上海国際飯店 ‐ Park Hotel -
PARK HOTEL
国際飯店
上海錦江国際飯店
長い歴史の中で、名称が複数ある。
1934年に建築され…
1952年に至るまでの間、
アジアで最も高い高層ビルディングだったそう。
詳しくは、 Wikipedia を参照ください。
僕が初めて訪れたのは 1989年
北京で天安門事件のあった年の夏…
この時、日本からの中国渡航は危険とされていました。
ですが実際には危険なことはなく、
むしろ観光自粛から、ほとんど外国人観光客がいませんでした。
と…いっても、当時はまだ、欧米のヒッピースタイル・バックパッカーが主体で。
そして、バブル経済をむかえていた、日本人の若者がチラホラいた程度。
他国のアジア人では、自由に旅行している者など、まったくいなかった時代です。
ソ連崩壊、東西ドイツ再統一、日本バブル経済崩壊…
これらと同時進行するように、中国も1990年に入って一気に進化を遂げていくのでした。
1945年、第二次世界大戦終戦を境に、
上海租界・国際大都市時代を終え…そして、
1980年後期までの上海は、共産党政府によって 「 都会の未開地 」 と化してしまっていた。
その生き証人ともいえるホテル 上海国際飯店 。
南京東路の 和平飯店 ( 2019/01/22・1泊)
南京西路の 国際飯店 ( 2019/01/23~24・2泊)
南京路、東と西に建つ歴史深いホテル。
今回は 上海国際飯店 をフォトで綴っております。
80有余年の歴史、ぜひご覧ください。
◤ 上海国際飯店
南京西路 人民公園前
国際飯店
エントランス 回転ドア
1934年と記されている
グランドフロア ホールから、エントランスを見る。
エレベーター内
2階から見る エレベーター
2階から見る 1階フロント
1階 ロビーバー
商談をするビジネスマンが多い
2階から3階への階段
奥に見えるのは2階ホール吹き抜け
2階から1階への螺旋階段
上海と、国際飯店の歴史を紹介するブース。
館内のいたるところに展示されている設計図や平面図
◤ レストラン 豊沢楼
夕食のセッティング
先ずは 青島ビール
1989年頃は、冷たいビールなど無かった…
その当時の中国で、ひとりで食事することは難しい事があった。
大人数の量のメニューしか無かったので…
食べられるモノが限られていました。
香港様式や台湾様式の料理など、高級中華料理はありません…
配給制の貧しい最低限度の食材しか出回ってなかった時代です。
駅前やバス停、市場の隅の路上などで、練炭のコンロで汁物など売っていた。
なので、当時の貧乏旅行を思い出して、「定番ひとりメニュー」を注文してみました。
古老肉 ( 酢豚 )
春巻
米飯 ( ご飯 )
青島ビール
※ 計1600円くらいだったか?
これで以上!
僕にとっては懐かしい食べ合わせの夕食でした。
1989年当時、初めての海外旅行で中国語もメニューも解らず…
日本人の味覚にも馴染みのない大陸の中国料理。
炒め物などは大量だったし、定食のような概念の食文化も無く。
炒飯も量が多くて、その一品でお腹がいっぱいになってしまうので、メニューを選ぶのによく格闘した。
次は朝食
朝日が差し込む
窓の外は、南京路・人民公園。
開業当時は、この窓から競馬場が見えたろう。
上海の社交場。
トーストのタワー? 乾燥が気になる…
お粥、豆乳、油条(揚げパン)
手前のおかず類は…スーパーの既製品総菜のようなモノだった。
哈密瓜(ハミグワ)
ミネラルウォーターも無く、ジュースもマズかった昔…
この中国製メロンの水分には、大変お世話になりました。
小袋に入ったものは、このホテルの名物 「 蝴蝶酥(パイ) 」 です。
ホテル横側にベーカリーショップがあり、
「 蝴蝶酥(パイ) 」 を買い求める長蛇の列が!!
