私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『河童・或阿呆の一生』 芥川龍之介

2008-09-30 13:26:12 | 小説(国内男性作家)

芥川最晩年の諸作は死を覚悟し、予感しつつ書かれた病的な精神の風景画であり、芸術的完成への欲求と人を戦慄させる鬼気が漲っている。出産、恋愛、芸術、宗教など、自らの最も痛切な問題を珍しく饒舌に語る『河童』、自己の生涯の事件と心情を印象的に綴る『或阿呆の一生』、人生の暗澹さを描いて憂鬱な気魄に満ちた『玄鶴山房』、激しい強迫観念と神経の戦慄に満ちた『歯車』など6編。
出版社:新潮社(新潮文庫)


この短篇集に載っている作品は、「大導寺信輔の半生」を除けば、すべて十代のころに読んだ作品ばかりだ。
今回新潮文庫版でこれら芥川の後期作品群を再読し、もっとも驚いたのは、何と言っても「歯車」の存在感だろう。
高校生のころ、この作品を読んだときは、なぜ「歯車」が後期の芥川の傑作のひとつと見なされているか、いまひとつ理解できなかったきらいがある。しかし30になって読み返してみると、その評価が妥当であるとうなずかざるをえない。

とにかく「歯車」という作品はは恐ろしい作品だ。
内容は、心を病んでいる一人の人間の心理を追っているといったところで、そこに大きな事件があるわけではない。だが、そこでは平凡さを感じさせないほど、濃密な心理ドラマが展開されている。
芥川を思わせる作家「僕」にも少なからぬ明るい感情のあることが最初のほうで示されている。神経質な部分はあるが、女学生に対する微笑ましい視線はそれを感じさせるだろう。それが姉の夫が自殺してからはトーンは決定的なまでに暗鬱になっていく。
そこにある狂人の子だから狂ってしまうのではないか、という濃密な恐怖、神経症めいた言語や観察に関する描写、数多くの符号に関する恐怖、すべての方向は主人公の心を追い詰めていくようで、その鬼気迫る描写や、底に漂う不気味さは心底ぞっとするものがある。それに構成もあくまで緻密であり、その精緻さには舌を巻くほかにない。
ここには虚飾もあるだろうが、芥川の真実も確実に描かれているだろう。最終的に自殺を選択するのもむべなるかな、と思わせる切羽詰ったものが漂っている。だがそれでもその感情を芸術的に仕上げていこうという姿勢には、芥川の執念をも見る思いがするから、驚くほかにない。
芥川龍之介という作家はとんでもない作家だ、とこういう天才的な作品を読むと思わずにはいられない。芥川のベストは「地獄変」「藪の中」「羅生門」と思っていたが、確実にこの「歯車」こそが、彼の最高傑作だ。

個人的には「或阿呆の一生」も好きだ。
そこにあるメタファーを通して描かれた芥川の自伝は美しく、断章形式ということもあってか、切れがある。
前半部は明るいトーンの作品が多い。「画」「火花」には明るさと、気負いの中にある種の危うさを感じさせるようで特に興味深い。それが後半になるにつれ、トーンが暗鬱になるのが印象的だ。明るさが暗さに転じ、死への憧憬と追い詰められた感情が徐々に立ち上がってくる過程には何とも言えないパワーを感じることができ、胸に響くものがある。

「河童」には芥川らしい皮肉な視線が光っており、おもしろい。
河童社会も人間社会も概ね似たようなものだが、河童社会には人間社会のような偽善がなく、あけすけであるところが特におもしろい、と思った。それゆえにうかがうことができるシニカルな描写が印象的である。

ほかにも「玄鶴山房」も僕は好きだ。
特に甲野というキャラの造形は見事だろう。彼女の意地悪な視点があるからこそ、この家庭内悲劇に、ある種のおぞましさと冷ややかな印象を呼び起こしているように思う。

ともかくこの後期作品集は優れた作品が多い。芥川龍之介という作家の天才性は、後期作品群の中にこそいかんなく発揮されていると僕は思う。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの芥川龍之介作品感想
 『奉教人の死』

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1 コメント

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歯車 (庶民)
2009-04-02 23:04:44
此の世には、自分とそっくりの人が三人はいると言いますし、自分と同じ人間を見ると死ぬと言いますし、よく、夜中にトイレに行くと、自分と同じ人物が用を足していると聞きます。それを、不気味と思うか、幸福と思うかは、人それぞれです。
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