かつて敏腕セールスマンで鳴らしたウイリー・ローマンも、得意先が引退し、成績が上がらない。帰宅して妻から聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だった息子も定職につかずこの先どうしたものか。夢に破れて、すべてに行き詰った男が選んだ道とは……家族・仕事・老いなど現代人が直面する問題に斬新な手法で鋭く迫り、アメリカ演劇に新たな時代を確立、不動の地位を築いたピュリッツァー賞受賞作
倉橋健 訳
出版社:早川書房(ハヤカワ演劇文庫)
平凡である、という事実を受け入れるのは、時においては難しい。
本作の主人公ウイリー・ローマンもそれは同じであるようだ。
ウイリーはサラリーマンで、家のローンの完済も間近く、息子たちは家を出ている。
言うなれば普通の男のわけだが、彼には彼なりのプライドがあり、セールスマンとしてしっかり働いてきた、という自負がある。
しかし息子たち、特に長男のビフは職を転々としており、それがウイリーをやきもきさせている。戯曲の世界をまとめるなら、そういった感じだ。
ビフに対するウイリーの期待は極めて高い。
むかしはすばらしい生徒だったこともあり、いつまでもそのときの幻想を引きずり、大人になっても息子にその影を重ねているような始末だ。
しかし、当のビフ本人は、どこにでもいるような平凡な男でしかない。
だからこそ、いつまでも優秀な生徒だったときの影を、自分に求める父に反発している。
後半になって、ビフがウイリーに向かって、「お父さんはぼくがどんな人間か見ようとしないんだから、議論してもしょうがない」と怒鳴るけれど、そういう風に言いたくなる気持ちだってわかるというものだ。
だが、ウイリーとしては、期待が大きい分、息子が大した人間ではない、という事実を見つめたくないのだろう。
ウイリーは、理想からはずれた、ありのままの事実でなく、幻想を追い求めたい人なのだ。
その姿が、読んでいると痛ましく感じられつらい。
だけど、そんなウイリーの姿こそ、彼自身の弱さを体現してもいる。
ウイリーはビフのことに限らず、弱い男だ。
実際精神的にまいっていることをうかがわせる場面は多く登場する。
独り言は多いし、頻出するフラッシュバックには病的な印象すら受ける。
彼の心をそのように追いつめているのは、理想と現実との間にギャップがあるからだろう。
もちろんその理由は、ビフによる面もあるけれど、当人であるウイリー自身、自分が思い描く理想から乖離していることが何よりも大きい。
ウイリーは顔の広い、売れっ子のセールスマンで、かつては販路も拡大してきた。
だが現在の彼はむかしのようなサラリーマンではない。
過去の伝手を切れてしまったし、いまでは解雇手前の状況で、斡旋されている再就職先も(おそらくプライドから)蹴ろうとし、借金も残っている。
それが、彼の理想と大きくかけ離れていることは想像に難くない。
ウイリーが理想としているのは、自分の兄であるベンのようだ。
兄のベンはアラスカに行き、事業を成し遂げるのだが、ウイリー自身は手伝ってくれ、という兄の申し出を、過去に断ったことがある。
理想に挑み続け、財産を残したベン。
平凡な道を選択し、一時は成功したものの、やがては袋小路に陥り、何かを築くこともできないまま、没落しようとしている自分。
その大きなギャップが、ウイリーに現実を直視することを避け、過去に逃げる遠因にもなっていることがうかがえる。
ビフにやたら理想を賭けるのも、そんな自分のギャップも大きいのかもしれない。
もちろん、満たされなかった想いを押し付けられる息子としては、たまったものじゃない。
だが、そういう方向に逃げざるをえないウイリーがただただ悲しく、どうにも痛い。
ウイリーには、もっとシンプルな解決法があったはずだ。
たとえば、ありのままの自分自身を受け入れ、ビフの生き方も認めることができたのならば、ウイリー自身、楽になれたことだろう。
だがウイリーは自分の弱さゆえ、その弱さを受け入れることを拒み、ちがう方向に強さを発揮してしまった。
そんなウイリーをただただ哀れに思う。
はっきり言って、痛ましさと暗さを感じさせる作品だが、胸の奥に深く突き刺さる力がある。
優れた戯曲、そう言ってもいい作品であった。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)