臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週のNHK短歌から(11月3日放送・小島ゆかり選・決定版)

2013年11月06日 | 今週のNHK短歌から
[一席]

(豊中市・岡野大嗣)
〇  あまびこの自動音声に導かれしんと済みゆく生前予約

 「あまびこの」は、「音」「音羽」「訪れる」など「おと」という音(おん)を伴った語に係る枕詞である。
 その係り受けの関係を説明する次の通りになる。
 即ち、「『あまびこの(天彦の)」の『天彦』は『山彦』つまり『こだま』と同義語であり、そこから必然的に『音(おと)』という語や音(おん)が導き出され、結果的には、『あまびこの』が『音』『音羽』『訪れる』といった語の枕詞になったのである」と。
 それはそれとして、作中の「生前予約」とは、未だご存命の作者ご自身の葬儀を生前に予約する事を指して言うのであり、本作の意は、「(何事もコンピューターに拠って進められて行くのが、当世流であるから、)『自動音声に導かれ』『しんと』して何事も無く済んで行く、私の葬儀の『生前予約』である」といったことになりましょう。
 〔返〕  朝採れの法蓮草を炒めれば昼の食事の一品になる  鳥羽省三


[二席]

(千葉市・谷川保子)
〇  産声を聞けば母乳が噴き出して我の体はリズム感良し

 私が学童であった頃は、「年若い農婦が田圃の畦道で大きな乳房を丸出しにして赤ん坊に授乳している」といった光景がごく当たり前のようにして見られたものであったし、それはそのまま、彼女らの人間性の、女性性の健康さの証しでもあったのである。
 然るに、「昨今の若い母親は、胸の谷間の深さを誇るかの如き透け透けの服を着て、敢えて人前に出没するかと思うと、自分の産んだ赤ちゃんに授乳している場面を、舅や姑には勿論、自分の夫や子供にさえも見せない」といった矛盾した振る舞いを示しているのである。
 こんなことを書いていると、「鳥羽の爺は、またあられも無いことを抜かしおって!幾つになっても馬鹿は馬鹿である!」などという声が、讃岐の粟島辺りから聞こえて来そうな気がするのである。
 ところで、本作は、そんな愚かな評者をして「何も、ここまで詠まなくても・・・・」と、慨嘆せしむるが如き痛々しくもあられも無き作品である。
 短歌は「詠めば良し」というが如きものではありません。
 「自分の女性性を隠さず曝け出せば宜しい!」といった性質のものでもありません。
 「産声を聞けば母乳が噴き出して」来る、といった事は、作者ご自身の女性性についての確かな認識であり、確かな発見でもありましょう。
 百歩譲って申せば、母性本能の発露なのかも知れません。
 だからと言って、それを敢えて人前に曝け出して「我の体はリズム感良し」などと口に出し、霰も霙も無いような振る舞いに及ぶとは「とんでもハップン」。
 小説『自由学校』の作者にして文化勲章受章者の獅子文六(本名・岩田豊雄)氏が谷中霊園の墓所から化けて出ましょう。
 物事には節度というものがありましょう。
 短歌とてその例外ではありません。
 本作と、あの「自己の女性性を赤裸々に詠んだ」と評価されている、中城ふみ子の諸作品とを比較する時、前者の文学センス及び人間性の欠落は明らかでありましょう。
 この作品は、母性本能に名を借りたストリップショーではありませんか!
 斯かる作品は、詠む方も詠む方であるが、採る方も採る方である。 
 選者の小島ゆかり氏は、未だ人間としての、女性としての成熟度が不足しているのである。
 頼まれもしないのに、我が家の六十吋テレビの画面に毎月一度顔を現し、それが魅力の歯を剥き出しにして「ケタ、ケタ、ケタ」と笑うのは「百年早い」というところでありましょう。
 〔返〕  「産声を上ぐれば父母が喜ぶ!」と我が嬰児の思ひしならむ?  鳥羽省三          <注> 嬰児(みどりご)  
 

[三席]

