Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

引きこもりの子どもにひそむ意欲

2006年09月09日 | Weblog
不登校の子どもたちを一概に落ちこぼれであるであると決めつける人は多いけれど、それは違うと思います。たとえば、私が診ていた青年の一人は、高校のときに挫折して引きこもりになったんですが、親が学校に行けとうるさく言うのをやめて家庭教師をつけたところ、数学にだけは興味を示すようになります。そのうちコンピュータに夢中になり、自分でゼロから制作まではじめ、引きこもったまま独学でコンピュータのエキスパートになってしまった。

ある日、秋葉原に買い物に行ったとき、お客の質問に店員があまりに稚拙な説明をしているので、思わず横から口をはさんだそうです。そうしたらアドバイスした客に「きみ、いったい何者なの?」と驚かれ、その人が経営する会社で働くことになった。小さいながらも将来性のある会社で、みんなから頼りにされ、見違えるように生き生きと働いています。

彼のような人間は今の教育制度の中では適応できないけれど、自分の好きな領域は、進んで学ぶ意欲、それも尋常ではない意欲を発揮します。引きこもっている子どもたちの多くは、能力も意欲も持っている。興味を持ったことに熱中できる素質もある。教育行政のシステムに順応するのが苦手な子どもをも受け入れ、その子が持っているものを伸ばせるような教育の場であれば、彼らは立派に教育を受け、世の中に貢献できたはずだと思います。本当に無気力で、何もしたくないから何もしないというタイプの人も確かにいますが、そういう人たちは少数派なんですよ。

従来の受験体制と学校制度は、経済的発展を第一とする社会にとって都合のいい人間を作ってきたわけですが、同時に大量の引きこもりも生み出してしまった。いまだにそれにとらわれ、その枠からはみ出した子どもたちを駄目だと決めつける大人の中にこそ「悪魔」が潜んでいるのだと私は思います。私たち大人が「悪魔」となって、駄目だ駄目だと言葉や視線でささやきかけるから、そういう子どもたちを引きこもらせ、なかなかその状態から抜け出せなくさせてしまっている。引きこもりの子どもたちに落ちこぼれのレッテルを貼るのをやめ、まず引きこもりを誘うような欠陥のある教育システムを見直してみる。そのほうがよほど生産的じゃないでしょうか。

(「悪魔のささやき」/ 加賀乙彦・著)