打てば響く
生きてゆく中で、欠かすことのできないモノ。
何億人ひとりひとり挙げるときりがないほどだ。
そりゃあ、そうです。
もっと欠かせないモノがある。・・・?!。
それだって・・10人十色。
それに、おのおの欠かせないモノの優先順位だってある。
ホントにきりがない。
甲乙つけられるモノでもない。
でもね。
でも・・というか。
こうは言えるのではないかな?。
『打てば響く』モノが欲しい。
『打てば響く』相手と出逢いたい。
『打てば響く』状態を感じたい。
『打てば響く』
言葉にしての説明は難しいです。
説明するコトではないからでしょう。
だって、打てば⇒響くコトなのですから。
人生で欠かせない、最も大切な事の中のヒトツの感覚。或いは行為。
『打てば響く』
これを求めて生きているといっても過言ではない。
自分の打ったモノ。
打ち放ったモノ。
感じている事や思っているコト。
表現したい。想いを伝えたい。
理解されたい。
それから・・・。
オレの話しを聞きやがれッ!。
どうして解ってくれないの?!。
うぇ~ん!うぇ~ん!(泣)あれ買ってぇ~。
もう終わりにしましょう・・さようなら。
など・・。
どちらも『打てば響く』が欲しいのです。
勉強。研究。音楽。スポーツ。仕事。芸術。演芸。エトセトラ。
相手に「打たれた」モノが、自分の中で「響き」。
自分の「打った」モノが、相手の中で「響く」。
そして互いに「響きあい」、理解を深める。
或いは逆に・・不協和音を感じる。
この為にだけ生きているといっても過言ではありません。
そして。そしてね。
何よりも、もっと大事なのは。
『「打ち響く」ことで⇒自分を実感しえる』ということが、何よりも本当の目的なのです。
つまり自己実感の為。
プロボクサーは、自分と互角の相手と打ち合い、自分の力をはじめて知る。
幼い子供は、大声をあげたり・・大きな音を何度も出したりして、どのように響き相手に伝わりかえってくるのかを、その反応を確かめる。
それが自己実感のはじまり。
コウモリの超音波と同じですよね。
良い反応、良い反響。
これが欠かせない実感です。
『打てば響く』モノが欲しい、その反響を感じたいのです。
「本当の気持ち」
本当の気持ちを打ち続けなければなりません。
なぜなら・・。
「本当の気持ち」を打ち放って⇒それが周りで反応し⇒反響となって自分に返ってくるのです。
「不本意」な気持ちを打てば、不本意な反応しか反響しません。
自己満足のみを打ち続けても、誰にも反応せず・・反響も帰ってこない。
かといって・・「無本位(本心が無い状態の即席造語!笑)」に他者の為にボランティアを打ち続けても、心無い反応しか返ってはこない。
例えば。
子供が本当の気持ちを打ち続ける。
『打てば響く』を実感したくてたまらない。
でも・・親は苛々したり・・無視したいという気持ちになる・・とする。
子供の本当の気持ちに苛々するのです。
なぜなら、自分の本当の気持ちを抑えた状態で生活が成り立っているからです。
有料の特急や飛行機内で、赤ちゃんが泣きだしたとする。
静かに過ごす狭い場所での赤ちゃんの泣き声で、満席の客室内はイライラの空気に包まれ・・息が詰まる。
「躾がなってない!静かにさせよ!」って・・なるんですよね。
でもね。この状況に僕はいつもこう思ってます。
「満席の乗客み~~んなが、赤ちゃんにつられて全員で泣けばいいのに」
って!笑。
みんな泣きたいはずなんです。
赤ちゃんの「本当の気持ち」の泣き声に我慢が必要になるのは、自分の「本当の気持ち」に我慢し続けているからなのです。
つまり・・泣く赤ちゃんも、舌打ちしながら我慢している乗客も、「本当の気持ち」がウズイて、苦しくてたまらないのですよね。
では、何を持って打つのか?。
何をたたいて響かせ・・魂の琴線に反響しあえるのか?。
自分を知り、成長には欠かせない行為と感覚。
『打てば響く』
本来はあえて言葉で説明することではないのですが、出来るだけ端的に噛み砕いてみました。
サイキック 山本 浩二
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