね!おめでとう!!」
      
僕のお祝いの言葉はこうなるのか・・・?!。
そんなこと言ったら・・ドン引きされてしまいます。
      
         
建前が豪勢に巨大化していくと、本音は押し潰されていきます。
或いは。
本音を押し殺したい為に、建前を巨大化させていくのです。
         
ではなぜ本音を無視するのか。
なぜ本音を押し殺そうとするのか?。
    
それは本音が怖いからでしょう。
    
建前の駆け引き。建前の綱引き。
社会はこれで成り立っています。
巨大な建前のある国社会ほど強いとされている。
      
子供が本音を言う。
それを聞いた大人は、造り上げてきた建前がビクンと揺らぎそうになる。
あわてて自己建前の総チェックをし確認を済ませたら、間髪を入れず「勉強しなさい!!」と叱る!笑。
「あなたも良い建前を作れるよう勉強しなさい!」
ってことです。
      
では・・なぜ?。
建前は、本音にビビッてしまうのでしょう。
なぜ建前は、本音が怖いのでしょう。
      
それは、本音が基本だからです。
本音が基盤なのです。
建前は、本音の小さな付加価値に過ぎません。
建前は、本音(本質)の中の一部に過ぎません。
         
建前に感情は存在しません。
本音(本質)には感情が存在するのです。
本音(本質)には説得力のすべてが備わっていますが。
建前には、殆ど説得力は備わりません。
      
だから建前は巨大化していくのです。
説得力が殆ど無いので・・巨大化させて説得力を持たせようとする。
      
だから建前は、本音の前では脅威なのです。
      
建前は、本音を無視し、出来る限り押し殺そうとする。
       
本音が建前に押しつぶされそうになり・・息が出来なくなり死にそうになる。
これが精神病の原因です。
      
建前はコントロール出来るようですが、本音はコントロール出来るモノではありません。
本音は『本質』から溢れてくる五感・感情表現であります。
    
建前に「五感」「感情」は存在しません。
「五感」と「感情」は『本音・本質』に存在するのです。
      
ちなみに、宗教や神様なども巨大化した人間の建前と言えます。
それが証拠に、宗教にも神様?とやらにも「本音」は在りません。
       
         
「本音を言ってはイケません!」
       
空気を読めない人はダメ~!笑。
建前という空気を読めなければいけません!ってコトでしょう。
      
本音をヒトコトでも言ってしまえば・・。
巨大な巨大な建前は崩れてしまうからです。
建前は、本音から派生した一部でしかありません。
建前がどれほど煌びやかに巨大化させたとしても、本音の前では小さいモノなのです。
建前は本質から産まれた一部であって、建前から本質が生まれることはありません。
       
なので、建前は本質と本音に謙虚であればバランスが取れるでしょう。
       
建前ありきの社会と人間関係は必ず破綻します。
なぜなら、本音が苦しくなり、本質が悲鳴をあげるからです。
建前社会は、この本音が苦しむことを怖がっています。
建前社会は、この悲鳴を封じようとします。
         
建前ありきでメシを食って生活が成り立っている人にとっては、本音が邪魔になります。
本音を優先すれば食べていけなくなるからでしょう。
      
ですが、建前ありきでモノゴトが成り立つ事は絶対にありません。
なぜなら先にも言ったように、
『建前は、本音(本質)から産まれた一部にすぎないからです。』
建前が本音を上回ることになれば、建前は破綻消滅します。
      
ではどうしたら一番良いのか?というと。
      
『本音と本質の規模に合った分量の建前があれば良い』
つまり。
『本音と自己本質を良く知る事が大切なのです』
      
それが、建前ばかりの家庭環境や社会に育てられた人生のスタートがあったならば。 本音に恐怖を覚えながら、建前の破綻に恐怖しながら生き続ける日々となるのです。 
       
本音と本質が基盤に在って、その基盤に合った少量の(笑)建前であれば最高ですわ。
       
本来、建前は本音の前では小っちゃいモンなんです。
だから、建前は本音にアタマがあがらないモンなんです。
建前は本音に勝てないモノですから、建前は本音をビビらせて脅します。
建前は本音に対して、あれやこれやと駆け引きを強要し翻弄しようとします。
建前に翻弄され続けて・・クラックラになった本音はノイローゼになります。
    
本音と本質は、どの人の中にも存在し、中心に在る基盤です。
建前が基盤にとって代わろうとすると、悩み苦しみが発生するのです。
       
最後に。
         
本音は本来、人を傷つけるものではありません。        
本音が本音を傷つけることは絶対にありません。
本質が本質を傷つけることはないのです。
本音が建前を傷つけることはしませんが、建前は本音の前では傷つくようです。
 
本音は本質の尊さを良く知っているのです。
         
            
サイキック 山本 浩二
         
         
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