goo blog サービス終了のお知らせ 

私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』

2014-12-24 20:38:51 | 小説(国内男性作家)

ダム建設現場で働く男がセメント樽の中から見つけたのは、セメント会社で働いているという女工からの手紙だった。そこに書かれていた悲痛な叫びとは…。かつて教科書にも登場した伝説的な衝撃の表題作「セメント樽の中の手紙」をはじめ、『蟹工船』の小林多喜二を驚嘆させ大きな影響を与えた「淫売婦」など、昭和初期、多喜二と共にプロレタリア文学を主導した葉山嘉樹の作品計8編を収録。ワーキングプア文学の原点がここにある。
出版社:角川書店(角川文庫)




葉山嘉樹の小説を読んで感じるのは、社会の理不尽に対する怒りだ。
彼自身、労働者として苛酷な作業現場にいただけに、そこにある悲惨な光景をいくつも目にしたのだろう。
それぞれの現場で見てきた、世の不公正を訴えていきたい。そんな強い気持ちがうかがえるようで、目を引いた。



たとえば『セメント樽の中の手紙』。

この小説の中で、一人の男は、セメントのクラッシャーにはまって死んでしまう。
言うまでもなく、惨い死に方だ。
当時は安全対策も取られていなかったろうし、実際こういう事故もあったのだろう。その時代の労働者の一現実を見るようだ。

恋人はその悲しみを手紙に託したが、そこには悲しみと同時に、抑制された怒りも見えるよう。
その手紙を受け取った松戸としても、やりきれない気分になるほかないだろう。だがだからと言って、そこから何かが変わるわけでもない。
ただ残るのは理不尽な現実のみだ。その抑えられたタッチが心に残る。



そのほかにも労働者の現実が、物語に仮託されて描かれている。


『淫売婦』
病気になったためにまるで死体のようになりながらも、劣悪な環境で体を売らねばならない女の姿が惨い。
ある意味生き地獄だが、そんな中でも何かに対して夢見る思いも捨てきれない。
そんな彼らの状況がどこかせつなかった。



『労働者の居ない船』
コレラにかかり看病もされないまま「生きながら腐って」いくことのむごさ、そしてコレラにかかった者は捨てられるように倉庫に落とされることの暴力。
それはさながらホラーのようだが、そのように捨てられた人々のいたのかもしれない。
そんなことを思い、考えさせられた。



『牢獄の半日』
囚人も人としての権利があるというのに、捨て置かれて省みられない。
その事実の重みが忘れがたい作品だった。



『浚渫船』
弱い立場の憤りを描きながらも、権力の前では何もできないのが現実だ。
その真実を見据えながらも、それでも怒らざるをえない思いに満ち満ちていて、心に響いた。

評価:★★★(満点は★★★★★)

竹山道雄『ビルマの竪琴』

2014-10-04 19:47:57 | 小説(国内男性作家)

ビルマの戦線で英軍の捕虜になった日本軍の兵隊たちにもやがて帰る日がきた。が、ただひとり帰らぬ兵士があった。なぜか彼は、ただ無言のうちに思い出の竪琴をとりあげ、戦友たちがが合唱している“はにゅうの宿”の伴奏をはげしくかき鳴らすのであった。戦場を流れる兵隊たちの歌声に、国境を越えた人類愛への願いを込めた本書は、戦後の荒廃した人々の心の糧となった。
出版社:新潮社(新潮文庫)




音楽は人の心をいやす力があるし、同時に人の心を結ぶ力もある。
そんなことを考えさせられた。

舞台はビルマ、戦時であり、それゆえに運命に翻弄されている人もいるし、戦争の状況に苦しんでいる人もいる。
そんな中で、音楽が人の心をつないでいるという点にどこか心惹かれるものがあった。



第一話の「うたう部隊」のエピソードはなかなかおもしろい。
敵に取り囲まれて、死を覚悟していたときに、敵と音楽を通じて心を通わせていく。その場面はなかなか感動的だ。
確かにそれには元ネタもあったかもしれないけれど、音楽は敵同士でさえも、心通わせる道具になりうるということを気付かせてくれて、静かに胸を打つ。

そんな音楽部隊を牽引していたのは竪琴の得意な水島だ。
しかし彼は任務のために部隊を離れ、そのまま音信を絶つこととなる。
水島はどうなったのか、そして水島そっくりのビルマ僧はいったい誰なのか。
それがこの話のキーポイントだろう。


そして最終的に明かされた水島の目的には、どこか悲壮なものが感じられる。
正直読んでいて、悲しくなってしまった。

水島の意志が崇高であることは疑いえない。
異国の地で白骨化した多くの同胞たち。彼らをこのままにしておくのは忍びないと感じた水島の優しさと意志の深さは静かに胸に響く。

だが同時にそこまで背負わなくてもいいのではないか、と声をかけてあげたくもなるのだ。
君にも君の幸福を追い求める権利がある。そう言いたくてならない。

しかし無論、異国で朽ち果てた日本人を、誰かが弔ってあげねばいう思いも理解できる。
そこは大いに悩むほかない。

それゆえに自分ならば、どうしていただろうか、と考えずにいられないのだ。



著者はこの作品しか小説を書いていない。
併録のエッセイを読む限り、その動機の一つとして、戦後日本の風潮に対する怒りも見えてくる。
この話は、深い悲しみから出発した物語なのだろう。
そしてその悲しみは水島の悲しみと等しくなるのだ。

そしてそんな悲しみを生み、人の運命を狂わせるのも、戦争の悪しき側面かもしれない。
そんなことを読み終えた後に感じた次第である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

奥田英朗『家日和』

2014-08-27 21:00:55 | 小説(国内男性作家)

会社が突然倒産し、いきなり主夫になってしまったサラリーマン。内職先の若い担当を意識し始めた途端、変な夢を見るようになった主婦。急にロハスに凝り始めた妻と隣人たちに困惑する作家などなど。日々の暮らしの中、ちょっとした瞬間に、少しだけ心を揺るがす「明るい隙間」を感じた人たちは…。今そこに、あなたのそばにある、現代の家族の肖像をやさしくあったかい筆致で描く傑作短編集。
出版社:集英社(集英社文庫)




普通の人たちを描いた作品集だ。
実際どの主人公たちも、紆余曲折はあるものの、小説のスタートとラストで、大きく境遇が変わるということはない。
どれも日常を逸脱しない、良くも悪くも普通の人たちばかりだ。

