人買いのために引離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う『山椒大夫』、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた『高瀬舟』。滞欧生活で学んだことを振返りつつ、思想的な立場を静かに語って鴎外の世界観、人生観をうかがうのに不可欠な『妄想』、ほかに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』など全十二編を収録する。
出版社:新潮社(新潮文庫)
前々から思っていたが、鴎外の作品はほとんどが淡々とした読み味だ。
それがときに地味という印象も与えるけれど、味わい深くさせている、という見方もできよう。
たとえば表題の『山椒大夫』。
ともかく波乱万丈な物語で、普通に読み物として楽しめるのがいい。
だがここに出てくる人たちは、誰も彼も運命を粛々と受け入れているように見えるのだ。
子が奪われるという悲劇に見舞われれば、そこから執念抱えて生きるでもなく、母は死のうとする。
姉も弟を逃がした後は死を選択する。
みんな運命に対して従順だ。
だがそれは運命に抗っても、どうにもならないという諦観もあるのかもしれない。
実際山椒大夫の一族は滅びるわけでもなく、存続しているのだし。
そんな中で、厨子王だけは生き運命を切り開いていく。
その結果がラストと言えるのだろう。
それはほかの鴎外作品同様、どこか淡々としていて、あまりに淡白だ。
しかしそれが静かな余韻を生んでいるようにも感じた。
以下ほかの作品についても記す。
『普請中』
スケッチである。
女の期待をわかっていて無視する男。そうするのは、男なりの意地なのでは、と思えて、興味深かった。
『妄想』
この作品中の白眉。
西洋に留学し、その知識に触れながらも、自我を中心に考える西洋の思考を、自我が身近とは言えない環境で育った彼では受けいれにくいという点がおもしろい。
自我中心で物を見るのではなく、現状を受け入れるという、東洋的な思考に慣れすぎているのだろう。
そんなどこか一歩引いて物事をながめている老人の思想には枯淡といった味わいがあり、心引かれるものがあった。
『興津弥五右衛門の遺書』
命を救い、目をかけてくれたという理由で、主君のために死ねる時代があった。
現代人には理解できない世界だけど、そういう価値観に生きた男の姿が印象的だった。
『護持院原の敵討』
仇討ちというのも大変だよな、と読んでいると思う。
相手は容易に見つからず、気苦労も耐えない。宇平のように出奔したくもなろう。
だが父は仇討ちを望み、子はそれを果たさねばならぬというのが、その時代の空気だった。
そう考えると、大層窮屈な時代だったのだな、と思い知らされる。
『二人の友』
鴎外らしい淡々とした、あっさりとした印象。
起こり来る流れを起こるままに受け入れている感慨がある意味おもしろい。
『最後の一句』
いちの訴えがなんともすごい。
毅然とした彼女の、かすかな反抗が良かった。
『高瀬舟』
弟のため安楽死をさせねばならなかった兄の姿は悲劇的である。
しかし他の鴎外作品同様、こちらも現状をあるがまま受け入れているように見えて、目を引いた。
評価:★★★(満点は★★★★★)
そのほかの森鷗外作品感想
『舞姫・うたかたの記』
三島由紀夫は自著の「作家論」の中で森鷗外について、「森鷗外とは何か? そこで私は、ここらで、鷗外という存在の、現代における定義を下すべきだと思う。鷗外は、あらゆる伝説と、プチ・ブウルジョアの盲目的崇拝を失った今、言葉の芸術家として真に復活すべき人なのだ。言文一致の創生期にかくまで完璧で典雅な現代日本語を創り上げてしまったその天才を称揚すべきなのだ。どんな時代になろうと、文学が、気品乃至品格という点から評価されるべきなら、鷗外はおそらく近代一の気品の高い芸術家であり、その作品には、量的には大作はないが、その集積は、純良な檜のみで築かれた建築のように、一つの建築的精華なのだ。現在われわれの身のまわりにある、粗雑な、ゴミゴミした、無神経な、冗長な、甘い、フニャフニャした、下卑た、不透明な、文章の氾濫に、若い世代もいつかは愛想を尽かし、見るのもイヤになる時が来るにちがいない。人間の趣味は、どんな人でも、必ず洗練へ向って進むものだからだ。そのとき彼らは鷗外の美を再発見し、「カッコいい」とは正しくこのことだと悟るにちがいない。」と自身の文学観・美学を内包させながら、理路整然と冷静に分析して語っています。
その他にもこの著書の中で鷗外について、一旦ヨーロッパ的教養に濾過されて、簡潔鮮明な日本語になっていて、そのまぎれもない日本語の文体に酔うのであるとか、日本語の文章というか文体について、その芳香はただの花の、大理石の花の芳香であり、いささかのあいまいさもない、"明晰さの芳香"であり、"明晰さの詩"であるとも語っています。
このように、三島由紀夫が絶賛する"森鷗外"という作家について、俄然、興味がわき、一度は挑むべき作家だと思い、まずはこの作品を読了しました。
「妄想」の中の重要な一節----『未来の幻影を追うて、現在の事実を蔑にする自分の心は、まだ元のままである。人の生涯はもう下り坂になって行くのに、追うているのはなんの影やら。「いかにして人は己を知ることを得べきか。省察を以てしては決して能はざらむ。されど行為を以てしてはあるいは能くせむ。汝の義務を果たさむと試みよ。やがて汝の価値を知らむ。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり」これはギョオテのことばである。
