考えが「ある」
このタイトルを決めてから、端的まとめ書こうと思いましたが。
内容が 〈《《超膨大》》〉 になることに・・しばらく考えました。
いつもブログを読んで下さっている方のご意見として、「文章が長い」と・・時々仰って戴きます。
クレームではなく・・ご意見としてです。笑
僕としては・・極力端的にまとめているのですが…。
〈《《超膨大》》〉 になる・・とは。
これをまた説明するのにまた膨大になってしまうので・・今回はバッサリと省略致します。
先ず、ここから話しを進めて参ります。
どういった件(くだり)から進めようか?考えました。
考えが「ある」
あなたには幾つの考えがありますか?。
問題や悩みはあります?。
では。
①『問題を乗り越えると、考えを持つことが出来る。』
②『悩みや問題と向き合わない人は、考えを持つことはありません。』
つまり、『考えが「ある」』 ということは、
『問題(悩む事と精神も)を受け止め、考えし尽くし乗り越えた結果と、その答えを持ち。また応えられる。』
と、いうことなのです。
〈《《超膨大》》〉 になる説明を、ギュゥ~~ッと凝縮してまとめてみました。汗
「考えを持っている」
考えが「ある」ということは、こういうことです。
このような文章では書けえない・・精神的な考えをも踏まえ乗り越える必要があるものなので、説明だけでは無理があります。
例えば・・膨大な例の中から、「生活の不安」を取り上げてみます。
大きな問題です。
仕事・お金・健康・・エトセトラ。
なぜ大きな問題か?。
生きるということそのものすべてだからですが・・、そうではなく。
『考えが「ない」』 からなのです。
考えが「ない」から不安なのです。
様々な社会問題がある中、問題解決に対し責任の追及など改善を求めるニュースが沢山あります。
直接一般生活に関わってくる問題が殆どです。
不安です。
なぜ不安なのか?。
そこに『考えが「ない」』からなのです。
考えを持ち合わせていないので・・それが不安なのです。
そう考えると、この世の中の総ての自然動植物は、『考えを持って』生きているのです。
自然動物観察などの番組で、動物の生き方を見て感心する(したい)のは、人間がもう殆ど『考えを持っていない』からなのです。
スンマセン・・ちょっと言い過ぎですね・・。 でもっ!ね。
『考えを持つ』という事が、この世の総てです。
これを言いはじめると膨大になるので、改めて省略します。
でも少しだけ言わせて下さい。
(勝手にどうぞ・・って、ツッこまれそう!笑。)
様々な学者達が、宇宙の原理を尽きとめようとされています。
なぜ追求するのかといえば、その原理からかけ離れた所で生きているからなのです。
①『問題を乗り越えると、考えを持つことが出来る。』
学者は、問題を乗り越えているのではなく、尽きとめようとしているだけなのです。
なぜ?そう言い切れるのかというと・・、宇宙の原理の中心は、各々の中に在るからなのです。
自分を知ることが、宇宙の原理の中心です。
話しを戻します。
「何の考えもない」 これが不安なのです。
『考えが「ない」』 『考えが「ある」』
考えないことが幸せ。
考えなくても楽になれる新商品。
考えないことがトレンドの最先端。
私達は現代、『考えが「ない」』ことに、疲れ・・不安を感じるのです。
②『悩みや問題と向き合わない人は、考えを持つことはありません。』
『考えが「ない」』ところには、考えは生まれません。
『考えを持っていない人』の前では、考えることは出来ません。
批判的な考えだけを持っている人の前には、批判的な人だけが集まります。
『考えが「ある」』ということは、説得力というものがあるものです。
説得力があるということは、熟知ではなく・・それ以上のモノです。
それ以上のモノとは・・。
『問題と精神と思考を受けとめた孤独から成りえた姿です。』
『考えが「ある」』ということ。
見つめてもらえましたでしょうか?。
サイキック 山本 浩二
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