そんな人物を扱いながら、ここまでおもしろい物語を描き上げていることに感服した。
奥田英朗の上手さを再確認する思いだ。



個人的に一番好きなのは、『ここが青山』だ。

会社の倒産で、主夫になった男の話である。
妻は働きに出てくれるし、主夫の裕輔に不満もなく、主夫業を満喫している。だが世間はそうは受け取ってくれない。

それらは実際にありそうな光景だからおもしろい。
基本的に僕は、男女問わず働いた方がいいという考えなのだが、主人公の裕輔は、主夫生活を楽しんでいるし、妻も文句ないし、丸く収まっているのなら、それでいいのだろう。
夫婦のあり方は一つではないのだ。そんな当たり前のことを感じる。



『家においでよ』も結構好きだ。

妻と別れて、急に独り身になったことで、自分の趣味を優先させ、自分好みに部屋を変えていく正春。
男なだけにその気持ちは充分わかる。正春としても夫婦生活で抑えていたものを解放した気分なのだろう。
しかしそれでは妻の側も立つ瀬がないのかもしれないな、と気付かされる。

最後の場面はなかなかおもしろい。
独身時代に戻った気分でいた彼も、元妻と会うときにも、独身時代のときのようにふるまう。その様が微笑ましかった。



そのほかも粒ぞろい。

『サニーデイ』
ネットオークションにはまっていく妻の心の流れが非常にリアル。
承認欲求をネットで満たしていくってのは結構理解できる。
だがそれでも最後に帰る場所は家族なのだ。そのラストがすばらしい。


『グレープフルーツ・モンスター』
彼女が欲しているのは日常からの逸脱であり、現実での踏み込んだ行動ではないのだろう。
それは本当に夢でしかないのだ。
それゆえに最後の涙はちょっと悲しい。


『夫とカーテン』
一見すると向こう見ずな夫だけど、どんな状況でもポジティブで、相手の懐に飛び込んでいく栄一の何とかっこいいことか。
夫がピンチになると才能を発揮する妻といい、この二人はお似合いのカップルらしい。


『妻と玄米御飯』
作家というものは因果な商売だな、と思う。
茶化しきった方が物語としてもおもしろいが、他人の目も意識しないといけない。
そういう点、この話はお手本のようにバランスが取れていて、奥田英朗の上手さがここからも感じられた。
 
評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの奥田英朗作品感想
 『イン・ザ・プール』
 『空中ブランコ』
 『最悪』

吉村昭『戦艦武蔵』

2014-08-12 20:40:07 | 小説(国内男性作家)

厖大な人命と物資をただ浪費するために、人間が狂気的なエネルギーを注いだ戦争の本質とは何か? 非論理的“愚行”に驀進した“人間”の内部にひそむ奇怪さとはどういうものか? 本書は戦争の神話的象徴である「武蔵」の極秘の建造から壮絶な終焉までを克明に綴り、壮大な劇の全貌を明らかにした記録文学の大作である。
出版社:新潮社(新潮文庫)




吉村昭らしい淡々とした筆致で、日本最高クラスの戦艦の運命を描いており、読み応えのある作品である。
それが『戦艦武蔵』の端的な感想だ。



日本が威信をかけて建造した戦艦武蔵。
当然その建造は極秘事項なわけで、建造当初から緘口令は布かれる。
戦艦の全容がわからないよう。戦艦の周囲は覆われ、作業員にもばれないよう、部分部分の建造しか許されない。
市民にもよけいな詮索をされないよう、監視の目を強め、中国人街では特高によるがさ入れも行なわれる。

その労力を大層なもので、それだけで戦争の雰囲気を色濃く漂わせている。
何とも息苦しく、重苦しい世界だ。


個人的に一番こわかったのは、設計図の紛失から巻き起こる事件だ。
設計に携わった者たちが図面持ち出しの犯人だろう、ということで特高たちは次々と容疑者に拷問を加えていく。
その様はただただ惨かった。事件が解決した後も、PTSD様の症状を呈した人間もいたというが、それも納得というほかない。

戦争というものは、戦場以外でも、人を苦しめるということをこういう場面は教えてくれる。
そんな印象を強く持つ。



そうして数々の機密に関する問題、技術的な課題を克服し、武蔵は完成にこぎつける。
技術者たちはさぞ感無量だったろう。

そして武蔵は戦線に投入されるに至るが、莫大な重油を使用するため、そう簡単に使用はできない。
あれほど帝国の威信を賭けてつくったものも、実戦投入もできないまま、時間だけを浪費していく。
そして最後はアメリカ軍の執拗な爆撃にさらされて轟沈するほかなくなる。

その様は惨く、あまりに哀れでならなかった。
そしてその戦艦に乗ったばかりに運命を共にせざるを得なかった軍人たちもあまりにかわいそうである。


結局武蔵はあれほどの労力をつぎ込んで建造したわりに、その労力に見合った戦果をあげることはできなかったということだろう。
その様にはただただ悲哀に満ちている。
そして人間が作り出すものに対する虚しさすら感じられて、しんと胸に響いた。

戦争とそれが引き起こす悲劇を丁寧に描いた佳品であろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの吉村昭作品感想
 『高熱隧道』
 『零式戦闘機』

池井戸潤『下町ロケット』

2014-07-24 21:27:11 | 小説(国内男性作家)

研究者の道をあきらめ、家業の町工場・佃製作所を継いだ佃航平は、製品開発で業績を伸ばしていた。そんなある日、商売敵の大手メーカーから理不尽な特許侵害で訴えられる。圧倒的な形勢不利の中で取引先を失い、資金繰りに窮する佃製作所。創業以来のピンチに、国産ロケットを開発する巨大企業・帝国重工が、佃製作所が有するある部品の特許技術に食指を伸ばしてきた。特許を売れば窮地を脱することができる。だが、その技術には、佃の夢が詰まっていた―。男たちの矜恃が激突する感動のエンターテインメント長編!第145回直木賞受賞作。
出版社:小学館(小学館文庫)




単純におもしろい作品だ。

もちろん不満はいくつかある。
たとえば悪人描写がいかにも悪人って感じで萎えるし、物語自体もベタだ。

けれど、エンタテイメントに徹し切っており、読み手を楽しませようというサービス精神に満ちているのが良い。
波乱万丈で飽きさせず、ドキドキしながら読み進むことができる。
リーダビリティに溢れたすばらしい作品だ。


