故郷小田原の風土に古代ギリシアやヨーロッパ中世のイメージを重ね合わせ、夢と現実を交錯させた牧野信一の幻想的作品群。表題作の他に「鬼涙村」「天狗洞食客記」等の短篇8篇と「文学的自叙伝」等のエッセイ3篇を収める。
出版社:岩波書店(岩波文庫)
牧野信一のことは、よく知らないのだけど、かなりユーモラスな作家だな、と感じた。
スラップスティックって感じの話が散見され、読んでいるとニヤニヤする。そこが良いのだ。
たとえば表題作で、本作中の白眉でもある、『ゼーロン』。
内容は駄馬との珍道中といったところか。
その内容にふさわしく、思った以上にくだらない話で笑ってしまう。言うことを聞かない駄馬なだけに、困った展開ばかりが、主人公を襲っておもしろい。
彼も彼なりに、なだめすかす言葉を馬にかけたり、歌なんぞを歌って励ましてみるけれど、まさに馬耳東風で、右往左往するばかり。
加えて卑屈な自虐もあって、他人から隠れようと、おろおろするところなども笑ってしまう。
最後は超展開って感じで、不思議な恍惚感を得られるところも印象的。
ともあれ、そのユニークさが変に心に残る一品だった。
そのほかの作品も作家の個性が出ている。
『鬼の門』
カリカチュア的な味わいがおもしろい作品。
ファンタジーの世界にのめり込んで、その遊戯めいた行動にはまるうちに、どこまで事実か、妄想かの区別がほとんどわからなくなってくる。その過程で生まれる混乱がユーモラスだった。
『泉岳寺附近』
守吉が本当に小憎らしい。
芝居好きとは言うけれど、人を煽るような口調には本当にいらってさせられる。
そんな相手に、自分のマネを(無意識とは言え)されたら腹も立つだろう。自分のことを自分自身嫌っているみたいだからなおさらだ。
しかし大人が惨めなドラマだよな、と読んでいて思った。
子供相手に賭け将棋して、むきになる酒のみのダメな大人が主人公だからよけいに、そう思えてならなかった。
『天狗洞食客記』
横柄で笑いも忘れたような男が、その不遜な態度のため、武道の師匠に弟子として認められていく。その過程はほとんどコメディだ。
ラストに至って、主人公には嘆きも笑いも戻って来るが、それは困惑なのだろう、と読んでいて感じた。いわく笑うしかないっていう状態である。
そしてその展開もまたコメディなんだな、とつくづく思うのだ。
『淡雪』
叙事的な文体で淡々と一家の運命の変転を描いていて読ませる。
さながら長篇小説のような味わいだ。
実際登場人物たちの状況はどんどんと変貌していくわけだが、全篇を通して見られるのは、人と人との衝突だろう。
後ろのエッセイを見る限り、私小説に近いようだ。だからこそ、淡々としているわりに妙に生々しい。
これだけの豊かな素材な分、正直腰を据えて書いてほしかったと思う次第だ。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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