日の要求を義務として、それを果たして行く。これはちょうど現在の事実を蔑にする反対である。自分はどうしてそういう境地に身を置くことができないだろう。日の要求に応じて能事おわるとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知るということが、自分にはできない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のいないはずの所に自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることができないのである。』
主人公は自分と表現されている人生の晩年を迎えている一人の人間で、若い頃から現在の晩年に至るまで、"未来の幻影を追うて、現在の事実を蔑にする"生き方で自分の人生を生きてきたと自己分析しています。
この"未来の幻影を追う"というのは、この主人公が未来に求めるものを"幻影"、つまり、現実性の希薄な空しい幻と思っていて、恐らく、青年時代には実現の可能性を信じて追い求めていた夢が、実は実現が不可能な空しい幻の影に過ぎないと考えるに至った、夢破れた老境にある人間の言葉なのだと思います。
しかし、ここで主人公はただ単に、若き日の夢に破れた嘆きの言葉を綴っているだけではなく、自分の"未来の幻影を追う"という人生の生き方そのものに疑問を抱いているのだと思います。
つまり、主人公は自分がこれまで"現在の事実"を軽んじてきた事に目を向け、その軽んじてきた"現在の事実"が、人生を生きる上において、人間にとって実はもっと価値のある重要なものである事を問題にしているのです。
そして、主人公が"現在の事実"をどう考えているのかというと、ここでギョオテ(ゲーテ)の言葉を引用して、"現在の事実を蔑にする反対"、つまり"現在の事実を重んじる"人間の生き方というように、主人公が新たに目を向け、新たに求め出した生き方を、ギョオテ(ゲーテ)の言葉の中に見出そうとしています。
ギョオテ(ゲーテ)の言葉というのは、恐らくこのような事ではないかと推察できます。
"観念の幻影の世界に住んでいる限り、人間は自分の価値を知る事が出来ない。自分を知るためには、日々自分が人間として生活していく上において、行なう事を義務として要求されている日常の身の回りのありふれた事柄を、もっと大切にして、それを立派に果たしていく事が必要である"----。
そして、この後、主人公はそういう世界に自分を持っていくためには、現在の自分には何が欠けているのかを考えようとします。
"足ることを知らなくてはならない"、しかし、現在の自分を分析して、"足るを知るということが自分にはできない"と考えるのです。
つまり、自分と等身大の満足出来る境地に自分が未だに到達出来ていないから、自分は常に現在の自分に不平を持ち続け、定まるところのない永遠の幻を追う、"永遠の不平家"でしかない。
"幻影"というものに操られて生涯を終える生き方----果たしてそれが人間として価値ある生き方と言えるだろうか。
晩年を迎えるに及んで、主人公は自分の生き方に空しさを覚え、自分自身を中心に据えて生きてはいない事を感じているのだと思います。
そして、それは"どうしても自分のいないはずの所に自分がいるようである"という言葉が、その心境を端的に示しています。
真の自分を取り戻すためには、"足ることを知る"自分にならなければならない。
この身の回りの"現在の事実"を、そのまま自分の満ち足りた理想の姿と見なせるようにならなければならない。
すなわち、"灰色の鳥を青い鳥に見なせる境地"に自分を導かなければならない---と、このような境地へと至るのです。
そのような人生の新しい生き方に向って、一歩を踏み出そうとして、じっと現在の自分を見つめている主人公の晩年の姿は、とりもなおさず、森鷗外自身の晩年の姿であると思います。
この「妄想」が発表されたのは、明治44年で、この年、鷗外は50歳に達していて、人生50年という昔の考え方からすれば、鷗外の人生は、もう下り坂の時期になっていたものと思われます。
この「妄想」という作品を書いた頃の鷗外は、すでに陸軍軍医総監・陸軍医務局長であり、功成り名を遂げた地位にあり、文学者としても文学博士の称号を受け、「三田文学」、「スバル」を背景とする文壇の重鎮として尊敬を受ける立場でもありました。
このような、端から見ると申し分のない境遇にいて、どうして人生への悔いがあり得ようかと思ってしまいますが、例え立派な地位にいて、順風満帆の人生だと思われても、魂の満たされない生への不満、空しさ、そういう不平こそが、実は鷗外のこの中で表現されている、"自分は永遠なる不平家"と言っている所以だろうと思います。
この「妄想」の中でも、主人公のドイツ留学時代を振り返った文章の一節に、『生まれてから今日まで、自分は何をしているか。始終何物かに策(むち)うたれ駆られているように学問ということに齷齪(あくせく)している。----舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を務め続けている。この役がすなわち生だとは考えられない。背後にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる。』とあり、自分を舞台の役者になぞらえ、その生涯を何物かに追われているように、ただ、あくせくと働いて来たと"自虐的にかつシニカルに回想しています。
これはドイツ留学時代の若き鷗外の心境として語られている言葉で、若き鷗外は、当時の先進的な近代国家であるドイツの風に触れる事によって、これまで自分が真の生だと思い込んでいた"舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を務め続けているこの役"が、近代以前の封建的な無自覚な生にすぎない事に気づき、そして、その背後にある"近代人としての自我"に目覚めるのだと思います。