元ロケット研究者で、今は町工場の社長を務めている男、佃が主人公だ。
町工場という中小企業ということもあり、大手の理不尽には苦しめられている。

突然の取引停止や、特許侵害訴訟、そのほか大手を笠に着た相手の口ぶりなど、中小は大変だよな、と思われるような理不尽な事態ばかりが次々と襲いかかってくる。
そんな苦難を、佃は持ち前の技術力や人の助けなどにより、何とか乗り越えていく。

その展開は良くも悪くも類型的だ。
しかしおもしろいのだから、いいのである。

実際、佃たちが苦難を跳ね返したときなどは、素直に痛快だと感じることができた。
そう読み手に思わせる時点で、作家の勝ちである。


また、僕自身エンジニアなので、やはり開発がらみの話には、共感を覚えた。
営業が開発の人員に反発を持っているところなどは、開発に携わっている身としては、感じるところがあった。
金にならない、と言われてきた身なだけに、よくわかるのである。

そんな中で、佃たちは自分の技術に誇りを持ち、大手の理不尽な要求に対しても、自分たちのスタイルで突っぱねていく。

現実にそれが可能かはともかく、やはりこの展開は胸を震わせるものがあった。
これぞエンタテイメントの王道のような展開だ。


そして最後は、予想通りの大団円。やっぱりそうなるよな、と思うほど、エピローグの形は想定の範囲内だ
だけどそれゆえに、読み終えた後は、心地よい気分で本を閉じることができるのである。

何も考えずにすなおに楽しめる作品。
そう感じさせる一級の娯楽小説であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

中村文則『悪と仮面のルール』

2014-05-28 21:02:27 | 小説(国内男性作家)

邪の家系を断ちきり、少女を守るために。少年は父の殺害を決意する。大人になった彼は、顔を変え、他人の身分を手に入れて、再び動き出す。すべては彼女の幸せだけを願って。同じ頃街ではテロ組織による連続殺人事件が発生していた。そして彼の前に過去の事件を追う刑事が現れる。本質的な悪、その連鎖とは。
出版社:講談社(講談社文庫)




抽象的な部分があって、納得いかないポイントもあるが、トータルで見ればおもしろい作品だった。
中村文則らしいノワールな展開に、心惹かれる作品である。


主人公文宏の家は『邪』の家系だと言う。彼の家系からは政府の高官や、そのほかの場面で、大いなる悪事に加担する人間を次々生み出したという。
そして老いた父は少年の文宏を、『邪』にさせるため、地獄を見せると宣言する。

もうこの展開が意味がわからず、げんなりした。
どこか話の流れは抽象論に過ぎて、理解できないのである。

作者的には、気まぐれとしか思えない理由で、人に深い心の傷を与えようとする人物を描きたかったのかもしれない。それにしても、この設定はどうかと思う。
どうしても生身の人間の行動とは思えずに、いささか引いた。それがどうにも残念だった。

JLの行動も、愉快犯的な行動にしては、リスキーすぎると思い馴染めなかった。


しかしその設定さえ乗り越えれば、後は楽しく読めるのである。

文宏の幼い恋や、そこから愛する香織を守るために取った行動など、どれもハラハラドキドキするもので、心を惹かれた。
ある種の暗さがありながら、恋愛部分などにはどこかしんみりする辺りも良い。
ミステリとしても、スリリングな展開が多く、おお、これはどう転がしていくんだろう、と期待して読み進められるポイントも多かった。

また展開される論理にも心惹かれるものがあった。
特に殺人は人間が本能的に避けるものだということを述べるために、ベトナム戦争などの話を持ち出す辺りはおもしろい。


頭で拵えたような感じの設定が馴染めないのは否定しない。
しかしストーリーテリングは見事で、食い入るように読めた。

好き嫌いは分かれようが、この作家の世界の魅力は存分に楽しめる作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの中村文則作品感想
 『王国』
 『銃』
 『掏摸』

村上春樹『女のいない男たち』

2014-04-30 21:32:47 | 小説(国内男性作家)

村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。その物語はより深く、より鋭く、予測を超える。
出版社:文藝春秋



村上春樹久々の短編集である。

村上春樹らしさの感じられる作品で、短いゆえか、構造的にきりりと引き締まっている。
そのおかげで近作の『多崎つくる』や『1Q84』よりも楽しく読むことができた。

どの作品も、女がいない男たちが主人公で、女がいない事実に傷を負っている。
そこから展開される物語はどれもおもしろいものばかりであった。
個人的には『木野』が一番好みである。

以下それぞれ感想を記す。



『ドライブ・マイ・カー』

良好な関係を築いていたはずの夫婦だが、妻はかくれて浮気をしていた。
そのいびつさがおもしろい。

たぶん彼女が浮気するのは、相手が何もないからっぽの男だからなのだろう。
みさきが言うように、妻は相手の男に心なんか惹かれていなかった。ただ中身のある男よりも、中身のない男と寝たかっただけなのだろう。

理解できるかと言えば思わない。けれど、そういうこともあるのだろう。
みさきが言うようにそれは病なのだ。
そして世界は時としてそんな理不尽もあるのかもしれない。そんなことを思った。



『イエスタデイ』

木樽は何の破たんもなく進んでいく平凡な人生に我慢できない人らしい。
それゆえにやや突飛なことをしがちだが、それが木樽という人なのだろう。
「僕」はそんな木樽の生き方を肯定している。そこはなかなかすてきだ。

でも人の関係は移ろうわけで、その生き方ゆえに女が離れることもある。
そんな木樽の状況の変転に引き込まれるように読むことができた。



『独立器官』

渡会の状況を一言で説明するならば、老いらくの恋といったところだろうか。
女性と浅い関係しか結んでいなかった彼が、急に恋に落ちたことで転落へと入りこむ。

だがそのとき彼は同時に、自身のアイデンティティの危機も感じている点が興味深い。
渡会が考えたことは、まさに人間の実存に迫る問題で、場合によっては絶望さえ引き寄せる類のものだ。そして実際に絶望に捉えられることとなる。

