洗濯女ジェルヴェーズは、二人の子供と共に、帽子屋ランチエに棄てられ、ブリキ職人クーポーと結婚する。彼女は洗濯屋を開くことを夢見て死にもの狂いで働き、慎ましい幸福を得るが、そこに再びランチエが割り込んでくる……。《ルーゴン・マッカール叢書》の第7巻にあたる本書は、19世紀パリ下層階級の悲惨な人間群像を描き出し、ゾラを自然主義文学の中心作家たらしめた力作。
古賀照一 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)
『居酒屋』という作品を端的にまとめるなら、一人の女の転落劇と言えるだろう。
その過程には大変臨場感があり、目を見張るものがあった。
波乱万丈で、内容の悲惨さはともかく、おもしろい作品である。
主人公のジェルヴェーズは夫に逃げられた若い女だ。
彼女はクーポーという男と再婚し洗濯屋を始める。夫婦ともマジメに仕事を続けるが、夫の骨折を機にゆるやかに転落していく。
読み終えた後には、どうしてここまで転落しなければいけなかったのだろうと、戸惑いすら覚えるほどジェルヴェーズは落ちていく。
陣痛も我慢して働いていたほど、仕事熱心な女なのに後半は見る影もない。
最初の方のジェルヴェーズとクーポーは仲睦まじい夫婦だった。それなのに、晩年の色褪せっぷりは半端ではない。
しかしちょっとした運命の歯車の狂いにより、最初はゆっくり、しかし終いには取り返しのつかないレベルにまで落ち込んでしまう。
この作品で言うならクーポーの骨折が大きいだろう。
そこから男の働く意欲が薄れてしまう。男は酒を覚え、稼ぎも悪いのに人に奢る始末。
ジェルヴェーズは健気に夫を支えるという良い女っぷりを発揮するが、彼女もやがて少しずつ夫に引きずられるようになる。
きっかけはいつも些細だ。
そしてそれを生み出すのは一時の気の迷いか、相手に対する甘さとも見える。
しかしそれがいつしか常態化してしまう。
もっと最初から夫にきつくしていれば、金の支払いをしっかりしていれば、元夫をうちに入れなければ、など、細かな点を挙げればキリがない。
店を失ったのも、仕事がもらえなくなったのも自業自得と言えば、そうである。
ロリユの女房は嫌なヤツだが、結果的には彼女らのマジメさが正しかったというのも皮肉としか言いようがない。
結局、自分や相手に対する甘さをいかに常態化しないかということなのだろう。
教訓はたくさん得られる。ジェルヴェーズは立派な反面教師だ。
だがそれを置いても、こんな運命に落ち込んでしまったジェルヴェーズに、一抹の同情を覚えるのである。
ともあれ人間の愚かさと悲しさを見出せる一品だ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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