(西海市・まえだいっぽ)
〇  蚯蚓にも亀にも秋にさえも声あると言い張る俳句歳時記

 「(蚯蚓にも亀にも秋にさえも声あると)言い張る俳句歳時記」とした、ユーモアセンスが買われたのでありましょう。
 因みに「蚯蚓鳴く」は秋の季語である。
   童子呼べば答なし只蚯蚓鳴く   正岡子規
   蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ  川端茅舎
   縁あつて地球に生まれ蚯蚓鳴く  今瀬剛一
   彼女とはもう過去のこと蚯蚓鳴く 稲畑廣太郎
   考へのつゞきは夢で蚯蚓鳴く   稲畑汀子
   蚯蚓鳴く夜の生温かき乳房抱く  浜芳女
   陸奥の短しといふみみず鳴く   山口昭義
 また「亀鳴く」は春の季語である。
   亀鳴くはきこえて鑑真和上かな  森澄雄
   締切は斯くも動いて龜鳴けり   中原道夫
   亀鳴いて世の中丸くなりにけり  木村淳一郎
   亀鳴くをききたくて長生きをせり 桂信子
   亀鳴くを信じてゐたし死ぬるまで 能村登四郎
   亀鳴くや月暈を着て沼の上    村上鬼城
   税すこし戻るはずなり亀鳴けり  千田百里
 〔返〕  「亜紀泣く!」と妻が言うから止しちゃった宵の九時では幾らなんでも  鳥羽省三


[特選]

(福島市・米倉みなと)
〇  兄弟はこうまで声も似るものか亡き人からの電話に、息のむ

 実感の伴った作品ではあるが、その実、「『亡き人』の弟さんからの『電話』であった」という結論の見え透いた仕掛けになっている作品でもある。

 〔返〕  京大はこうまでレベルが高いのか?光森裕樹は京大出身!  鳥羽省三

  鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ
  われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑
  花積めばはなのおもさにつと沈む小舟のゆくへはしらず思春期
  しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
  ゼブラゾーンはさみて人は並べられ神がはじめる黄昏のチェス
  致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ
  六面のうち三面を吾にみせバスは過ぎたり粉雪のなか
  友の名で予約したれば友の名を名告りてひとり座る長椅子
  自転車の灯りをとほく見てをればあかり弱まる場所はさかみち
  手を添へてくれるあなたの目の前で世界をぼくは数へまちがふ
  ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか
  大空の銃痕である蜘蛛の巣をホームの先に今朝も見上げつ
 
 上掲の十二首は、いずれも光森裕樹の第一歌集『鈴を産むひばり』から転載させていただいたものである。
 平成の世は、そして私は、このような作品を若き歌人たちに要求しているのである。


(新発田市・渋谷和子)
〇  酒を酌む夫と息子は酔ふほどに同じ声して同じこと言ふ

 本作の作者の「夫と息子」に限らず、「酒を酌む」男どもは「酔ふほどに同じ声して同じこと言ふ」ものである。
 それにしても、新潟の酒の美味しいことよ!
 〔返〕  「にごり酒・五郎八」二升三千円(楽天優勝・特価販売)  鳥羽省三


(豊田市・塩谷美穂子)
〇  面会後の数日は我を呼ぶ母の声がかならずうしろからする

 「面会後の数日は」と断わったのも宜しいが、「かならずうしろからする」と断わったのは更に宜しい。
 〔返〕  お見舞いもせずに退院されたから病気したこと知らぬふりする  鳥羽省三


(高石市・金井弘隆)
〇  ひと声の五輪開催都市を聴く世界の耳と同時の耳で

 まさしくひと声、「トーキョオー」とのみ聴こえました。
 但し、その声を私たち日本人が「世界の耳と同時の耳で」で聴いたのかどうかは判然としません。
 何故ならば、世界の総人口・七十数億の大多数は、2020年の「五輪開催都市」が何処に決まろうと自分たちの今日の暮らしに関わりが無いはずであり、詰まるところ、あの場面に注視していたのは、おそらく、日本人を含めて僅かに二億人足らずのものであっただろうと思われるからである。
 〔返〕  「トーキョオー」とひと声耳にしただけで数百億の円が動いた  鳥羽省三
 否、むしろ、「円が動いた」と言うよりも「弗が動いた」と言うべきかも知れません。  


(神戸市・伊藤絹子)
〇  間のびせる鴉の声を聞きながら今朝のオムレツふっくら焼けた

 「今朝」の「鴉の声」を「間のびせる(声)」と聞いたのは、気持ちに余裕があるからでありましょう。
 気持ちに余裕があればこその「今朝のオムレツふっくら焼けた」でありましょう。
 「鴉の声」どうこうの問題ではありません。
 〔返〕  早起きは三文の得とはよく言った今朝のオムレツふっくら焼けた  鳥羽省三


(生駒市・西田義雄)
〇  カテーテル入りますよと医師の声冷たき空気動き始むる

 「カテーテル入りますよ」との「医師の声」で以って、「冷たき空気動き始むる」のは当たり前のことである。
 何故ならば、私たち庶民にとっての「カテーテル」に拠る「治療」乃至「検査」は、地獄の手前の三途の川を渡るようなものだからである。
 それにしても、五句目の七音を「動き始める」としないで「動き始むる」としたとは・・・・・・。
 〔返〕  「カテーテル入りますよ」と軽く言う医師にとっては日常茶飯事  鳥羽省三


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