渡会の生き方と死に方はそう考えると、実にさみしいものだと思う。
人間にはときに深い理不尽が襲い来る。そんなことを読み終えた後に思った次第だ。



『シェエラザード』

女の語るどこかストーカーじみたお話がおもしろい。
一時的な病気のようなものだが、そういう風に何かを執拗に求めざるをえない瞬間というのはあるのかもしれない。
そしてその奇妙な話が、一人の男と親密な時間をつくることもありうる。

個人的には最後の羽原の恐れが興味を引いた。
女との親密な時間が失われることを恐れる気持ち。
きっかけや思いの強弱はともあれ、それこそ、人と人。この場合は男と女のつながりでもあるのだろう、と感じる。



『木野』

一番春樹らしい作品だと感じたが、それゆえに一番おもしろい作品だった。
そしてこれがこの作品集のキーのような作品だとも思った。

ある意味、これは人とのつながりをどれほど深刻に捉えるかという問題でもあるのだ。
木野は妻の浮気を前にしても、強烈な感情もなく、ただ事実を受け入れるほかなかった。
そして他人と真正面からぶつかることもなく、自分自身の中に引きこもっていたのだろう、と思う。

それは確かに居心地がいいことであろう。
だけどそれだけではいけないときもある。
そうしていると、人とのつながりが切れてしまうときだってあるのだ。
人は現実と結びついて、初めて人としてのアイデンティティを得られる。

そういう意味、木野が「女のいない男」になったのは必然だったのかもしれない。
彼は真正面から相手と向き合い、傷つくことができなかったのだからだ。

そんな木野の姿には、しんしんとさみしさがにじんでおり、心に残った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『1Q84 BOOK3』
 『海辺のカフカ』
 『神の子どもたちはみな踊る』
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 『象の消滅』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』
 『ノルウェイの森』
 『めくらやなぎと眠る女』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

森鷗外『阿部一族・舞姫』

2014-04-20 09:04:07 | 小説(国内男性作家)

許されぬ殉死に端を発する阿部一族の悲劇を通して、高揚した人間精神の軌跡をたどり、権威と秩序への反抗と自己救済を主題とする歴史小説の逸品『阿部一族』。ドイツ留学中に知り合った女性への恋情をふりきって官途を選んだ主人公を描いた自伝的色彩の強いロマン『舞姫』ほか『うたかたの記』『鶏』『かのように』『堺事件』『余興』『じいさんばあさん』『寒山拾得』を収録。
出版社:新潮社(新潮文庫)




鷗外はやっぱり地味だよな、と本作を読んで改めて感じる。
物語は淡々としていており、その分、読み終えた後にはもどかしさを覚えるのだ。

しかしそんな平坦なストーリーからでも、心に迫る何かが見えるときもある。



たとえば表題作の『阿部一族』。
この作品から見えてくるのは、武家社会が持つ窮屈さだ。

主君から恩を受けた以上、目をかけられた家来は殉死しなければいけない。
江戸時代の初期には、そのような空気が濃厚だったらしい。
もし死ななければ周囲から、非難めいた視線を向けられるし、家来の側もそんな辱めを受けたくないから、死ぬのが当然だと考えてしまう。

怖ろしいまでの同調圧力、というほかない。
時代のせいもあるが、ある意味、日本的でもあるのだろう。

阿部一族の悲劇は、そんな空気が生んだ悲運だ。
主君に嫌われたばかりにどんどんと厄介な立場に放りこまれるのは、ただ哀れでむごい。

だがそんな中にあっても、武士は武士。
それが悲運と嘆くのではなく、雄々しく戦うことを考える。
それは阿部一族を討ち取る相手方も同じなのだ。数馬などは悲痛にすら見える。

そこにあるのは、殉死と同じく、面子にこだわる武士の姿なのだろう。
やはり現代から生きる僕には、何で? とすら思えるのだけど、彼らの姿からは、すごみすら感じられて、ぞくりとさせられた。



そのほかの作品も、何かと思う作品は多い。


『舞姫』

これで読むのは三度目だが、やっぱり物語自体はおもしろい。
そして今回も、この主人公はダメなやつだ、と思った。
女に子供ができればびびり、出世の糸口をつかんでももごもごする。そして恩人であるはずの相沢を恨んだりもする。
しかしそれがこの主人公らしいな、とも読んでいて感じた。



『鶏』

よく言えば鷹揚、悪く言えば杜撰な主人公のキャラクターが良い。
それでつけこまれる部分はあるが、それを気にしないところがおもしろい。
器が大きいのと、愚かしさは髪一重かもしれないな、とちょっとだけ思った。



『かのように』

知識が進むほど、神話などの面で、実際の知性と衝突する部分が出てしまう。
それを「かのように」ということで、あえて追究せず、矛盾したまま放っておくのは一つの知恵だろう。それはある意味、お約束とも言える、人びとの共通認識なのだ。
しかしそれができない理性的な人もいる。
主人公の秀麿は、自分の考えが父を怒らせると知っていても、その考えを捨てられない。
そしてそんな彼の態度は、とりあえず教養を積ませたいという程度の認識の、父の意向に反発することにもなりかねないのだ。
そのような秀麿の懊悩が、父からの自立ともなりえている点が目を引いた。



『堺事件』

『阿部一族』同様、この時代の侍のメンタリティがうかがえ、おもしろい。
一言で言うならば、命を軽く見積もり心情と言えよう。
事件の責任を取るため、死刑する人間を籤引きで決めるというのもすごいが、切腹の際の彼らの姿勢はもっとすごい。
「一死元来不足論」という言葉が出てくるが、まさにその言葉通りの態度だ。
彼らにとって、大事なのは、武士としてのメンツであり、それさえ満たせれば、運命を粛々と受け入れられるのかもしれない。
ふしぎなメンタリティだが、これが時代の空気なのかもしれない。



『じいさんばあさん』

ずいぶん奇妙な夫婦である。
普通に考えたら、切れてしまってもおかしくない関係なのに、三十七年後に一緒になるってのもすごい。
やはり当時の時代のメンタリティを見る思いだ。



『寒山拾得』

当人のことを何も知らないのに、噂だけを根拠に人を崇拝する。
そういう構図はたぶんどこにでもある。
そしてそれがいかに滑稽なことかを教えてくれる。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの森鷗外作品感想
 『山椒大夫・高瀬舟』
 『舞姫・うたかたの記』

