責任と依存
得意なコトには責任を持ちたいと思いますが・・。
不得意なコトに対しては・・他に依存してしまいます。
持ちつ持たれつで良い関係ですよね。
ですがそんな良き人間関係・・。
まわりを見まわしてみましょうか。
みなさん・・いちばん身近な悩みのひとつではないでしょうか?。
学校や社会、ご近所同士でのイジメや派閥問題についても触れたいと思います。
みんなで平等に同じことをする。
こんな社会、学校教育が基本。
その通りでないとダメ。
秩序がみだれる。
私は基本を守っているのに、あの人は守らない。
自分勝手きわまりない。
腹が立つ。
あの人と付き合ってはダメ。(・・村八分?!!!)
それではあなたも人の事ばっかり見てないで、自分が良いと思ってんなら、その基本とやらをまっとうすればイイじゃないですか。
自分勝手な人は放っておきなさ~い。
・・・・怒。
なんかムカつく。
こんなカンジの事が日常茶飯事ドッサリコとあるのでは?。
僕の個人カウンセリングご依頼内容でも日常茶飯事です。
国家間のイザコザも常にこんなことから問題が。
ではですよ?
あなたはその社会の基本常識に責任を持てますか?。
え゛っ!!!。
だから自分勝手な人がいるから基本常識が必要なんでしょうが?怒。
基本常識に責任をもっておられて、ご立派ですね。
ムッキーッ!!!怒爆。
スミマセン。
なにも茶化しているのではありません。
「責任と依存」の関係です。
責任と依存の違いを明確にしていきたいのです。
社会の平均的基本教育?基本秩序?はいつの世もあります。
それに従うことが一般社会論です。
みなで同レベルの平均基本を共有し合うのが一般社会。
それにそぐわない人は秩序をみだす。
●みなで同レベルの平均基本を共有し合うのが一般社会。
これは共同体であり、個人責任も存在しません。
●基本にそぐわない人は秩序をみだす。
自己責任を問われる。
人間には誰しも『個人』というシロモノがあるのです。
自分に自信を持って生きたい。
自分で在りたい欲求。
これは他人と共有できるものではありません。
自己が成すものですものね。
平均的社会を維持することは大事な基本ですが、
その共同体の中には無いものなんです。
つまり自己の成長や、妥協できないこと。
ここに「責任」を持つ自己基本を持ってほしいのです。
あの人とはご近所付き合い出来ません。
アイツとは友達になれません。
キミと仕事はやってられないよ。
つまり共有したくないんです!怒。
もうこれ以上は責任もてません。
これが運命共同体の「依存」、・・共依存です。
これが平均社会です。
もし平均をみだす行為があれば、みなの足を引っ張ります。
そうすると総スカンをくらい・・ストレスのカタマリに。
そうすればまた誰が悪いのかと論争が絶えない結果に。
「平均社会の中で責任ある行動をとりなさい」
一般的にはこう学びます。
では・・
「自己基本を持ち・愛のある責任を果たす」
これはどうでしょう。
この違いは大きいのです。
なぜならば、明確な『根拠』があるのです。
自分で確証出来る『根拠』です。
根拠とは、自己の想いです。
責任の根拠・愛情の根拠・苦しさの根拠・達成感の根拠。
平均社会の『根拠』とは?。
気持ちを込めて答えられる人は居るのでしょうか?。
政治家?・・とか?。
「あの人がそう言ってました・・私は知りません」
「テレビでイイよ!って言ってたから買ったのにダマされた」
なんの根拠もない・・責任の無い運命共同体の共依存。
なーに言ってんだか!
あの人が悪いんでしょうがッ!!。
私は悪くないでしょうが。
ではあなたはあの人に依存しているんだわ~。
なんで私があんな人に依存してるんだっての!怒。
でもそんなにムキになってるところをみたら・・。
なんだかんだ言って好きなんだ。
アホか!あんなヤツ好きになるわけなかろうが!!怒爆。
じゃあどうしてそんなにムキになるわけ?。
社会平均共同体を分かち合えないから?。
ハァ?!ナニ言ってんの?。
長々と引っ張りましたが、答えは。
『社会平均共同体をみださず、自己努力と責任をもって、成長すること。』
「責任」の対義語は、無責任という「依存」。
自分の得意分野を見極めて、根拠を明確にし。
大好きな!愛ある「責任」を背負ってみませんか?。
「依存」は、愛も根拠もありません。
サイキックの眼 山本 浩二
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