私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『アムステルダム』 イアン・マキューアン

2006-11-17 20:32:17 | 小説(海外作家)


現代イギリス文学を代表する作家、イアン・マキューアンの98年度ブッカー賞受賞作。
痴呆状態を迎えたひとりの女性モリーが亡くなり、葬儀が開かれる。その中には生前の彼女の愛人たちも参列していた。やがてモリーの愛人だった外務大臣の写真を巡り、同じく愛人だった作曲家、雑誌の編集長の運命が大きく変転する。
小山太一 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


この物語の中で、中心となるのは作曲家クライブと、雑誌の編集長ヴァーノンだ。二人とも、ある一人の女の愛人だったのだが、友人同士でもあるという奇妙な関係を築いている。

この二人の男たちのキャラのつくりこみが実に丁寧である。
善と悪を併せ持つと同時に自分なりの人生哲学を持ったその人物像はリアルそのもので、現実にこういう人物がいそうだと感じさせるものがある。

たとえば二人のうち音楽家のクライブ。
彼は芸術に身を任せる人間である。自身の芸術を信じ、自分の天才性を考える程度にうぬぼれのある人物である。そういう点で完璧な人間ではないだろう。しかし彼なりの芸術論は筋が通っているし、確固とした芸術観は読んでいても興味を覚えるものがあった。しかしそれゆえに芸術至上主義に走っているきらいもある。そういう人物である。
そんな彼は友人であるヴァーノンに対して、金を貸したりそれなりの心配りをしているのは見て取れる。人間的にも優しい一面はあるのだろう。
しかし完璧ではない彼は、そういった与えた恩に対して何も返さない友人の態度に見返りを期待し、腹を立てるという、やや小物めいた態度をも見せている。
僕は芸術家に友人はいないけれど、こういう人物は芸術家に限らずともいるのではないだろうか。

また一方のヴァーノンの方はどうだろう。
彼は編集長で、彼なりのビジョンで、スキャンダルを煽るような行動を取ろうとしている。その姿はやや性急にすぎるし、野心的な面は強いとは思う。そういう意味、クライブに対する恩を返していない姿とダブるものはあるだろう。
しかしそんな彼も恩を返していない自分を反省するだけの、一般的な良心を持ち合わせている。それにクライブよりもより社会正義を持っており、スキャンダルを起こすのもまったく個人的な攻撃を目的とするわけではないのだ。
ヴァーノンのようなタイプの人間も、クライブと同様に普通にいそうである。

そう、どちらの人間ともありふれた小市民の姿なのだ。職業という特殊さがあるものの、そのキャラ自体は平凡な人間たちでしかない。
しかしその普通ってやつをこれほどまで丁寧に描ききる姿はすばらしい。しかもその小市民の感情の機微は丹念であまりにリアル。その繊細を味わうだけでも充分に楽しい体験だ。

そんな普通に存在しそうな二人は、ちょっとしたいざこざが原因で、相手をひどく憎むようになる。
しかしそれは元来二人が隠し持っていたものなのだろう。人間、親しい間であっても、こういう点は少し賛同できないな、っていう面が皆無なわけではないからだ。
だが普段、それは理性で覆い隠されている。だからこそ、と言えるのかもしれないが、きっかけさえあれば、それも簡単に発露してしまうものなのかもしれない。

もちろんそれを狂気と一言で語るのは容易だろう。
しかし狂気で片付けるには、その憎しみはどこか静かで理性的な面が感じられる。でも人間ってやつはひょっとしたら土壇場ではそんな風に静かに憎悪を保てるものなのかも知れない。
そして、その静けさそのものが、人間の業ってやつなのだろう。それゆえに人間ってやつは哀れで、悲しい存在なのかもしれない。そんなことを僕は感じた。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


その他のブッカー賞受賞作感想
・J.M.クッツェー『マイケル・K』はこちら
・M.オンダーチェ『イギリス人の患者』はこちら

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2 コメント

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はじめまして。 (PaPe)
2006-11-21 11:42:38
アムステルダム、愛の続きと併せて読みました☆
周到な理屈に裏打ちされた繊細な知識人たちの、生き難さみたいなものをヒシヒシと感じてしまいましたッ!!
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コメントありがとうございます (qwer0987)
2006-11-21 20:14:24
はじめまして、PaPeさん。
コメントありがとうございます。
「愛の続き」は未読ですね。前々から興味のある作家だったので、是非近いうちに読んでみます。
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