森鷗外『山椒大夫・高瀬舟』

2014-03-14 21:13:36 | 小説(国内男性作家)

人買いのために引離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う『山椒大夫』、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた『高瀬舟』。滞欧生活で学んだことを振返りつつ、思想的な立場を静かに語って鴎外の世界観、人生観をうかがうのに不可欠な『妄想』、ほかに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』など全十二編を収録する。
出版社:新潮社(新潮文庫)




前々から思っていたが、鴎外の作品はほとんどが淡々とした読み味だ。
それがときに地味という印象も与えるけれど、味わい深くさせている、という見方もできよう。


たとえば表題の『山椒大夫』。

ともかく波乱万丈な物語で、普通に読み物として楽しめるのがいい。
だがここに出てくる人たちは、誰も彼も運命を粛々と受け入れているように見えるのだ。
子が奪われるという悲劇に見舞われれば、そこから執念抱えて生きるでもなく、母は死のうとする。
姉も弟を逃がした後は死を選択する。
みんな運命に対して従順だ。

だがそれは運命に抗っても、どうにもならないという諦観もあるのかもしれない。
実際山椒大夫の一族は滅びるわけでもなく、存続しているのだし。

そんな中で、厨子王だけは生き運命を切り開いていく。
その結果がラストと言えるのだろう。
それはほかの鴎外作品同様、どこか淡々としていて、あまりに淡白だ。
しかしそれが静かな余韻を生んでいるようにも感じた。



以下ほかの作品についても記す。

『普請中』
スケッチである。
女の期待をわかっていて無視する男。そうするのは、男なりの意地なのでは、と思えて、興味深かった。


『妄想』
この作品中の白眉。
西洋に留学し、その知識に触れながらも、自我を中心に考える西洋の思考を、自我が身近とは言えない環境で育った彼では受けいれにくいという点がおもしろい。
自我中心で物を見るのではなく、現状を受け入れるという、東洋的な思考に慣れすぎているのだろう。
そんなどこか一歩引いて物事をながめている老人の思想には枯淡といった味わいがあり、心引かれるものがあった。


『興津弥五右衛門の遺書』
命を救い、目をかけてくれたという理由で、主君のために死ねる時代があった。
現代人には理解できない世界だけど、そういう価値観に生きた男の姿が印象的だった。


『護持院原の敵討』
仇討ちというのも大変だよな、と読んでいると思う。
相手は容易に見つからず、気苦労も耐えない。宇平のように出奔したくもなろう。
だが父は仇討ちを望み、子はそれを果たさねばならぬというのが、その時代の空気だった。
そう考えると、大層窮屈な時代だったのだな、と思い知らされる。


『二人の友』
鴎外らしい淡々とした、あっさりとした印象。
起こり来る流れを起こるままに受け入れている感慨がある意味おもしろい。


『最後の一句』
いちの訴えがなんともすごい。
毅然とした彼女の、かすかな反抗が良かった。


『高瀬舟』
弟のため安楽死をさせねばならなかった兄の姿は悲劇的である。
しかし他の鴎外作品同様、こちらも現状をあるがまま受け入れているように見えて、目を引いた。

評価:★★★(満点は★★★★★)


そのほかの森鷗外作品感想
 『舞姫・うたかたの記』

中村文則『王国』

2014-03-02 18:38:15 | 小説(国内男性作家)

社会的要人の弱みを人工的に作る女、ユリカ。ある日、彼女は出会ってしまった、最悪の男に。絶対悪VS美しき犯罪者! 大江賞受賞作のベストセラー『掏摸(スリ)』を超える話題作がついに刊行!
出版社:河出書房新社




『掏摸』が非常におもしろかったので、姉妹編という『王国』も読んでみた。

結果を言うなら、満足そのものであった。
ラストが拍子抜けだったが、読んでいる間は、作中世界に没頭できる。すてきな作品だ。


主人公のユリカは街の悪党から依頼を受け、要人にハニートラップを仕掛ける女だ。そんな彼女が『掏摸』と同じ巨悪の元締め、木崎に狙われ翻弄されていく。
内容としてはそんなところだろうか。

正直なところ、この木崎の意図が僕には理解できなかった。
作者的には、『掏摸』の中で言及されていたヤハウェのように、弱い人間を弄び苦しめる悪を描きたかったのかもしれない。
だが僕には、物語の都合で主人公を苦境に追いつめる役割を振られているようにしか見えなかった。

命を奪おうと見せかけながら、結局奪わなかったり、ユリカを殺し、脅迫するという、現場の役割を自ら行なったりと、いろんなところがご都合主義っぽく感じる。

そのためラストもしっくり来なかったのは否定しない。


しかしラスト以外はほぼ完璧だったと言っていい。
特に作中の黒い雰囲気はすばらしかった。

矢田のメールが乗っ取られたと気づく辺りからの盛り上がり方はすばらしい。
一体、裏で何が起きているのかわからず興奮するし、少しずつユリカが木崎に追い詰められていくあたりはぞくぞくする。
そんな中、矢田と木崎の間で上手く振る舞い、出し抜こうと行動する展開は興奮ものだ。

ノワールミステリとして大変力強い。

ユリカもノワールの味わいにあったキャラクターで、心に残る。
どこか虚無的で破壊願望のようなものも見えるし、暗い影やトラウマを抱えている。
その中で自分の命を軽んじながらも、決して安易に死のうと思わず、彼女なりにあがいている姿はすてきだ。


気に入らない部分もあるが、基本的にはいい作品であったと思う。
コーマック・マッカーシーを思わせるノワールの雰囲気や、悪に対する向き合い方も感銘を受けた。

『土の中の子供』や『銃』を読んだときは、作品は良いものの、作家にははまれなかった。
だが『掏摸』と本作を読んで、中村文則という作家を好きになれた。
しばらくこの作家を読んでみたい。そう思わせる作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの中村文則作品感想
 『銃』
 『掏摸』

島崎藤村『夜明け前』

2014-01-15 20:02:21 | 小説(国内男性作家)

黒船来航以来の幕末の激動は、山深い木曾路の宿場にも確実に波及してゆく。馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる旧家の第十七代当主青山半蔵は、平田派の国学を信奉し、政治運動への参加を願うが、街道の仕事は多忙を極め、思いは果たせない。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




