2度目のデイトの時、裏通りの連込旅館で体を奪われたミツは、その後その青年に誘われることもなかった。青年が他の女性に熱を上げ、いよいよ結婚が近づいた頃、ミツの体に変調が起こった。癩の症状である。……冷酷な運命に弄ばれながらも、崇高な愛に生きる無知な田舎娘の短い生涯を、斬新な手法で描く。
出版社:講談社(講談社文庫)
自分が男だからというのもあるかもしれないが、読んでいる間、本作のもう一人の主人公吉岡に、僕はいらだってならなかった。
吉岡は体目当てにミツに近づき、一回寝ただけで棄ててしまう。後日、吉岡は再び棄てたはずのミツに近づくが、その動機も本命の彼女とセックスできないから、代わりに彼女と寝ようと考えてのものでしかない。
そんな吉岡の行動を読んでいると、アホか、と言いたくなるのだ。
吉岡の人間性を簡単にまとめるなら、エゴイスティックなやつということなのだろう。
他人を押しのけ、踏みつけることも辞さず、ミツを落とすためなら自分の小児マヒを武器にする程度に功利的な側面を持つ。
それでいて、抱こうとしている当のミツを彼はさげすみ、田舎女と心の中で罵倒しているのだ。
それだけでなく、そんな女を抱こうとする自分を「俺もおちたもんだ」と自己憐憫気味に思ったりもする。
作者の思惑通りとわかっている。それでも吉岡は本当にいやなやつだとつくづく思ってしまう。
しかしながら、吉岡が最低であればあるほど、その分、ミツの悲劇性がくっきり浮かび上がることになるのだ。
ミツは基本的にいい人だ。だがその底辺にあるのは、誰かに愛されたいという思いなのだ、という気がする。
彼女は、父親が後妻を娶った後、逃げるように実家を後にしている。つまり彼女は愛情に乏しい環境下で育ったということだ。
だからこそ初めての男に心底惚れてしまい、あそこまで思いつめたのだろう。
彼女にとって、吉岡がどういう人間であったかということは重要ではない。
自分は愛されていると、思えるだけの材料のそろっていることが重要なのだ。いいか悪いかは別として。
そんなミツはその後ハンセン病を疑われ、病院に入ることになる。
誰かから愛されることの少なかった彼女にとっては、悲劇の極みだろう。
しかしその中で彼女は、強く濃密な新しい人間関係を築くことになる。
彼女が求めていたのはきっとそういうはっきりとした強いきずななのだ、と思う。
「苦しいのは……誰からももう愛されぬことに耐えることなのよ」とハンセン病患者の一人が言っている。
ハンセン病患者は病院に入ることで、それまで築いてきた他人との関係性が絶たれていくからこそ出てきた言葉だ。
だが愛されることの少なかったミツは、逆に病院に入ることで、みんなから愛されることになっていく。
皮肉と言えば皮肉だが、そのときのミツはきっと幸福だったのでは、という気がする。
ところが、そんなミツの心の中にあったのは、あくまで吉岡の存在であったらしい。
彼女は最後の場面で、吉岡の名前を口にした。彼女にとって、本当に求めていたのは、自分が愛した吉岡の愛情なのだ。
僕から見ると、そんなミツの人生はあまりに憐れでむごいものに見えてならない。
けれど少なくとも吉岡への愛情を持ち続け、誰からも愛されたミツの心は平安なものだったのではと思う。
悲しい話なだけに、僕はそうであれかしと願うばかりだ。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます