LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

和平飯店 - Peace Hotel -

2019-01-31 00:53:27 | 時間旅行

     

和平飯店 - Peace Hotel -



和平飯店 ポストカードより



▼ まえがき     


中国上海「和平飯店」に初めて訪れた1989年8月(当時19歳)は、
天安門事件の6月4日のすぐのちのことでした。
旅行会社では、中国への渡航を中止するよう促される…そんな時期でもあった。
神戸から上海までフェリーに乗って2泊3日の鑑真号。
神戸を昼の12時に出港し、3日後の昼の12時に上海に着く所要時間48時間の船旅。
初めての海外旅行に、人生の自由を胸いっぱいに感じていた。
船に乗って2日目の朝は、鹿児島沖を過ぎて東シナ海を進んで、
甲板で潮風にあたりながら、真っ青な空と海のなか、イルカが何頭も飛び跳ねるのを見た。
そして上海到着の3日目の朝…
もっともっと真っ青な海がひろがっているに違いない!
などと単純な発想をもって甲板に出てみて…ショックを受けた。
それは、真っ茶色のドロのような海だった…
匂いも、日本には無い匂いだった…
「黄海」
その通りだった…
イルカはどこに行ったのだろう?と、夢みたいな事を考えていたっけ。悲
これが初めて見る海外なんだと、自分に言い聞かせていた。
船は長江を進み、黄浦江を遡って進み…
上海中心地の外灘にほど近い国際港に到着した。
Tシャツに短パン、サンダルを履いて、
そして重いバックパックを背負い、いざ下船する。
見えるものがすべて黄色い、そして…ドブの匂いがした。
これが中国なのかと不安を感じながら…
海外を初めて歩く自分の心に、感動する余裕も無かった。
目指すは今日の宿「浦江飯店」に向かった。


1989年当時、上海国際港から歩いて浦江飯店の前に着いた。
※写真は2019年1月のもの

「浦江飯店(プーチャン・ファンディエン)」は、
1858年築の歴史の深い、最も有名なホテルです。
今回の記事で紹介する「和平飯店」が1929年にオープンするまでは、
上海社交の中心だったそうだ。
僕が泊まった1989年当時は、高級ホテルとしての機能は無く、
外国人バックパッカー旅行者を受け入れる為の施設として設置された宿泊所のようなものだった。
ドミトリー1泊・日本円で800円朝食付きでした。
広い最上級の豪華な客室で、そこに10から15名ほどの簡易ベッドを詰め込んだドミトリー仕様にしてあった。



↑こちらの写真の3階の、丸いバルコニーがある、浦・江・飯・店
のサインがある場所の部屋だった。
窓からの景色は外灘の弧を描くバンドのビル群を一望でき、
上海では最高のロケーションが眺められた。
これが僕の最初の海外旅行で泊まったホテル。
朝食はトーストとフライドエッグ、決して美味しくは無かった。

だがこの時期の「浦江飯店」は…
外国人貧乏旅行者を受け入れる中国国営宿泊施設というわけですから、
高級ホテルとしては最低の時代だったようです。
のちに一旦は証券取引所となり、
そしてまた更にリノベーションされ高級ホテルとして営業を続けるも、
2017年12月に閉館したそうだ。
今後は、証券取引の資料館になる予定だそうだ。
もう一度泊まってみたかったが、願い叶わず。



今回の記事は、そんな「浦江飯店」ではなく…
「和平飯店(ホーピン・ファンディエン)」に舞台を移行して行きます。
 

 