『夜明け前』は実に長い作品である。
全四冊だから当然だが、淡々とした文体もあってか、よけいにそう感じてしまう。

しかし内容自体は非常に読み応えがあった。
特に幕末という激動の時代を、地方のインテリの視点から描いている点が目を引いた。
それがほかの幕末ものとは一線を画しており、非常に目を引く作品である。



主人公の半蔵は中山道馬籠宿の本陣を取り仕切っている庄屋だ。
そのため彼にはいろんな仕事が回されてくる。そしてそこから幕末という変革期の空気が伝わってくる点がおもしろい。
山深い地方においても、幕末は激動であったらしい。


本陣なので特に参勤交代の手配が大変なのだが、助郷の困難などはおもしろく読んだ。
幕末期になると、徳川の権威だけでは周辺の村も動いてくれないというところなどは、いかにも時代の空気を感じさせる。
また参勤交代の廃止などから、時代の流れを感じるところも本陣ならではの視点だろう。

そういった点から、徳川の失墜を、伝聞だけでなく身近に感じていくあたりは新鮮だ。

また街道を行き交う大名が明治になって完全になくなっていく描写や、明治になって本陣の廃止など、目に見えて旧弊が廃されていく過程などもさすがの生々しさがある。

この時代の、世の中の流れの激しさがよく感じ取れる。


また山林に関する取扱もこの地方ならではの視点だ。

幕末のころの木曾では、尾張藩の意向で五木の伐採は禁止されているが、それ以外の雑木を取ることを許されていた。
しかし新政府になった途端、すべてが官有林になってしまい、地元民でさえ林の中に立ち入ることは禁じられる。
こういった部分は、英雄視点の幕末物では決して出てこない描写である。

そういった細部のおかげで、時代の空気や、当時の生活状況が伝わり興味深い。


それでいて、そんな片田舎でも有名人との関わりがないわけでないというのもおもしろい。

和宮の降嫁や天狗党の中仙道を使った上洛、ええじゃないか、赤報隊事件など、幕末期の有名なエピソードも地方民の視点から描かれているあたりはぞくぞくする。



主人公はそんな中仙道の宿場の本陣で多くの時間を費やしていく。

彼自身はインテリの部類に入る人だ。
平田篤胤没後の門人として国学を修め、国学者の視点から幕末の変動を眺めている。
幕末の運動が尊王思想と結びついているだけに、彼なりのシンパシーはあるらしい。

それゆえに、半蔵はその中に身を投じたいという気持ちもある。
特に中津川の友人が上京して、国学者の立場から尊王運動にいそしんでいることに、彼なりの憧れはあるようだ。

しかし庄屋という責任ある立場にある以上、友人のような真似はできない。
だからこそ彼は、「庄屋には庄屋の道があろう」と考え、庄屋の身分で幕末期を生きることを決意する。


そんな中で大政奉還が起こり、王政が復古される。
国学者として古代に帰ろうと考えている彼としては、自分の理想が叶えられた瞬間だ。
これで神武以来のご政道に帰ることができると考えており、その昂揚感はすばらしい。

しかし理想と現実は、概ね違うものである。

先述した官有林の件などは一典型だろう。
実際そのとき半蔵は、県に村を代表して訴状を出したがために、戸長を免職される始末。
そのほか、訪れた明治の変革はことごとく理想とは違う状況だ。
「これでも復古と言えるのか」と思う気もちも理解できよう。

さらに廃仏の影響で、国学が衰退するあたりは国学者としてはつらかったに違いない。
加えて献扇事件を起こしてからは、周囲から危険人物とみなされてしまう。

悪いことと言うのはとことん重なるものらしい。



そうしてあらゆることに挫折した半蔵は、「自分の生涯に成し就げ得ないもののいかに多いかにつくづく想い到」ることとなる。
その苦い感慨があまりに悲しい。

そしてその挙句に発狂するに至るのがつらい。これを悲劇と言わず、何と言おう。

幕末という変革期。それが激動の時代だっただけに、そのしわ寄せもいくつかある。
半蔵は、藤村の父の島崎正樹は、そのしわ寄せに、自身の理想が打ち砕かれたのかもしれない。


そんな父の姿を、丹念に描ききった藤村の筆力に圧倒される。

『夜明け前』は実に長い作品である。
しかしそれだけの筆を費やさねばならない程、格の大きな作品でもあるのだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

室生犀星『或る少女の死まで 他二篇』

2013-12-26 20:46:15 | 小説(国内男性作家)

自伝的三部作「幼年時代」「性に目覚める頃」「或る少女の死まで」を収める。朔太郎とならび大正詩壇の鬼才と謳われた犀星(1889-1962)は、豊かな詩情あふれる筆致でこの三連作を書き、小説家としても一家を成した。北陸の古都を背景につづった若き日の追憶には、青春の日のデリケートな哀感がしみじみと描き出されている。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




収録されているのは、室生犀星の自伝的な作品3つである。
そのせいか、全作品、すべて一つのモチーフに貫かれている。それは女に対する憧憬だ。

解説にもあるように、それは実母への思いが投影されているのかもしれない。
そういう意味、室生犀星のパーソナルな部分が色濃く出た作品群である。


以下個別に感想を記す。


『幼年時代』

主人公「私」の孤独感がにじみ出た静かな作品だ。

「私」は養子に出された人間だが、実親へ会いに、生まれた家へも頻繁に顔を出している。いろいろ複雑な家庭環境にあるらしい。

そんな中、実父の死をきっかけに、実母と「私」は永遠に別れてしまう。
子供にはつらい体験だろう。元々友達もおらず、周囲とうまく馴染めない子だっただけに、その孤独はひとしおだったと思う。
そんな「私」が甘えられるのは、唯一義姉だけだったのだが、その彼女も嫁にいってしまい、彼は最後一人、取り残されてしまう。

その孤独に陥った少年の静かな悲しみが、繊細な文章と相まってしんしんと響いた。



『性に目覚める頃』

青年期を迎えた「私」は女性に対しては奥手な男だ。
友人の表のように女をひっかける真似もせず、心の内側にひそかな思いを募らせている。
そのせいか、どこか妄想じみた面もあっておもしろい。

賽銭を盗む手癖の悪い女に対する思いなどはそんな気配がある。
罪を暴いて、贖罪の涙にぬれる女を妄想するところなどはその極みだ。気持ちはわからなくはないが、他人事でながめると痛い子だなとちょっと思う。