地元民、観光客、出張ビジネスマンらのお土産・オモタセに大人気。
ホテルの朝食ビュッフェに、この大人気パイが沢山盛られていますので、お勧めです。
◤ スタンダードツインルーム 22平米
客室階廊下のライト
ハエのウェルカムサービス
3階 平面図 ( 日本では4階にあたる )
左側 南京路・人民公園が一望できる優等部屋
上側 黄河路側 今回の部屋は平面図右上のコーナー
下側 体育大廈ビルが隣接 低層階は眺め無し
右側 ホテル増築棟に続く
この窓の下の1階のベーカリーショップから
パイの焼ける甘い匂いが立ちのぼっていた…
机の引き出しの中に、お道具箱が。
ガスマスクは必須備品?
クローゼット ミニバー
バスルーム
蛇口はプラスチックだったよ
大理石との共演
アメニティ
ホテル隣り 「グランドシアター」
終戦の間近、李香蘭さんがコンサートをされた劇場。
今は映画館として現役。
国際飯店 裏側 客室棟 増築部分
◤ 街の風景 「 豫園 」
旧正月用にデコレートされ…賑やかすぎて。
湖心亭 池の中に建つ楼閣
高級な中国茶を販売する1階
窓の外は、人民の群衆。
うってかわって店内は静寂ただよう。
2階へ続く階段をのぼる
実に約30年ぶりの再訪だ…
その折は、人もほとんどおらず
しとしとと…静かな雨が降っていたのを覚えている。
2階の店内
空いているかと?心配しましたが…
このあと、外国人観光客で満席に。
中国茶をいただく
オリエンタルな気分にひたる。
心の中では、旅の最高の気持ちに。
そして落ち着きを装いつつ…ひと息…お茶を。
湖心亭 2階 窓からの眺め
旧正月前の、日本でいうところの師走のよう。
◤ 1989~1993年の上海
昔の上海の写真を少しだけですが、ご覧ください。
1993年
生卵をそのまま油の中へ!?
フライドエッグ?
1993年 飴細工
職衣食住を国が全ての人民に配給する。
かといって、配給物などなにもない時代の中国。
このように露店で副業を持つひとがいる。
後ろに写る“自転車”が
今となってはノスタルジックに…
1993年
これは何だろうか? 宝くじだったかも。
1993年 ちまき屋 露店
1993年 旧正月用の花火を売る露店
大みそかには、花火が街中で鳴り響く。
1993年 ウィッグ屋
1989年
“ 上海市第一百貨商店 ” 前のペデストリアンデッキより
奥に見えるのが 上海国際飯店
真ん中の白い建物が 上海金門大酒店
2019年
上海金門大酒店 前より撮影
左側が 人民公園
1989年 上海市第一百貨商店
この当時、館内ではほとんど何も売られていなかった。
ひとつの品物に対し、ひとりの店員がいたりした。
例えば、ノート売場に1人、鉛筆売場に1人という具合で。
職も国の配給制で、生産物もなく、ひとが余っていたのでしょう。
それも日に3交代制だったり。
店員になにをきいても…
「 没有 !!(メイヨー) 」 と怒鳴られる。
直訳すると 「 んなモンあるわけないやろうボケー!!」
みたいな感じで、理由もなくよく叱られました…。
2019年 上海市第一百貨商店
ペデストリアンデッキは撤去されている。
1989年 上海国際飯店
2019年 上の写真とほぼ同じアングルです
上海国際飯店 と グランドシアター
右側は人民公園
写真は以上です。
「 上海国際飯店 ‐ Park Hotel ‐」
1934年の開業以来、上海の中心起点と位置付けられているそうです。
租界時代に始まり…第二次世界大戦をへて、
戦後“毛沢東”時代を越え、
近年の高層ビル群にも劣らず、
幾重もの深い歴史の重みと風格を感じる。
アジアで一番だった
古き良き上海のランドマークタワーホテル。
回転ドアをぬけて、一歩なかに入ると…
特別な街 “上海” が、昔も今も共に生き続けている。
そう思える場所です。
❖ 宿泊DETA
2019年1月23・24日
スタンダードツインルーム 22平米
2泊3日 ¥21680(朝食税サ込) HIS予約
❖ 併せてご閲覧ください
和平飯店 - Peace Hotel -
遼寧賓館
サイキックの眼 山本 浩二