1989年当時の写真
 

1989年 和平飯店玄関
 

同じく館内
2階のカフェラウンジ
 

1989年外灘
地下鉄は無く
トロリーバスの架線が張りめぐらされている
 

1989年当時の夜の外灘
高層ビルは無い


1989年8月、とある夜。

ちょうど…上の写真のような霞んだ暗い夜…
ポロシャツとチノパンに着替えて靴を履き、

小奇麗になって「浦江飯店」を出て、
外白渡橋を渡り「和平飯店」に出かける。
貧乏旅行中につき、泊まるだけの予算は無いが、
食事だけでも出来るだろうと思い、いそいそ出かけていった。
街には洋食もファストフードも無い。
カフェや喫茶店も殆ど見あたらない。(無い?)
なにもかもが配給制の時代で、なにもかもが国営一貫制の社会。
ちゃんとした洋食が食べたい思いで、和平飯店のウェスタンレストランへ赴いた。
これが、初めて「和平飯店」を利用した経験だった。
夜、ディナータイム。
外灘を見渡せる窓際のテーブルだった。
今のような浦東地区の高層ビル群など存在しない景色と夜景。
外国のメニューを見るのも初めて。
何か凝ったメニューがあるわけでも無さそうだった。
ステーキを注文した。
飲み物も解らなかったので、ミネラルウォーターを注文。
すると、瓶入りの外国製の水がサーブされた。
グラスに注がれると泡が立っていた。
飲んでみると、炭酸水だった。
当時の日本にもミネラルウォーターなどはありませんでした。
中国にも勿論ありません。
日本人にとって水はタダで飲めるものでした。
それが有料で、しかも炭酸系の鉱水。
ヨーロッパ系の輸入品だったと思いますが、不思議な味がしました。笑
そしてステーキを食べる。
ミネラルウォーターの事で気を取られてしまい、ステーキのことはあまり覚えていない。
不味いということは全くない、普通に美味しかったことは間違いない。
終始緊張していた。
上海で最高級のロケーションの洋食レストランなのだから。
客は僕以外は誰も居なかった。
まだこの時代の中国は、外資のビジネスなどを受け入れる前だった。
それに、天安門事件の直後でもあった為、渡航者は居なかった。
それほど危険な時期だった。
特に北京では戦々恐々とした情勢だったそう。
解りやすかったのは日本への帰りの飛行機で。
上海虹橋空港から大阪伊丹空港行のJAL便に乗った時の事。
747型機のジャンボ旅客機の1階席に、
日本のビジネスマンが20人くらいしか乗っていなかったことだ。
この時、中国の上海から新疆ウイグル自治区を列車とバスで1か月以上旅する間、
外国人旅行客がほぼゼロに近い時だった為、ある種…とてもいい体験が出来た旅行でした。

この旅から30年を経た、2019年1月。
死ぬまでに一度、和平飯店に泊まって、南京路を眺め、外灘を眺めてみたい。
その夢を叶えるべく、今回の再訪を実現した次第です。
30年前はお金も人民元ではなく、外貨兌換券という外国人専用の貨幣を持つように定められていた。
人民は配給制のモノ以外の物資購入は難しく、外国製品の電化製品・タバコ・酒・衣料品などは、外国人専用の友諠商店というショピング施設で、外貨兌換券しか購入出来ない為に…
〈¥100外貨兌換券〉を〈¥180人民元〉前後で闇両替することが横行していました。
あれから30年…
浦島太郎の状態での上海再訪。



ここからが本番

「和平飯店」フォトエッセイで綴って参ります。
どうぞご覧ください。


 
❖ 宿泊データ
2019年1月22日(火)から1泊2日
「和平飯店」Fairmont Peace Hotel
・フェアモントゴールドグランドエグゼクティブフロア キングルーム
・フェアモントゴールドラウンジと専任サービス付
・1室2188元(中国各種税込)
・フェアモントホテル公式ホームページより予約

・2010年に全面改装済




▼ 和平飯店 





エントランス 南京路に面した一等地




入ってすぐのフロント


客室階エレベーター
客室階はカードキーのセキュリティあり




エレベーター内


3階 エレベーターホール


3階 エレベーターホール前のホワイエ




客室階廊下
各客室のアルコーブが続く








▼ フェアモントゴールドグランドエグゼクティブフロア キングルーム





玄関から、左奥が客室、右がバスルーム。


平面図に向かって
右側・リバービュー・外灘
下側・エクステリアシティビュー・南京路
上側・シティビュー・ホテル裏口・中国銀行
内側・(左)コートヤードビュー・景色無し

内側・(右)インテリアビュー・景色無し
今回は、南京路側の部屋を予約する。








チェックインしてすぐ、ウェルカムフルーツが運ばれる。
日本ではミカンは珍しくないが、大陸などでは昔から高級品である。
薄皮でとっても甘かった。














アーモア








ミニバー
コーヒーメーカーとミネラルウォーターは無料
ターンダウン時に、利用したアメニティは全て補充された。




ウォークインクローゼット


ガスマスク!!


部屋にこんなインフォメーションが…


バスルーム・左側にレインシャワーブース


バスルーム・右側にトイレ(ウォシュレット無し)








テレビ付き






猫足のバスタブ


客室窓からの景色
この景色を眺めたくて再訪する
向かいの建物も昔は「和平飯店 南楼」だった。

1989年当時には、南楼の1階に日本式のパン屋がありました。
とにかく物資も生活用品も何もない街中に、
日本のカレーパンが買える店があったのは、大変珍しかった。
そして日本の味に遜色なく美味しかったのを覚えている。


30年前は地下鉄も無く…トロリーバスと自転車しか走ってなかった。


そして日も暮れて


ターンダウンサービスのあと
ナイトキャップのチョコレートとフルーツの盛り合わせが届く
なぜかホテルのぬいぐるみも貰えた。
写真中央の小引き出しの中にはフルーツナイフとナフキンが収納されている。








緑の屋根の和平飯店、そして中国銀行のビル。
部屋を出て、夜の外灘を歩く。


昔は…なんにも無かった。
その証拠写真がこちら ↓↓
 

 “東方明珠電視塔 ”が建設中。


翌朝、部屋からの眺め。


反対側、南京東路から南京西路方面を見渡す。
トロリーバスと自転車と人民でごった返していた30年前…
今はこの下を地下鉄が通っている。
バスやトラックの連続クラクション
もの凄い台数の自転車群
人民の怒鳴り声(会話)
もうどれも聞こえてこない…静かになっている



▼ フェアモントゴールドラウンジ  

▪アフタヌーンティー

 14:00~16:00
▪イブニングオードブル

 17:30~19:30
▪インラウンジバー

 14:00~22:00
▪DXコンチネンタルBF

 06:30~10:30 平日
 07:00~11:00 土日


▽ アフタヌーンティー











アフタヌーンティー タイム
他に点心もあり、アルコール類も自由に飲める






▽ イブニングオードブル





イブニングオードブル タイム
骨付きのお肉のサーブ
洋風・中華のおつまみ、インドのサモサもすべてが本格的で、
很好吃!!