そんな「私」だからか、うぶなところもあるのだ。
ひそかに思いを寄せた女の下駄を盗むところや、盗んだ後にこわくなるところなどは、いかにも行動が幼く、ちょっとかわいらしい。

だがそれは恋に恋していることの裏返しでもあるような気がする。ある意味思春期的だ。
それゆえに、ちょっと潔癖なところもあるのが良い。
友人とその女が、キスしているところを想像して、汚さと妬ましさを覚えているところなどは印象的だ。

そんな思春期の恋を余すところなく描いており、印象的な作品であった。



『或る少女の死まで』

大人になった「私」は上京したものの、酒の上での争いに巻き込まれ警察沙汰になったり、それに伴う金銭的ないざこざで精神的に打ちのめされている。

そんな中、彼が安らぎを見出すのは、飲み屋で働く少女であり、近所に住まう女の子だ。
それは彼女らが無垢に見えるからだろう。
彼は彼女らを心に描くことで、大人になり、世間の荒波に汚れ、醜くなってしまった自分をとりあえずうっちゃっておきたいのかもしれない。そんなことを思う。

しかしそんな無垢な子供も幼くして亡くなってしまう。
どんな形であれ、無垢なままでは人はいられないのかもしれない。
そんな哀切な思いがにじみ出ていて心に残る一品だった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

三浦哲郎『忍ぶ川』

2013-12-17 20:49:05 | 小説(国内男性作家)

兄姉は自殺・失踪し、暗い血の流れに戦(おのの)きながらも、強いてたくましく行き抜こうとする大学生の”私”が、小料理屋につとめる哀しい宿命の娘志乃にめぐり遭い、いたましい過去を労わりあって結ばれる純愛の譜『忍ぶ川』。 読むたびに心の中を清冽な水が流れるような甘美な流露感をたたえた名作である
出版社:新潮社(新潮文庫)




6編の小説が収録された作品集だが、特に『忍ぶ川』が良かった。

内容は地味だが、ふしぎと胸に響く。
それもこれも主人公たち夫婦の姿が爽やかで、微笑ましいからに他ならない。


『忍ぶ川』の主人公の「私」は身内に次々と不幸があった男だ。姉は次々と自殺し、兄も金を持ち逃げして消えてしまった。
「私」は末っ子にも関わらず、一家を担う立場に追いやられ、姉の面倒なども見なければいけない、と考えている。
一方、彼の妻となる志乃も、元は廓の射的屋の生まれで、今では田舎のお堂に間借りして暮らすという貧困の中を生きてきた。
両方ともそれぞれに苦労して、それなりに傷を負っているらしいことがそれだけでも伝わってくる。

そんな二人は出会い、恋に落ちる。
「私」のプロポーズのシーンなんかはなかなか好きだ。
彼のまっすぐな言葉と、「せっかち」なくらい一足とびに結婚を口にするところなど、彼の人間性が伝わってくるかのよう。それに志乃のことを大事に思って言っているのも伝わるのだ。
それが大変好ましく、大層微笑ましい。


そうして結婚した二人の最後の光景が美しい。
志乃は家というものをまともに持たずに生きてきた。だが結婚したことで、彼女にとって初めての自分たちの家を持つことができた。
そのときの彼女の喜びは純粋で美しく、深く胸に響いてならない。

ここに描かれているのは、ある意味ではありふれた風景なのかもしれない。
しかしその中で生きる男女の姿はことのほか美しい。まぎれもない佳品であろう。



ほかの作品もすてきな作品が多い。


『初夜』

『忍ぶ川』の続篇に当たる作品。
近親の不幸のせいで、自分の血を忌まわしく思い、子供を持つことも恐れている「私」。
しかし父(初孫ができたときの彼の態度は微笑ましかった)の死をきっかけに、血の呪縛から逃れることを決意する。
そのときの初夜の様子と、妻を気遣う「私」の姿とが大変美しく、深く胸に響いた。



『帰郷』

『忍ぶ川』『初夜』の続篇に当たる作品。
「私」のダメ男っぷりが笑える。
義弟に「相談といってもさ、義兄さんに相談したって、わかってくれないからな。働かない人に相談したって、わかるはずがないからさ」と言われるところは苦笑ものだ。
それでも義妹は「私」を本当の兄のように慕ってくれるし、「う、わ、き、ふ、う、じ」の微笑ましいシーンを見るに、妻との仲も良好だ。
だからだろう。都落ちしながらも、最後は新しい出発の予感にあふれ、心に残った。



『團欒』

『忍ぶ川』の同音異曲(ややダークバージョン)。
こちらの夫婦もむつまじいが、妻の過去や、娘の事故などにより微妙な空気が生まれる。
だがそんな暗い雰囲気の中でも二人でやっていくしかない。
やり直すことはできないながらも、何とかやっていこうと思う夫の姿はなかなか良かった。



『恥の賦』

『初夜』のネガに当たる作品。
姉の自殺と、兄の失踪にトラウマと恥じらいを持っている「私」。
しかし父の死を看取った途端、姉の死に対する恥が消えることとなる。
死を向き合うことで癒しが生まれる様が心にしみる一品だった。



『驢馬』

ほかの作品とは内容もまったく異なる作品。
主人公の張は満人で、いろいろどんくさいせいか、周囲にいいように利用されている。
そんな状況に彼は疎外感を抱いていたのではないか、と読んでいて感じた。
だが周囲に流されてきた彼が意思を発揮したとき、人からは狂人と見なされてしまう。
その逆転劇がどこか悲しく見えた。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

吉行淳之介『原色の街・驟雨』

2013-12-06 20:11:25 | 小説(国内男性作家)

見知らぬ女がやすやすと体を開く奇怪な街。空襲で両親を失いこの街に流れついた女学校出の娼婦あけみと汽船会社の社員元木との交わりをとおし、肉体という確かなものと精神という不確かなものとの相関をさぐった『原色の街』。散文としての処女作『薔薇販売人』、芥川賞受賞の『驟雨』など全5編。性を通じて、人間の生を追究した吉行文学の出発点をつぶさにつたえる初期傑作集。
出版社:新潮社(新潮文庫)




吉行淳之介をまともに読むのは初めてなので、こういう作風の作家なのかわからない。
けれど少なくとも本作は、人間の心理を的確に描き上げている作品と感じた。

特に表題作の2篇は、ねちっこいくらいに人の心を描いており、そのくどさに惹かれた。



たとえば『原色の街』。

これは娼婦の心と身体の快楽との間に、ずれと奇妙な相関が生じる話といったところか。そのテーマ性がおもしろい。

実際、主人公のあけみは客と寝ても快楽を感じない女だ。
だが元木と出会い、彼に少し心を開いた後からセックスに快感を覚えるようになる。

あけみがそのような心情になったのは、体ではなく、心に不意打ちを食らったからだ。
それによって、娼婦稼業をビジネスと思い、快楽を意識から追い出していた彼女の心に隙ができたらしい。
その心理の変化が良い。


しかしセックスに快楽を感じることと、セックスをする相手を愛することはまた別である。

あけみはその後、薪炭商の男からプロポーズを受ける。彼女はその男に抱かれていると快楽を覚えている。しかし快楽はあっても、そこに愛はない。
あけみは快楽に引きずられ、相手の男を愛そうとするけれど、それは叶わない。
セックスの快感は、確かに心の動きがトリガーになったけれど、それはあくまで身体的反応でしかないのだ。


その後、男はあけみを妻に迎えるに辺り、あけみが娼婦だったという過去を必死に消そうとする。
それを見るうちに、彼女の体からセックスに対する快楽が消えていくところがおもしろい。

彼女がセックスを気持ちよくなったのは、心に受けた不意打ちがきっかけだった。
そして気持ちよくなくなった理由もまた、心に不意打ちを受けたがゆえなのだろう。
言うなれば男の行動に、彼女は傷ついたのかもしれない。

そんな身体の反応と、心の間の齟齬と相関の様が、緻密にあぶり出されており、非常に読み応えがあった。
娼婦の世界でしか生きられそうにないあけみの姿も、しんと胸に響く。
なかなかの佳作であろう。



『驟雨』も、『原色の街』同様、娼婦を描いた作品だ。
だがこちらは、『原色の街』と違い、娼婦に心を寄せる男の心理の動きを描いている。


主人公の山村は、恋愛というものをわずらわしく思っているらしい。
そのため娼婦を抱いて、恋愛に対するわずらわしさのない、「精神の衛生」を保った生活を送っている。

そんな彼は道子という娼婦を気に入っている。
それは愛するということと別物だと、彼自身は思っていた。
にも関わらず、彼は次第に道子に対して心の傾斜を見せるようになっていく。

外で道子と待ち合わせたときは、ときめきを覚え、占いをすれば相手の女がいい星であればと願っている。どう見ても、気に入るというよりも、一歩踏み込んだ感情だ。


しかし山村はその感情を認めようとしない。
多くの男に抱かれる娼婦と、ただの客。どう見てもビジネスの関係だ。
そこに「精神の衛生」をわずらわせる要素を持ち込みたくない彼は、道子を娼婦の位置に置くような態度を取るなど、自分の感情をあくまで否定しようとする。

だがどんなにごまかしくて、自分の感情を、だんだん否定できなくなってくる。この心理の流れが非常に良い。

そして彼は、多くの男に抱かれる娼婦に惚れたことから、ずいぶん苦しい思いを抱えることになる。
それはもちろん嫉妬に他ならない。
ずいぶん難儀な女に惚れたものと思うけれど、どうにようもならないのが人情である。


そんな男の心理の襞をねちねちと描き上げており、こちらも読みごたえがあった。
『原色の街』よりもわかりやすい分、僕はこちらの方が好きである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ちくま日本文学32 岡本綺堂』

2013-11-30 20:24:57 | 小説(国内男性作家)

しゃっきりしゃんと背筋が通った、美しい文体
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)




ここに紹介している幾種の探偵ものがたりに、何らかの特色があるとすれば、それは普通の探偵的興味以外に、これらの物語の背景をなしている江戸のおもかげの幾分をうかがい得られるという点にあらねばならない。

本書収録の『半七捕物帳』の中の一篇、『雪達磨』にはそのような言葉が記されている。
そしてその言葉こそ、この作品集の多くの作品にも通用することであった。

実際、『半七捕物帳』を始め、『三浦老人昔話』、『相馬の金さん』などには、江戸時代の風俗をうかがえるガジェットに満ちている。
それが個人的には目を引いた。


特に『半七捕物帳』のシリーズには、その要素が強いような気がする。

『冬の金魚』の江戸時代に流行った金魚の話や、『十五夜御用心』の虚無僧など、当時の江戸の雰囲気が現れていて、それだけでもおもしろい。
『筆屋の娘』の舐め筆など、本当にあったのかな、とふしぎで驚いてしまうような素材もあり、非常に興味深かった。

『相馬の金さん』にしても、幕末期はこういう不逞な御家人もいたのだろうな、ということが伝わってきて、リアルに当時の風景がよみがえるかのよう。

ストーリー的にはいろいろ不満な面もあるが、そういったガジェットのおかげで、楽しく読み進められるのは良かったと思う。



純粋に物語という観点で見るならば、個人的には怪談系の話を楽しく読んだ。

特に『鎧櫃の血』が一番良い。
最初のうちは、『桐畑の太夫』に似た、町人に武士がやり込められる災難系の話かと思っていたのに、後半になってがらりとトーンが変わって、ぞくりとさせられる。
殺人と狂気は表裏一体なのかもしれない。そんなことを感じさせるあたりは良かった。

ほかにも『置いてけ堀』、『利根の渡』、『猿の眼』も良い。
どれも因縁話っぽくありながら、安直に説明をつけないところが、古い怪談の雰囲気が出ていて目を引く。


また、『修善寺物語』もなかなか楽しめる作品であった。

芸術家としての矜持と、高貴な人と結ばれたいという娘の野心の対比がおもしろい。
その二人の思いがラストの場面につながるのだろう。

最後に自分が日本一の面作師だと確信を抱いた夜叉王と、お局様として死ねる自分に満足を抱くかつら。その絶頂の瞬間を、それぞれ形にとどめようとする二人の執念。それが本当にすばらしかった。
そこにある狂気じみた雰囲気が深い余韻を残す作品である。



江戸情緒の雰囲気が残る時代を生きた人のためか、その空気のすくい取りかたが心に残る作家である。
地味ながらも滋味深い作品集といったところだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)