夜にはまた別のケーキが並ぶ
日本の高度なアッサリ繊細なケーキもいいが
超こってりずっしりヘビィなケーキもたまらなく美味しかった。


▽ デラックス・コンチネンタルブレックファースト














▼ 館内 その他 



エレベーターホールから階段へ










ホテル内側

客室カテゴリー
“インテリアビュー”の客室の窓が並ぶ。
景色は無いに等しい為…
客室装飾を眺めてね!という意味でしょうか?






ホテル廊下から隣接する隣のビルの裏側が見える
この景色の見える客室は無い、ご心配なく。


階段のG階(日本の1階)から最上9階を見上げる




階段の出口
特に施錠はされていないが、監視カメラがガン見している。


エレベーターのセキュリティーは万全だが…
階段の出入口の方はホテルマンの目視で監視されていた。


グランドフロア






スチーム暖房のラジエーター


グランドフロア ジャスミンラウンジのお手洗い








南京路とは反対の中国銀行ビル側
客室カテゴリーとしては「シティビュー」とされている。
昔の映画のシーンで、上海マフィアの対立抗争がドンパチやってそうな雰囲気…
確かここで30年前…人民元と外貨兌換券の闇両替をした記憶が。


ホテル裏口
開かずの扉となっている




▼ VICTOR.S CAFE 


和平飯店の南京路沿いにあるカジュアルなカフェ
ここには思い出がある…
ホテルをチェックアウトしたあと、その思い出を回想したい為に立ち寄った。
 






同じく30年前の夏…
当時、一般にはエアコンも無い、冷蔵庫も無い…
街中の食堂に入っても冷たい飲み物なんて無く、ぬるい常温のコーラやビールしかなかった。
売店のサーバーから注がれるコカコーラをたまに見かけたが、
それを買って飲んだとき…舌がピリピリッ!?っと異常な刺激に襲われ…危険な経験などもあった。
喫茶店やケーキなど大都会でも見かけないし、あったとしてもバタークリームのパサパサ。
1か月以上の中国放浪中、パキスタンとの国境のカシュガルという街で初めてチョコクリームの生ケーキを味わい生き返った記憶がある。
純粋なコーヒーなどもなく、ネスカフェの3級品みたいな味の無い荒い粒のインスタントコーヒーしか見かけなかった。
いくら貧乏旅行でも、週に一回くらいは奮発して高級ホテルでゆっくりしたかった。
なので、和平飯店の南京路に面したこの喫茶室でアイスコーヒーを飲んだ。
もちろん当時はこんなオシャレではなく、地味で簡素な店内だった。
アイスキューブ(氷)など中国世間にあるはずもない時代に、この喫茶室には氷入りのアイスコーヒーがあった。
(そもそも氷じたいが不衛生で危険でもあったが…)
僕以外に店内に客はいない。
何度もしつこくいうが、中国では高級なアイスコーヒー!!
お代は一杯日本円に換算して800円でした。
当時だと日本のシティホテルのコーヒー代と同じくらいだろう。
  
店内には客は僕一人、そしてお給仕の女性は4名くらい居たようにおもう。
クーラーの効いた店内で、氷入りのアイスコーヒーを飲む…
蒸し暑い上海で
最高のひととき…
最高の贅沢のはずが…
もう最初から視界に入っている…
南京路に面する大きなウィンドウには…
約20~30人くらいの老若男女の人民たちが店内を覗き続けている。
中から外は普通に見えて、外から中には黒いシールドが窓ガラスに貼って加工されて見えにくくなっている。
なので全員が窓ガラスに顔を近づけて覗き込んでいる。
僕はそれを見ながらアイスコーヒーを飲んだ…
あれから30年(きみまろ風に)
忘れられない強烈な思い出、強烈な体験だった。
それが現在はこのオシャレなカフェで、もう覗き込む人など誰も居ない。
そして値段も現代価格、アイスコーヒー日本円換算で2000円。
日本のシティホテルでもだいたい2000円くらいなので、世界共通価格でしょうか。



その喫茶室があった店のウインドウがここ


南京東路

30年ぶりの再訪の夢を果たす。
あの19歳の初めて海外に出た時の気持ちと体力が甦ってくる。
新鮮な気持ちに戻れる場所がある!ってのは大事なことなんだと気付かされる。
頭の中がクリアになり、前向きになれる場所って、きっと誰にもあるんだろう。
迷いも吹っ切れる、自分のままで居ることの英気が満たされた。

また時が来たら、再訪を決める。
「何日君再来」
19歳の自分に会いに…


サイキックの眼  山本 コージ
 

      
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